My one and only you
「……………」
「……………」
逸らされた顔。
交わらない視線。
時折聞こえる吐息には、明らかな苛立ちが聞いて取れる。
可愛らしいクッキーが並ぶスチール棚。
その前に立つバージルとダンテの間には、それはそれは険悪な空気が漂っていた。
白と青の花に、メタリックブルーのハートの風船。
天井にぶら下がるバナーには、大きな『White Day』の文字が並んでいる。
そう。
ここはショッピングモールにある、ホワイトデーの特設会場。
チョコやクッキー、キャンディはもちろん、コスメや製菓キットなど、
実に豊富な商品が並び、多くの人々を出迎えている。
そんな賑やかな場所で、二人は明らかに浮いていた。
片や苦々しく顔を顰め。
片や腹立たしげに口を曲げ。
どちらも楽しいホワイトデーにそぐわない、酷く殺伐とした表情だ。
加えて口もきかないとくるのだから、場の空気は最悪だった。
しかし何故だろう。
それだけ刺々しい雰囲気なのに、二人は決して離れることなく、微妙な距離を保ったまま、会場内を彷徨っていた。
「……………………おい」
先に沈黙を破ったのは、バージルの方だった。
いや、破れたかも怪しいほどに、小さな声ではあったのだが。
「……………………んだよ」
対するダンテの声も、バージルに負けず劣らず、やっと聞き取れる程の極小の声だった。
「…………言いたいことがあるなら言え」
「…………別に、ねぇし」
「………」
「………」
続かない会話。
どことなく肌寒い空気。
いつまで続くかわからない時間に、バージルは耐えられなかった。
もう限界だ。
元々短気なバージルは、半ばやけくそ気味に、キッとダンテを睨みつけた。
「いい加減にしろ」
カーディナルレッドのコートの背中が、ぴくんと小さく跳ね上がる。
それがわなわなと震えたかと思えば、ダンテは突然、バージルへと振り返った。
「お前が言うか?それっ」
これ以上ない程不貞腐れた口調ではあるものの、碧 い目は微かに潤んでおり、口元も何かに耐えるように震えている。
その顔を見た途端、バージルの喉元まで来た悪態や雑言は、ぐっと腹の奥底に飲み込まれてしまった。
こんなことで、と軽い嫌悪感に襲われるものの、バージルは何とか取り繕おうと言葉を探す。
ぐるぐると思考を巡らせ、悩みに悩み、漸く見つかったのは、この台詞だった。
「……っ、ただのチョコだと言ったのは、お前——」
バージルが選んだのは、このタイミングで選びうる最悪のチョイスだった。
「ただの?」
ダンテが呟く。
信じられないとばかりに、大きく目を見開いて。
「ただの!?」
そして瞬時に距離を詰めたかと思えば、ダンテはバージルの胸倉を掴んだ。
「お前ふっざけんなよ!」
ネイビーブルーのコートのボタンが、ブツッといくつか外れてしまう。
しかしダンテは収まらず、更にバージルへと詰め寄った。
「別に!俺はお前なんかどうでもいいし!何しようがしったこっちゃねえ!」
ずいっと身を乗り出したダンテの鼻は、今にもバージルのそれにつきそうだ。
余りの気迫に気圧されそうだが、バージルは意地でその場に止まった。
それが気に入らないのか、碧 い目が更に燃える。
「けどな!けど俺はな!」
ダンテの眉根がぎゅっと寄った。
「ちゃんと全部断ったんだぞ!!」
どんっと身体が突き飛ばされる。
バージルは不覚にもよろめいた。
周囲から、好奇と驚きの視線が集まる。
しかし今の二人は、それどころではなかった。
もっと深刻かつどうしようもないことで、両者の心はぐちゃぐちゃになっているのだから。
********************
話は一月前に遡る。
ある朝のこと。
玄関を出ようと、バージルがドアノブに手をかけた時である。
「俺、今日全部断るから」
後ろからの声に振り返ると、そわそわと落ち着きのないダンテがそこにいた。
「何の話だ」
バージルが聞き返すと、ダンテはほんのちょっぴりムッとした。
「チョコの話だよ。バレンタインだろ、今日」
興味が無さ過ぎて忘れていたが、確かに今日は二月十四日。
所謂バレンタインデーだ。
バージルもやたらとチョコを押し付けられるのが恒例だが、ダンテは毎年大量のチョコを、クラスの女子から老人会の女性陣まで、実に幅広い面子から嬉々として受け取っていた筈だ。
それが一体どうしたことだろう。
バージルが訝しんでいると、ダンテは焦れたように語気を強める。
「だから、俺とお前、もうそ う い う 感 じ だろ。だから他の奴からは、チョコ貰わねえって決めたんだよ」
一瞬理解が追いつかなかったが、その真意がわかった時、バージルはぎゅっと心臓が締め付けられたような気がした。
ダンテの行動自体は、筋が通っている。
理由も納得がいく。
ただ、それを真正面からぶつけられると、その感情の大きさに、脳がフリーズしてしまうのだ。
ドアノブにかかった手は、一向に動かない。
その反応にダンテはきょとんと目を丸くした後、じわじわと意味ありげな笑顔を浮かべた。
それからドアへと駆け寄ったかと思えば
「ほら、さっさとしねえとバス来るぜ?」
と言って、ドアノブにかかったバージルの手に自分のそれを重ねてきた。
ノブがゆっくりと押し下げられ、生まれたドアの隙間から朝日が漏れる。
「じゃあ、お先に」
耳元で、くすっと笑うダンテを感じた。
バージルは反射的に耳を抑え、朝日の中に飛び出したダンテを見る。
毎朝見るものと、何ら変わりがないように思える背中。
しかし白い光に照らされるそれは、浮ついているような、少し強張っているような、そんな風にバージルには見えた。
結局その日、バージルは学校にいる間、チョコレートを断り続けた。
元々甘いものが好きという訳でもないし、持って帰るのも面倒だ。
加えて今日は図書館に本を返さなければならない。
余計な荷物ができることは、なるべくなら避けたかった。
だから断るのは当然のこと。
バージルはそう自分にいい聞かせ、チョコを渡そうとする女子には不要であるとはっきり伝え、ロッカーや机に置かれるものについては、クラスの男子に分配した。
一方のダンテはというと、同じようにチョコを断っていたが、やたらとバージルを気にしていた。
バージルがチョコを断るたび、ダンテは話しかけてくるでもなく、ただにやにやと笑っている。
