おひるのじかん

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かたん、という物音でダンテは目覚めた。
緩やかに回るシーリングファンから視線を下せば、ソファで横たわる自分の身体が見える。
辺りを見回すと、机の上に放置されたマグや、まだ乾ききらない床の水跡があった。
ぼんやりとした意識が覚醒し、記憶がやっと戻ってくる。
どうやらバージルを洗った後、少し眠ってしまったらしい。
ダンテは頭を掻き、微かな気配の方へ向く。
事務所奥の、南側の壁。
そこにある壁本棚の前に、バージルはいた。
顔を思い切り上げて、本棚のてっぺんを見つめている。
「バージル」
ダンテが呼ぶと、バージルはぴくんと体を震わせ、こちらに振り向く。
ぺたぺたと覚束ない足取りで歩いてくるバージルを、ダンテはぼうっと見守った。
「お前起きてたのか?昨日の夜から起きっぱなしだろ。ちったあ寝ても……」

ぐうぅ。

事務所に大きな音が響いた。
ダンテは音の元へと目を落とす。
それは、ダンテ自身の腹。
そして。

きゅうぅ。

ダンテは顔を上げ、もう一つの音の元へ目をやった。
それは、ぽっこりとしたバージルの腹。
壁にかかった時計を見ると、時刻は正午前を指していた。
「……そういや、飯も食ってなかったな」
バージルはぴょんとソファへ飛び乗って、無言でダンテを眼で射抜く。
恐らくこれは、食事の催促だ。
「あー……、わかった。何か食うもん……って、今冷蔵庫フリッジも空なんだよな……」
うーん、と顎の髭を弄りながら、ダンテは唸る。
ペンギンになったバージルは、いったい何を食べるのか。
犬猫に玉ねぎはダメと聞いたことがあるが、ペンギンはどうなのだろう。
仮にもそういう物があるとすれば、きっと食べさせるのはまずいに違いない。
いや、ペンギンといえどバージルも半魔だ。
見た目や触り心地こそファンシーだが、体は依然として頑強で超常的な力を秘めているはず。
それなら何を食べるかなど、あまり気にしなくてもいいのかもしれない。
とは言えそれでも万が一ということも——

ぐううぅぅぅ。
きゅううぅぅ。

「…………」
バージルはぴんと両羽を広げると、くえっ、と大きな鳴き声を上げた。
さっさとしろ、ということか。
「ったく、こっちの気も知らねえで……いいご身分だな、お前はよ」
ダンテはまだ湿ったままのシャツに暗い赤のコートを羽織ると、パンツのバックポケットに有り金を適当に突っ込んだ。
「いいか、俺が出かけてる間に悪さすんじゃねえぞ」
ダンテが刺々しく指差すと、バージルは困惑混じりに首を傾げた。
どうもダンテの言うことを、あまり理解できていないらしい。
昨日までのバージルなら馬鹿にされたと断じて、嫌味でも斬撃でも問答無用で繰り出してきただろう。

……——知能が低下し、本能や原始的欲求が先鋭化して——

今朝、トリッシュがそんなことを言っていた。
ならばこれも呪いの影響だろうか。
不安というよりも、一抹の寂しさのような。
上手く言い表せない感情が、ダンテの胸に湧く。
「……いや、バージルに冗談も話も通じないなんて、今更だしな」
寧ろ減らず口が無い分、今の方がマシというものだ。
ダンテは強引に頭を切り替えて、それ以外深く考えないようにした。
「おい、バージル。飯買いに行くから、大人しくしてろよ」
伝わるかはともかく、ダンテがもう一度念押しすると、バージルは両羽を振り上げて、くえっくえっと鳴いた。
その目ははっきりと、急げとダンテを急かしている。
「ったく……偉そうな態度だけは変わんねえな」
ダンテは腹いせに、べ、とバージルへ舌を出し、そそくさと食糧調達へと赴いた。