それが煩わしいとは思ったものの、バージルからも敢えてダンテに話しかけることはなかった。
「別によかったのに」
漸くダンテが声をかけてきたのは、放課後、家への帰り道でだ。
「お前まで断んなくてもさ」
バス停までの道には、冷たい風が吹いていた。
けれどダンテの声は弾んでいて、二人の間に流れる空気も、どことなく暖かなものに感じられた。
「あんな甘ったるいものなど口に合わん。ただそれだけだ」
「ふーん?」
「……そのだらしないにやけ顔をやめろ」
「いいだろ、俺がどんな顔してようが」
「……」
そうこう話をする内に、二人はいつものバス停へと辿り着いた。
表示によると、家の最寄りへのバスが、そろそろ到着するようだ。
「お前、今日図書館寄るんだっけ」
「ああ、そうだが」
「俺さ、母さんに頼まれてる用事あるから、先帰ってるわ」
「好きにしろ」
「早く帰って来いよ。お前、本が絡むとア レ だからな」
「うるさい」
「おー怖っ。怒んなよ、バージル」
ダンテが笑っていると、丁度バスがやってきた。
時間通り、バスは定位置に停車すると、アナウンスと共にドアを開ける。
「じゃあ早くな。待ってるから」
そう言い残すと、ダンテはバスへと乗り込んで、ひと足先に帰路へ着いた。
今思えば、この時一緒に帰ればと、バージルは心底悔やんでいた。
けれどそれも後の祭。
バージルが一人訪れた図書館で、こ と は起きたのだ。
********************
はい、と差し出されたのは、折り紙のいちごが貼り付けられた、小さなビニール袋だった。
「……………」
差し出しているのは、三歳くらいの少女。
難しい顔をしたその子の後ろには、母親らしき人物がいる。
会えてよかった、と笑う女性は、ぺこりとバージルへ頭を下げた。
バージルは状況を飲み込めずにいるが、少女はもじもじするばかり。
それを見かねた母親は、実は、と事情を話し始めた。
曰く、以前この図書館に来た時に、少女が届かない位置にあった本を、バージルが取って渡したらしい。
このチョコは、その時のお礼に少女が用意したものだという。
言われてみれば、やった記憶もあるような、無いような。
どちらにせよ特に深く考えもせず、とった行動だった筈だ。
「確かに渡したかもしれないが、それだけで何故……」
バージルが言いかけると、少女はチョコを引っ込め、代わりに一冊の本を突き出した。
赤と青の帽子を被った、双子のねずみ。
籠と花を持った二匹の足元には、少女の名前らしきものが書かれている。
字が歪なのは、少女が自分で書いたものだからなのかもしれない。
「これは……」
この本が気に入っちゃって、と母親は笑った。
借りるだけでは飽き足らず、遂には母親にねだって、自分だけの本を買って貰ったのだという。
バージルの頭に、ぼんやりと記憶が戻ってくる。
確かあの時のバージルは、通りすがりに見かけた少女が、見つめていた本を取っただけだ。
(あれはたまたま昔ダンテと読んだ本で、それで、つい——)
ベッドで寝転び二匹のねずみに、自分達を重ねた日々。
いつか大きなカステラを作ろう。
そう無邪気にゆびきりした夜。
そんな幼い頃の思い出が、バージルに本を手にとらせただけだった。
(——いや、違うな。何度言っても、あいつはカステラをパンケーキと勘違いして、いつもパンケーキを作ろうと……)
ぐいっとコートの裾が引かれる。
気付けば少女は、再度ビニール袋をバージルへ差し出してきていた。
折り紙のいちごの下には、市販の一口サイズのチョコが見える。
『——俺、今日全部断るから』
朝、手に重なったダンテの体温が蘇る。
ぐっと拳を握り締めればその温かさが、また別の記憶を呼び起こす。
『……——ばーじる、ばーじる、またぱんけーきのほんよもうっ!』
絵本を抱えたダンテに引かれる、バージルの手。
小さな頃の、幸せな温もり。
嬉しそうに頬を染めるダンテの笑顔は、きっとバージルが本を好きになった理由の一つだ。
「俺は……」
そうバージルが言いかけた時、少女は一歩前に出て、不安げにバージルを見つめてきた。
貰ってやって欲しい、と母親が再度頭を下げる。
ぎゅっとバージルは唇を結んだ。
それと同時に握っていた拳を解き、そろりと少女の手からビニール袋を受け取った。
「……礼を、言う」
少女は難しい顔から一転、満面の笑みを弾けさせた。
母親もまたほっとしたように、頬を弛めて笑っている。
このやり取りは、バージル達が本をめくったあの時間のように、母子 にとってはささやかな、しかし幸福な思い出の一つになるのかもしれない。
だからバージルのこの選択は、きっと正しいものなのだ。
しかし。
『別によかったのに』
『お前まで断んなくてもさ』
バージルの耳に、ダンテの声がこだまする。
嬉しそうに弾む、ダンテの声が。
「……………………」
図書館からのバスの中、バージルはずっと、少女からのチョコレートを手の中で弄 っていた。
かさかさと小さく鳴る音が、何故か無性に耳につく。
それでもやめずに弄 る内に、テープでとまった紙のいちごが、ぽろりと下へ落ちてしまった。
バージルは身を屈め、のろのろとそれを拾い上げる。
ただの折り紙である筈のいちごは、妙に重く感じられ、バージルは堪らず、深い深い溜め息を吐 いてしまった。
********************
「なーんだ。そんなことか」
あっけらかんとした物言いに、バージルは拍子抜けした。
帰宅後バージルは、夕食後の時間にダンテを自室に呼び出した。
それから例のチョコを目の前に、図書館での出来事をぶちまけたのだ。
気恥ずかしさから絵本の思い出こそ伏せていたが、それ以外は包み隠さず、洗いざらい吐き出した。
場合によっては詰られるかとも思ったが、話した結果は先の通り。
ダンテはけろりと受け止めた。
「何だよ、お前。もしかしてこのチョコのこと、めっちゃ気にしてたのか?」
「…………」
「ただのチョコだろ?これくらいでうじうじ言うかよ。お前じゃあるまいし」
「何だと?」
「だってそうじゃん。お前、そういうの根に持つタイプだろ?」
「貴様、言わせておけば……」
バージルが身を乗り出すと、ダンテもまたずいっと顔を寄せてきた。
「でもまあ、よかったんじゃね?その子、喜んでたんだろ。本も、チョコ渡せたことも」
「…………」
「いいことしたと思うぜ。お前にしちゃ、な」
ダンテは視線を落としポケットを弄 ると、ピンクの包紙に包まった、四角いものを取り出した。
勿体ぶるように広げてみれば、いちご模様が浮かび上がる、白とピンクのチョコレートが現れる。
「じゃあ、珍しくいいことしたバージルお兄ちゃんには、可愛い弟がご褒美をあげよう」
そう言うと、ダンテはチョコを唇で軽く咥え、バージルへと向き直る。
「ん」
ダンテは促すように、そっと碧 い目を閉じた。
想像しなかった展開に、バージルは呆気に取られてしまう。
「んー」
チョコといちごの甘い香りが、バージルの鼻を擽った。
微かに漏れる吐息の熱が、バージルの理性をじわじわと溶かしていく。
バージルの手が、静かに、けれど決して逃さないようにダンテの肩を掴む。
そこにはバージルを拒む意思は、微塵も感じられなかった。
「……馬鹿が」
ふふっと笑う声が聞こえる。
それがほんの少しだけ、バージルの神経を逆撫でた。
バージルはダンテを引き寄せると、微かに濡れた唇ごと、いちごのチョコを乱暴に食んだ。
********************
キスをして。
チョコを食べて。
そこで全てが終わればよかった。
だが悲しいかな、ことは簡単にいかなかった。
翌日ダンテはいつも通り、いや、むしろ機嫌がよさそうに過ごしていた。
しかし雲行きが変わったのは、その後だ。
翌 る日は落ち着きを取り戻したかと思えば、更に次の日はどことなく表情が曇っていた。
一週間が経つ頃には、ダンテは明らかに塞ぎ込むようになり、半月も経てば二人はもう、口すらきかなくなっていた。
バージルは閉口する。
どうしてこうなったのか。
心当たりはある。
しかし納得はいかなかった。
「……うじうじ言わないと言ったのは誰だ。」
「……うるせーな」
痺れを切らしたバージルが、ダンテの部屋に押しかけたのは、図書館の件から三週間が経とうとした頃だ。
この頃になると、ダンテはあからさまにバージルを避け、目すら合わせなくなっていた。
「相手は子供だ」
「知ってる」
「ただの礼だと言っていた」
「知ってるよ」
「それ以外の他意は無い」
「知ってるって言ってんだろ」
「お前も言っていただろう。よかった、と」
「ああ、言ったよ」
「なら——」
「ああもう!うるせえな!!」
問いただすバージルに、ベッドで抱えた膝に顔を埋めたまま、ダンテは声を荒げて言い放つ。
「わかってんだよ!全部お前がゲロったから、俺は全部わかってる!俺だって同じ状況なら、お前と同じことしてた!だからちゃんと納得した!ちゃんと笑えた!それで終わりの筈だったんだ!」
その声は痛々しいほど震えていて、苦しくなるほど怒りに満ちている。
「でもやっぱりヤなんだよ!お前が俺以外からチョコ貰うの!ガキっぽいってわかってるけど、ヤなもんはヤなんだよ!!」
ダンテは顔を上げずに怒鳴り散らす。
これ程直球で感情をぶつけられれば、さすがのバージルでも察しがつく。
ダンテは苦しんでいるのだ。
事情はともかく、バージルのせいで。
バージルは何とかしなければと思った。
けれどバージルは、その術を知らなかった。
「ダンテ」
「うるせえ!あっち行け!」
「ダンテ」
「あっち行けって言ってんだろ!」
あの日、バージルの部屋でキスを受け入れた唇からは、はっきりとした拒絶が告げられる。
ここを去るべきか。
バージルは迷ったが、結局そこから動けなかった。
ダンテを一人にはしておけない。
良識じみた建前と、ダンテから離れたく無いという本音から、バージルは小さく縮こまった身体を無理矢理抱きしめた。
「触んな!」
ダンテは思い切りバージルの鳩尾に重い一撃を喰らわせる。
息が詰まり咽せそうになるが、バージルは何とかやり過ごし、ダンテに回した腕に力を込めた。
「離せよ馬鹿っ!」
バージルの腕を、ダンテが掴んだ。
ぎり、と指が肉に食い込み、段々と痛みが増してくる。
けれどバージルは、その手を解くことはなかった。
ダンテの頭を抱き寄せて。
自分の心臓の音を聴かせるように。
ダンテが疲れ果てて眠った後も、ずっとずっとそうやって、バージルはその身体を抱きしめていた。
********************
ダンテを抱きしめたまま、朝を迎えた日から一週間後。
バージルはいよいよ覚悟決め、赤と青のコートを片手にリビングへと向かった。
「行くぞ」
ぶっきらぼうに言い放った相手は、当然ダンテに他ならない。
ソファでスマートフォンを弄るダンテは、嫌そうな目でバージルを見る。
「どこ行くかもわかんねえのに、ほいほいついてくと思うか?」
わかりやすい挑発に反射的に乗りそうになるが、バージルは何とか耐えみせた。
「……場所は、決めていない」
「はあ?」
「だがお前と、行く必要が、ある」
「何だよそれ。訳わかんねえ」
ダンテの言うことは最もだ。
自分でも、支離滅裂なとこを言っている自覚はある。
言葉が足りなさ過ぎることもわかっていた。
「——今日、は」
無駄に出張るプライドが、舌を縺 れさせる。
それでも、とバージルは続ける。
「今日は、三月十四日だ。だから、俺は」
喉が乾く。
おかしな汗が滲んでくる。
だが何としてでも、この決意はダンテに伝えなければならない。
バージルは深呼吸をすると、振り絞るように吐き出した。
「——俺は、お前に……何かを、返したい」
それがこの一週間、悩みに悩んだ末に、バージルが出したこたえだった。
ばくばくとうるさい心音が、聞こえてしまうのではないだろうか。
間抜けな疑念すら浮かぶ程に、リビングはしんと静まり返っていた。
「……何かって、何だよ」
ぼそっとダンテが呟いた。
低く、不機嫌そうな声だ。
「……わからん」
「わからんって……マジでノープランなのか?」
「……」
「なのに俺についてこいって?」
「……ああ」
「それ俺行く意味あるか?」
「ある」
「何にも決まってねえのに?」
「……」
「馬っ鹿じゃねえの」
「…………」
返す言葉もない。
バージルは苦り切った顔をダンテから逸らす。
どこまでもダンテの言うことは正論だ。
口で何を言おうとも、それがダンテに届かなければ意味がない。
バージルは後悔する。
馬鹿なことを言うべきではなかった、と。