ビニール袋と平箱を抱えたダンテが帰って来たのは、一時を回った頃だった。
事務所に帰るなり、ダンテはキッチンのテーブルにバージルを座らせた。
いや、正確には椅子の上に立たせたのだが、この際細かいことはどうでもいい。
がしゃがしゃと謎の音を立てる白い袋が、バージルの目の前にどさっと置かれる。
「おいバージル、お前のために奮発して豪華なランチを用意してやったんだ。目ん玉ひん剥いてよーく見ろよ」
テーブルを挟んだ真正面で、大袈裟に見得を切るダンテのことを、バージルはそれを不思議そうに見つめる。
ダンテはにやりと笑ってみせると、袋いっぱいの氷の中から巨大な『何か』を引き摺り出した。
それは赤茶色をした、まだら模様の魚。
大きさは三フィート約一メートル、重さは四〇ポンド約一八キロ近くあるのではないか。
その大きく太った丸魚を、ダンテは意気揚々と持ち上げると、ドンっとテーブルの上に『給仕サーブ』した。
「どうだ、立派なモンだろ?とっておきのコッドだぜ!」
滑り輝く魚を前に、ダンテは意気揚々と語りだす。
「ほら、ガキの頃水族館に行ったの覚えてるか?あの時ペンギンが生の魚食ってたのを思い出したんだよ。だから店のオヤジに頼んで、一番活きがいいヤツ貰ってきてやったんだ。これならお前も食えるだろ?感謝しろよな、バージル」
自信満々に胸を張るダンテに対し、バージルは首を捻ったり臭いを嗅いだりと、神妙な面持ちで鱈と対峙した。
静まり返ったキッチンで、厳正な審査が粛々と進められる。
口先から尻尾まで、バージルによる徹底的な検分が行われた結果。
鱈はその黒く小さな羽によって、ぐいっと力強く押し除けられた。
「何だよ、食わねえのか?」
ダンテは手を伸ばすが、バージルはそれを素早く避け、ぷいっと顔を背けてしまった。
匂いが嫌だったのか。
魚の種類が悪かったか。
とにかくバージルの機嫌は急降下し、ダンテと目すら合わせない。
魔界あっちじゃゲテモノでも何でも食ってやがった癖に……」
魔界でクリフォトを根絶やしにしにすべく暴れ回っていたあの頃。
日がな一日、ふたりで喧嘩に明け暮れては、で飢えを凌いだ日々を思い出し、ダンテは少し苛立った。
今更拘るなよ、とは思ったが、ペンギン相手にムキになるのも大人気ない。
ダンテは魚を袋の氷へと戻すと、ぼりぼりと頭を掻いた。
「後はこっちか……」
脇に避けていた平箱を引き寄せ、気乗り薄に蓋を開ける。
紙製の箱の中にあったのは、勿論ピザ。
ダンテが自分用にと買ったものだ。
サラミにベーコン、ハムにチキン。
ペパロニに加えて今回は野菜としてフライドオニオンとマッシュルームとあるから、栄養バランスも完璧だ。
味にも質にも自信はある。
が、これをバージルに出すのはいまいち気が進まない。
自分の分の食事を分けたくないと言う訳ではない。
ダンテには消極的になる理由が、別にあった。
「……ほら、バージル」
バージルに向かって、ダンテはそろそろとピザを差し出してみる。
バージルは顔を逸らしたまま目だけで箱を見たが、中身が見えた途端、顔にきゅうっと皺を寄せた。
それからぷくっと頬を膨らませると、ダンテを糾弾するように、びたんびたんと足を踏み鳴らしだした。
荒れるバージルの姿を見て、やっぱり、とダンテはピザを引っ込めた。
正直、この展開を全く予想できなかったかと聞かれれば、答えはノーだ。

ダンテとバージルの間には、一緒に暮らすようになってからというもの、様々な約束ルールが設けられていった。
ごみはごみ箱に捨てること。
ジュークボックスの音量は二十五以上にしないこと。
事務所を空けるときは、必ずいつ帰るかを知らせること。
そういった約束の中でも、かなり初期から決められていた、厳格に守られるべき取り決めが一つあった。
『二食連続で、食事をピザにしないこと。』
それは黙っていれば毎食ピザにしてくる弟に業を煮やした、兄の怒りの産物だった。
そして昨日。
バージルの反対を押し切り、ダンテが注文した夕食は、シーフードたっぷりの漁師風ピザピッツァ・マリナーラだった。

バージルはぴぃぴぃと鳴きながら、しきりに羽を上下させている。
ダンテはぱたんと箱に蓋をした。
言葉も通じないペンギンのバージルが、ふたりの約束や昨日の夕食の内容を覚えているとは思えない。
だがそれでもバージルは、目の前のピザを拒絶した。
もしかしたらピザを巡る約束は、理屈や記憶などではなく、バージルにとっては理性を超えたトラウマだったのかもしれない。
(——いや、そんなことよりも)
ダンテは俄かに考え直す。
「……悪かったよ。お前がペンギンになったからって、約束破っていい訳じゃねえもんな」
ダンテは素直に頭を下げる。
それでもバージルは怒り続けていたが、暫くするとダンテの様子がおかしいと気付いたらしく、ぴょんと椅子を飛び降りた。
足元まで駆けてくると、バージルはじぃっとダンテを見上げ、おもむろにぺちぺちと足を叩きはじめた。
その眼に怒りはなく、むしろ何か困っているような色すらある。
その表情の意味はわからなかったが、何はともあれ矛は収まったらしい。
ダンテはバージルを抱き上げ、目を合わせた。
「とは言え、もう鱈とピザを買っちまったから、財布の中はすっからかんだ。となれば……わかるよな?」
バージルはくいっと頭を傾げる。
ダンテの言っていることは、やはり理解できていないらしい。
だが今の場合は、その方が都合がいいとダンテは思った。
ダンテの真意を理解してしまえば、またバージルは矛を振り回し出すだろう。
ダンテは右手にバージルを、左手に鱈の袋を持つと、『とある場所』へと急行した。


空腹は、そろそろ限界を迎えようとしていた。

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