「馬鹿だよ、お前」
辛辣な言葉。
嫌味たっぷりの溜め息。
押し黙るしか無いバージルへ、ダンテは容赦無く追い討ちをかける。
だがバージルは逃げなかった。
ダンテの前から、逃げなかった。
「本っ当の大馬鹿野郎だ」
ダンテは不満げにソファから立ち上がると、どかどかとバージルの前までやってくる。
そしてこれでもかと言うほど睨みつけた後、その手から荒っぽく、赤いコートを奪い取った。
********************
「……………」
「……………」
逸らされた顔。
交わらない視線。
時折聞こえる吐息には、明らかな苛立ちが聞いて取れる。
可愛らしいクッキーが並ぶスチール棚。
その前に立つバージルとダンテの間には、それはそれは険悪な空気が漂っていた。
やっと辿り着いたショッピングモール。
ここに来るまで、二人は随分と遠回りをした。
昼前に家を出てから、最初に向かったのは行きつけの書店だ。
ダンテの顔色を伺いつつ棚の合間を歩いていたが、どうにも反応は芳しくなく、三十分もしない内に出てしまった。
次に目指したのは雑貨屋だったが、そこには何かのシールを求める客で、長蛇の列ができていた。
こんなに待ってはいられない。
潔く諦めたバージルは、早々にそこから引き上げた。
その後カフェでピザとストロベリーサンデーを奢らされ、いくつか店を回ったものの、どうにもしっくりくるものがない。
しかもこの間当のダンテは、ずっと黙りこくったまま。
一言たりとも話さなかった。
その癖目だけは物言いたげに、バージルを射抜き続けるものだから、バージルは遂に根をあげたのだ。
「いい加減にしろ」
口から出てしまったその台詞は、バージルなりの悲鳴だった。
「やっぱり帰る」
「おい、まだ——」
「だって久しぶりに二人だったのに、お前全然喋んねえし、目だってずっと逸らしててさ」
聞こえたのは、いつもより幼い声だった。
「……別に何か欲しい訳じゃねえし。お前だって、無理してんだろ。それならもう、お前と一緒にいたくない」
俯くダンテの表情は見えない。
けれどバージルを突き飛ばした右手は、きゅっと小さく握られている。
バレンタインの朝、ドアノブで重なった手。
かすてらの本を抱え、一緒に読もうと繋いだ手。
その手が今、小さく、小さく握られている。
バージルの影は胸が、焼けるように熱くなった。
手を取りたい。
ダンテの手を、今、ここで。
抑え切れない衝動が、頑ななバージルを突き動かした。
「……ダンテ」
バージルは自身の左手をダンテへ伸ばす。
まずは指先。
それから甲へ。
躊躇うように触れていく。
「俺には、お前しかいない」
バージルの掌が、拳をやわやわと包んでいく。
「今日、何かしたいと思う人間は、お前だけだ」
今度は間違えないように。
自分の本当の気持ちを、一つ一つ。
バージルはダンテへと伝えていく。
「だから後少し、ここにいろ」
ぎゅ、と手を強く握る。
溶け合う体温。
交わる脈。
バージルの手の中には、確かにダンテの手があった。
「——頼む」
ダンテ、と掠れた声で名前を呼んだ。
それに応えるかのように、ダンテはぐすっと鼻を啜った。
「……いいのか。周り、めっちゃこっち見てるけど」
「構わん」
「構えよ、馬鹿」
ダンテはもう一度鼻を啜ると、顔を上げてそっぽを向いた。
そしてバージルの手に自分のそれを重ね、名残惜しそうに解いていく。
「別に、いてやってもいいけどさ。俺、これ以上欲しいもんなんてねえし。ホントに何にもいらねえから。」
「だめだ。もう決めた」
「なら代わりに、図書館の子にでも買ってやれよ。クッキーとかそういうの。きっと喜ぶし、ほんとにもう、気にしてねえから」
「言っただろう。今日はお前だけだ、と」
「……あーあ。ほんっと面倒臭ぇ奴」
すい、とバージルの手から、ダンテの手がすり抜けた。
ダンテは鼻と頬を赤らめながら、ポケットへ手を突っ込んだ。
「わかったなら自分で選べ。いらんものを押し付けられたくはないだろう」
「いいよ、お前がくれんなら何でも」
「せめて好みぐらい言え」
「じゃあ、お前が選んだやつがいい」
「…………」
揶揄うような声色は、すっかり明るくなっていた。
二人を遠巻きに見ていた人々も散り、フロアは落ち着きを取り戻している。
バージルはこっそり安堵すると、ダンテにそれを気取られないよう、ぐるりと辺りを見回した。
マカロン。
バスボム。
ハンドタオル。
フラワーブーケにボトルワイン。
きっとどれを選んでも、ダンテは心底喜ぶだろう。
けれどやっぱり今日だけは、いい加減な気持ちで選んだりはしたくなかった。
棚やケースに並ぶ品を、バージルはじっくりと見定める。
その後ろを歩くダンテは、それを嬉しそうに眺めていた。
「——……?」
花とハートのバルーンを超えて、少し行った先の白い棚。
やや控えめなそのブースは、製菓キットのコーナーだ。
焼き菓子中心のラインナップになっており、パッケージにはカラフルにデコレーションされたスイーツ等が描かれている。
その一角、奥の方に並ぶ箱が、バージルの目を奪った。
ふんわりとしたきつね色の、まるくてかわいい小さなケーキ。
シンプルな写真のパッケージには、『カップケーキ』と書かれている。
「お、何だよ。決まったのか?」
ダンテが肩越しに、バージルの手元を覗き込んでくる。
はたと気付けばバージルの手には、カップケーキの箱があった。
「ケーキ?なんか意外だな、そういうの」
そこまで言うと、ダンテは突然吹き出した。
バージルが怪訝な顔をすると、ダンテはひらひらと手を振ってみせる。
「いやさ。ガキの頃、お前ねずみの本持ってたろ。青と赤の双子のやつ」
とん、とダンテの顎がその肩に乗る。
「あれにさ、パンケーキの話があったよな。こんな感じの黄色いやつで、めちゃくちゃでっかいパンケーキ。あれ食いたくて、お前と作ろうなんて言ってたっけなー」
ダンテは目を細めながら、懐かしそうに語っている。
バージルは目を見開いた。
ベッドで夢見た、本の世界。
未来を語り、交わした約束。
二人だけの思い出に、バージルは密かに嘆息した。
「——違うな」
唇が、ゆっくり、ゆっくりと綻んでいく。
「あれはカステラだ、馬鹿め」
バージルは手にした箱で、ダンテの額をこつんと叩く。
「いって」
ダンテはいたずらっぽく笑うと、バージルの肩へと顔を埋め、ぐりぐりと顔を擦り付けた。
バージルはその頭を押し除け、ふと後ろを振り返る。
そこにあるのは、花とハートのバルーンディスプレイ。
メタリックブルーの風船には、バージルとダンテが写っている。
青く光るその場所で、寄り添いじゃれ合う二人の影は、いつまでも曇ることはなく、ひっそりと輝き続けていた。
「……………」
逸らされた顔。
交わらない視線。
時折聞こえる吐息には、明らかな苛立ちが聞いて取れる。
可愛らしいクッキーが並ぶスチール棚。
その前に立つバージルとダンテの間には、それはそれは険悪な空気が漂っていた。
白と青の花に、メタリックブルーのハートの風船。
天井にぶら下がるバナーには、大きな『White Day』の文字が並んでいる。
そう。
ここはショッピングモールにある、ホワイトデーの特設会場。
チョコやクッキー、キャンディはもちろん、コスメや製菓キットなど、
実に豊富な商品が並び、多くの人々を出迎えている。
そんな賑やかな場所で、二人は明らかに浮いていた。
片や苦々しく顔を顰め。
片や腹立たしげに口を曲げ。
どちらも楽しいホワイトデーにそぐわない、酷く殺伐とした表情だ。
加えて口もきかないとくるのだから、場の空気は最悪だった。
しかし何故だろう。
それだけ刺々しい雰囲気なのに、二人は決して離れることなく、微妙な距離を保ったまま、会場内を彷徨っていた。
「……………………おい」
先に沈黙を破ったのは、バージルの方だった。
いや、破れたかも怪しいほどに、小さな声ではあったのだが。
「……………………んだよ」
対するダンテの声も、バージルに負けず劣らず、やっと聞き取れる程の極小の声だった。
「…………言いたいことがあるなら言え」
「…………別に、ねぇし」
「………」
「………」
続かない会話。
どことなく肌寒い空気。
いつまで続くかわからない時間に、バージルは耐えられなかった。
もう限界だ。
元々短気なバージルは、半ばやけくそ気味に、キッとダンテを睨みつけた。
「いい加減にしろ」
カーディナルレッドのコートの背中が、ぴくんと小さく跳ね上がる。
それがわなわなと震えたかと思えば、ダンテは突然、バージルへと振り返った。
「お前が言うか?それっ」
これ以上ない程不貞腐れた口調ではあるものの、
その顔を見た途端、バージルの喉元まで来た悪態や雑言は、ぐっと腹の奥底に飲み込まれてしまった。
こんなことで、と軽い嫌悪感に襲われるものの、バージルは何とか取り繕おうと言葉を探す。
ぐるぐると思考を巡らせ、悩みに悩み、漸く見つかったのは、この台詞だった。
「……っ、ただのチョコだと言ったのは、お前——」
バージルが選んだのは、このタイミングで選びうる最悪のチョイスだった。
「ただの?」
ダンテが呟く。
信じられないとばかりに、大きく目を見開いて。
「ただの!?」
そして瞬時に距離を詰めたかと思えば、ダンテはバージルの胸倉を掴んだ。
「お前ふっざけんなよ!」
ネイビーブルーのコートのボタンが、ブツッといくつか外れてしまう。
しかしダンテは収まらず、更にバージルへと詰め寄った。
「別に!俺はお前なんかどうでもいいし!何しようがしったこっちゃねえ!」
ずいっと身を乗り出したダンテの鼻は、今にもバージルのそれにつきそうだ。
余りの気迫に気圧されそうだが、バージルは意地でその場に止まった。
それが気に入らないのか、
「けどな!けど俺はな!」
ダンテの眉根がぎゅっと寄った。
「ちゃんと全部断ったんだぞ!!」
どんっと身体が突き飛ばされる。
バージルは不覚にもよろめいた。
周囲から、好奇と驚きの視線が集まる。
しかし今の二人は、それどころではなかった。
もっと深刻かつどうしようもないことで、両者の心はぐちゃぐちゃになっているのだから。
********************
話は一月前に遡る。
ある朝のこと。
玄関を出ようと、バージルがドアノブに手をかけた時である。
「俺、今日全部断るから」
後ろからの声に振り返ると、そわそわと落ち着きのないダンテがそこにいた。
「何の話だ」
バージルが聞き返すと、ダンテはほんのちょっぴりムッとした。
「チョコの話だよ。バレンタインだろ、今日」
興味が無さ過ぎて忘れていたが、確かに今日は二月十四日。
所謂バレンタインデーだ。
バージルもやたらとチョコを押し付けられるのが恒例だが、ダンテは毎年大量のチョコを、クラスの女子から老人会の女性陣まで、実に幅広い面子から嬉々として受け取っていた筈だ。
それが一体どうしたことだろう。
バージルが訝しんでいると、ダンテは焦れたように語気を強める。
「だから、俺とお前、もう
一瞬理解が追いつかなかったが、その真意がわかった時、バージルはぎゅっと心臓が締め付けられたような気がした。
ダンテの行動自体は、筋が通っている。
理由も納得がいく。
ただ、それを真正面からぶつけられると、その感情の大きさに、脳がフリーズしてしまうのだ。
ドアノブにかかった手は、一向に動かない。
その反応にダンテはきょとんと目を丸くした後、じわじわと意味ありげな笑顔を浮かべた。
それからドアへと駆け寄ったかと思えば
「ほら、さっさとしねえとバス来るぜ?」
と言って、ドアノブにかかったバージルの手に自分のそれを重ねてきた。
ノブがゆっくりと押し下げられ、生まれたドアの隙間から朝日が漏れる。
「じゃあ、お先に」
耳元で、くすっと笑うダンテを感じた。
バージルは反射的に耳を抑え、朝日の中に飛び出したダンテを見る。
毎朝見るものと、何ら変わりがないように思える背中。
しかし白い光に照らされるそれは、浮ついているような、少し強張っているような、そんな風にバージルには見えた。
結局その日、バージルは学校にいる間、チョコレートを断り続けた。
元々甘いものが好きという訳でもないし、持って帰るのも面倒だ。
加えて今日は図書館に本を返さなければならない。
余計な荷物ができることは、なるべくなら避けたかった。
だから断るのは当然のこと。
バージルはそう自分にいい聞かせ、チョコを渡そうとする女子には不要であるとはっきり伝え、ロッカーや机に置かれるものについては、クラスの男子に分配した。
一方のダンテはというと、同じようにチョコを断っていたが、やたらとバージルを気にしていた。
バージルがチョコを断るたび、ダンテは話しかけてくるでもなく、ただにやにやと笑っている。
それが煩わしいとは思ったものの、バージルからも敢えてダンテに話しかけることはなかった。
「別によかったのに」
漸くダンテが声をかけてきたのは、放課後、家への帰り道でだ。
「お前まで断んなくてもさ」
バス停までの道には、冷たい風が吹いていた。
けれどダンテの声は弾んでいて、二人の間に流れる空気も、どことなく暖かなものに感じられた。
「あんな甘ったるいものなど口に合わん。ただそれだけだ」
「ふーん?」
「……そのだらしないにやけ顔をやめろ」
「いいだろ、俺がどんな顔してようが」
「……」
そうこう話をする内に、二人はいつものバス停へと辿り着いた。
表示によると、家の最寄りへのバスが、そろそろ到着するようだ。
「お前、今日図書館寄るんだっけ」
「ああ、そうだが」
「俺さ、母さんに頼まれてる用事あるから、先帰ってるわ」
「好きにしろ」
「早く帰って来いよ。お前、本が絡むと
「うるさい」
「おー怖っ。怒んなよ、バージル」
ダンテが笑っていると、丁度バスがやってきた。
時間通り、バスは定位置に停車すると、アナウンスと共にドアを開ける。
「じゃあ早くな。待ってるから」
そう言い残すと、ダンテはバスへと乗り込んで、ひと足先に帰路へ着いた。
今思えば、この時一緒に帰ればと、バージルは心底悔やんでいた。
けれどそれも後の祭。
バージルが一人訪れた図書館で、
********************
はい、と差し出されたのは、折り紙のいちごが貼り付けられた、小さなビニール袋だった。
「……………」
差し出しているのは、三歳くらいの少女。
難しい顔をしたその子の後ろには、母親らしき人物がいる。
会えてよかった、と笑う女性は、ぺこりとバージルへ頭を下げた。
バージルは状況を飲み込めずにいるが、少女はもじもじするばかり。
それを見かねた母親は、実は、と事情を話し始めた。
曰く、以前この図書館に来た時に、少女が届かない位置にあった本を、バージルが取って渡したらしい。
このチョコは、その時のお礼に少女が用意したものだという。
言われてみれば、やった記憶もあるような、無いような。
どちらにせよ特に深く考えもせず、とった行動だった筈だ。
「確かに渡したかもしれないが、それだけで何故……」
バージルが言いかけると、少女はチョコを引っ込め、代わりに一冊の本を突き出した。
赤と青の帽子を被った、双子のねずみ。
籠と花を持った二匹の足元には、少女の名前らしきものが書かれている。
字が歪なのは、少女が自分で書いたものだからなのかもしれない。
「これは……」
この本が気に入っちゃって、と母親は笑った。
借りるだけでは飽き足らず、遂には母親にねだって、自分だけの本を買って貰ったのだという。
バージルの頭に、ぼんやりと記憶が戻ってくる。
確かあの時のバージルは、通りすがりに見かけた少女が、見つめていた本を取っただけだ。
(あれはたまたま昔ダンテと読んだ本で、それで、つい——)
ベッドで寝転び二匹のねずみに、自分達を重ねた日々。
いつか大きなカステラを作ろう。
そう無邪気にゆびきりした夜。
そんな幼い頃の思い出が、バージルに本を手にとらせただけだった。
(——いや、違うな。何度言っても、あいつはカステラをパンケーキと勘違いして、いつもパンケーキを作ろうと……)
ぐいっとコートの裾が引かれる。
気付けば少女は、再度ビニール袋をバージルへ差し出してきていた。
折り紙のいちごの下には、市販の一口サイズのチョコが見える。
『——俺、今日全部断るから』
朝、手に重なったダンテの体温が蘇る。
ぐっと拳を握り締めればその温かさが、また別の記憶を呼び起こす。
『……——ばーじる、ばーじる、またぱんけーきのほんよもうっ!』
絵本を抱えたダンテに引かれる、バージルの手。
小さな頃の、幸せな温もり。
嬉しそうに頬を染めるダンテの笑顔は、きっとバージルが本を好きになった理由の一つだ。
「俺は……」
そうバージルが言いかけた時、少女は一歩前に出て、不安げにバージルを見つめてきた。
貰ってやって欲しい、と母親が再度頭を下げる。
ぎゅっとバージルは唇を結んだ。
それと同時に握っていた拳を解き、そろりと少女の手からビニール袋を受け取った。
「……礼を、言う」
少女は難しい顔から一転、満面の笑みを弾けさせた。
母親もまたほっとしたように、頬を弛めて笑っている。
このやり取りは、バージル達が本をめくったあの時間のように、
だからバージルのこの選択は、きっと正しいものなのだ。
しかし。
『別によかったのに』
『お前まで断んなくてもさ』
バージルの耳に、ダンテの声がこだまする。
嬉しそうに弾む、ダンテの声が。
「……………………」
図書館からのバスの中、バージルはずっと、少女からのチョコレートを手の中で
かさかさと小さく鳴る音が、何故か無性に耳につく。
それでもやめずに
バージルは身を屈め、のろのろとそれを拾い上げる。
ただの折り紙である筈のいちごは、妙に重く感じられ、バージルは堪らず、深い深い溜め息を
********************
「なーんだ。そんなことか」
あっけらかんとした物言いに、バージルは拍子抜けした。
帰宅後バージルは、夕食後の時間にダンテを自室に呼び出した。
それから例のチョコを目の前に、図書館での出来事をぶちまけたのだ。
気恥ずかしさから絵本の思い出こそ伏せていたが、それ以外は包み隠さず、洗いざらい吐き出した。
場合によっては詰られるかとも思ったが、話した結果は先の通り。
ダンテはけろりと受け止めた。
「何だよ、お前。もしかしてこのチョコのこと、めっちゃ気にしてたのか?」
「…………」
「ただのチョコだろ?これくらいでうじうじ言うかよ。お前じゃあるまいし」
「何だと?」
「だってそうじゃん。お前、そういうの根に持つタイプだろ?」
「貴様、言わせておけば……」
バージルが身を乗り出すと、ダンテもまたずいっと顔を寄せてきた。
「でもまあ、よかったんじゃね?その子、喜んでたんだろ。本も、チョコ渡せたことも」
「…………」
「いいことしたと思うぜ。お前にしちゃ、な」
ダンテは視線を落としポケットを
勿体ぶるように広げてみれば、いちご模様が浮かび上がる、白とピンクのチョコレートが現れる。
「じゃあ、珍しくいいことしたバージルお兄ちゃんには、可愛い弟がご褒美をあげよう」
そう言うと、ダンテはチョコを唇で軽く咥え、バージルへと向き直る。
「ん」
ダンテは促すように、そっと
想像しなかった展開に、バージルは呆気に取られてしまう。
「んー」
チョコといちごの甘い香りが、バージルの鼻を擽った。
微かに漏れる吐息の熱が、バージルの理性をじわじわと溶かしていく。
バージルの手が、静かに、けれど決して逃さないようにダンテの肩を掴む。
そこにはバージルを拒む意思は、微塵も感じられなかった。
「……馬鹿が」
ふふっと笑う声が聞こえる。
それがほんの少しだけ、バージルの神経を逆撫でた。
バージルはダンテを引き寄せると、微かに濡れた唇ごと、いちごのチョコを乱暴に食んだ。
********************
キスをして。
チョコを食べて。
そこで全てが終わればよかった。
だが悲しいかな、ことは簡単にいかなかった。
翌日ダンテはいつも通り、いや、むしろ機嫌がよさそうに過ごしていた。
しかし雲行きが変わったのは、その後だ。
一週間が経つ頃には、ダンテは明らかに塞ぎ込むようになり、半月も経てば二人はもう、口すらきかなくなっていた。
バージルは閉口する。
どうしてこうなったのか。
心当たりはある。
しかし納得はいかなかった。
「……うじうじ言わないと言ったのは誰だ。」
「……うるせーな」
痺れを切らしたバージルが、ダンテの部屋に押しかけたのは、図書館の件から三週間が経とうとした頃だ。
この頃になると、ダンテはあからさまにバージルを避け、目すら合わせなくなっていた。
「相手は子供だ」
「知ってる」
「ただの礼だと言っていた」
「知ってるよ」
「それ以外の他意は無い」
「知ってるって言ってんだろ」
「お前も言っていただろう。よかった、と」
「ああ、言ったよ」
「なら——」
「ああもう!うるせえな!!」
問いただすバージルに、ベッドで抱えた膝に顔を埋めたまま、ダンテは声を荒げて言い放つ。
「わかってんだよ!全部お前がゲロったから、俺は全部わかってる!俺だって同じ状況なら、お前と同じことしてた!だからちゃんと納得した!ちゃんと笑えた!それで終わりの筈だったんだ!」
その声は痛々しいほど震えていて、苦しくなるほど怒りに満ちている。
「でもやっぱりヤなんだよ!お前が俺以外からチョコ貰うの!ガキっぽいってわかってるけど、ヤなもんはヤなんだよ!!」
ダンテは顔を上げずに怒鳴り散らす。
これ程直球で感情をぶつけられれば、さすがのバージルでも察しがつく。
ダンテは苦しんでいるのだ。
事情はともかく、バージルのせいで。
バージルは何とかしなければと思った。
けれどバージルは、その術を知らなかった。
「ダンテ」
「うるせえ!あっち行け!」
「ダンテ」
「あっち行けって言ってんだろ!」
あの日、バージルの部屋でキスを受け入れた唇からは、はっきりとした拒絶が告げられる。
ここを去るべきか。
バージルは迷ったが、結局そこから動けなかった。
ダンテを一人にはしておけない。
良識じみた建前と、ダンテから離れたく無いという本音から、バージルは小さく縮こまった身体を無理矢理抱きしめた。
「触んな!」
ダンテは思い切りバージルの鳩尾に重い一撃を喰らわせる。
息が詰まり咽せそうになるが、バージルは何とかやり過ごし、ダンテに回した腕に力を込めた。
「離せよ馬鹿っ!」
バージルの腕を、ダンテが掴んだ。
ぎり、と指が肉に食い込み、段々と痛みが増してくる。
けれどバージルは、その手を解くことはなかった。
ダンテの頭を抱き寄せて。
自分の心臓の音を聴かせるように。
ダンテが疲れ果てて眠った後も、ずっとずっとそうやって、バージルはその身体を抱きしめていた。
********************
ダンテを抱きしめたまま、朝を迎えた日から一週間後。
バージルはいよいよ覚悟決め、赤と青のコートを片手にリビングへと向かった。
「行くぞ」
ぶっきらぼうに言い放った相手は、当然ダンテに他ならない。
ソファでスマートフォンを弄るダンテは、嫌そうな目でバージルを見る。
「どこ行くかもわかんねえのに、ほいほいついてくと思うか?」
わかりやすい挑発に反射的に乗りそうになるが、バージルは何とか耐えみせた。
「……場所は、決めていない」
「はあ?」
「だがお前と、行く必要が、ある」
「何だよそれ。訳わかんねえ」
ダンテの言うことは最もだ。
自分でも、支離滅裂なとこを言っている自覚はある。
言葉が足りなさ過ぎることもわかっていた。
「——今日、は」
無駄に出張るプライドが、舌を
それでも、とバージルは続ける。
「今日は、三月十四日だ。だから、俺は」
喉が乾く。
おかしな汗が滲んでくる。
だが何としてでも、この決意はダンテに伝えなければならない。
バージルは深呼吸をすると、振り絞るように吐き出した。
「——俺は、お前に……何かを、返したい」
それがこの一週間、悩みに悩んだ末に、バージルが出したこたえだった。
ばくばくとうるさい心音が、聞こえてしまうのではないだろうか。
間抜けな疑念すら浮かぶ程に、リビングはしんと静まり返っていた。
「……何かって、何だよ」
ぼそっとダンテが呟いた。
低く、不機嫌そうな声だ。
「……わからん」
「わからんって……マジでノープランなのか?」
「……」
「なのに俺についてこいって?」
「……ああ」
「それ俺行く意味あるか?」
「ある」
「何にも決まってねえのに?」
「……」
「馬っ鹿じゃねえの」
「…………」
返す言葉もない。
バージルは苦り切った顔をダンテから逸らす。
どこまでもダンテの言うことは正論だ。
口で何を言おうとも、それがダンテに届かなければ意味がない。
バージルは後悔する。
馬鹿なことを言うべきではなかった、と。
「馬鹿だよ、お前」
辛辣な言葉。
嫌味たっぷりの溜め息。
押し黙るしか無いバージルへ、ダンテは容赦無く追い討ちをかける。
だがバージルは逃げなかった。
ダンテの前から、逃げなかった。
「本っ当の大馬鹿野郎だ」
ダンテは不満げにソファから立ち上がると、どかどかとバージルの前までやってくる。
そしてこれでもかと言うほど睨みつけた後、その手から荒っぽく、赤いコートを奪い取った。
********************
「……………」
「……………」
逸らされた顔。
交わらない視線。
時折聞こえる吐息には、明らかな苛立ちが聞いて取れる。
可愛らしいクッキーが並ぶスチール棚。
その前に立つバージルとダンテの間には、それはそれは険悪な空気が漂っていた。
やっと辿り着いたショッピングモール。
ここに来るまで、二人は随分と遠回りをした。
昼前に家を出てから、最初に向かったのは行きつけの書店だ。
ダンテの顔色を伺いつつ棚の合間を歩いていたが、どうにも反応は芳しくなく、三十分もしない内に出てしまった。
次に目指したのは雑貨屋だったが、そこには何かのシールを求める客で、長蛇の列ができていた。
こんなに待ってはいられない。
潔く諦めたバージルは、早々にそこから引き上げた。
その後カフェでピザとストロベリーサンデーを奢らされ、いくつか店を回ったものの、どうにもしっくりくるものがない。
しかもこの間当のダンテは、ずっと黙りこくったまま。
一言たりとも話さなかった。
その癖目だけは物言いたげに、バージルを射抜き続けるものだから、バージルは遂に根をあげたのだ。
「いい加減にしろ」
口から出てしまったその台詞は、バージルなりの悲鳴だった。
「やっぱり帰る」
「おい、まだ——」
「だって久しぶりに二人だったのに、お前全然喋んねえし、目だってずっと逸らしててさ」
聞こえたのは、いつもより幼い声だった。
「……別に何か欲しい訳じゃねえし。お前だって、無理してんだろ。それならもう、お前と一緒にいたくない」
俯くダンテの表情は見えない。
けれどバージルを突き飛ばした右手は、きゅっと小さく握られている。
バレンタインの朝、ドアノブで重なった手。
かすてらの本を抱え、一緒に読もうと繋いだ手。
その手が今、小さく、小さく握られている。
バージルの影は胸が、焼けるように熱くなった。
手を取りたい。
ダンテの手を、今、ここで。
抑え切れない衝動が、頑ななバージルを突き動かした。
「……ダンテ」
バージルは自身の左手をダンテへ伸ばす。
まずは指先。
それから甲へ。
躊躇うように触れていく。
「俺には、お前しかいない」
バージルの掌が、拳をやわやわと包んでいく。
「今日、何かしたいと思う人間は、お前だけだ」
今度は間違えないように。
自分の本当の気持ちを、一つ一つ。
バージルはダンテへと伝えていく。
「だから後少し、ここにいろ」
ぎゅ、と手を強く握る。
溶け合う体温。
交わる脈。
バージルの手の中には、確かにダンテの手があった。
「——頼む」
ダンテ、と掠れた声で名前を呼んだ。
それに応えるかのように、ダンテはぐすっと鼻を啜った。
「……いいのか。周り、めっちゃこっち見てるけど」
「構わん」
「構えよ、馬鹿」
ダンテはもう一度鼻を啜ると、顔を上げてそっぽを向いた。
そしてバージルの手に自分のそれを重ね、名残惜しそうに解いていく。
「別に、いてやってもいいけどさ。俺、これ以上欲しいもんなんてねえし。ホントに何にもいらねえから。」
「だめだ。もう決めた」
「なら代わりに、図書館の子にでも買ってやれよ。クッキーとかそういうの。きっと喜ぶし、ほんとにもう、気にしてねえから」
「言っただろう。今日はお前だけだ、と」
「……あーあ。ほんっと面倒臭ぇ奴」
すい、とバージルの手から、ダンテの手がすり抜けた。
ダンテは鼻と頬を赤らめながら、ポケットへ手を突っ込んだ。
「わかったなら自分で選べ。いらんものを押し付けられたくはないだろう」
「いいよ、お前がくれんなら何でも」
「せめて好みぐらい言え」
「じゃあ、お前が選んだやつがいい」
「…………」
揶揄うような声色は、すっかり明るくなっていた。
二人を遠巻きに見ていた人々も散り、フロアは落ち着きを取り戻している。
バージルはこっそり安堵すると、ダンテにそれを気取られないよう、ぐるりと辺りを見回した。
マカロン。
バスボム。
ハンドタオル。
フラワーブーケにボトルワイン。
きっとどれを選んでも、ダンテは心底喜ぶだろう。
けれどやっぱり今日だけは、いい加減な気持ちで選んだりはしたくなかった。
棚やケースに並ぶ品を、バージルはじっくりと見定める。
その後ろを歩くダンテは、それを嬉しそうに眺めていた。
「——……?」
花とハートのバルーンを超えて、少し行った先の白い棚。
やや控えめなそのブースは、製菓キットのコーナーだ。
焼き菓子中心のラインナップになっており、パッケージにはカラフルにデコレーションされたスイーツ等が描かれている。
その一角、奥の方に並ぶ箱が、バージルの目を奪った。
ふんわりとしたきつね色の、まるくてかわいい小さなケーキ。
シンプルな写真のパッケージには、『カップケーキ』と書かれている。
「お、何だよ。決まったのか?」
ダンテが肩越しに、バージルの手元を覗き込んでくる。
はたと気付けばバージルの手には、カップケーキの箱があった。
「ケーキ?なんか意外だな、そういうの」
そこまで言うと、ダンテは突然吹き出した。
バージルが怪訝な顔をすると、ダンテはひらひらと手を振ってみせる。
「いやさ。ガキの頃、お前ねずみの本持ってたろ。青と赤の双子のやつ」
とん、とダンテの顎がその肩に乗る。
「あれにさ、パンケーキの話があったよな。こんな感じの黄色いやつで、めちゃくちゃでっかいパンケーキ。あれ食いたくて、お前と作ろうなんて言ってたっけなー」
ダンテは目を細めながら、懐かしそうに語っている。
バージルは目を見開いた。
ベッドで夢見た、本の世界。
未来を語り、交わした約束。
二人だけの思い出に、バージルは密かに嘆息した。
「——違うな」
唇が、ゆっくり、ゆっくりと綻んでいく。
「あれはカステラだ、馬鹿め」
バージルは手にした箱で、ダンテの額をこつんと叩く。
「いって」
ダンテはいたずらっぽく笑うと、バージルの肩へと顔を埋め、ぐりぐりと顔を擦り付けた。
バージルはその頭を押し除け、ふと後ろを振り返る。
そこにあるのは、花とハートのバルーンディスプレイ。
メタリックブルーの風船には、バージルとダンテが写っている。
青く光るその場所で、寄り添いじゃれ合う二人の影は、いつまでも曇ることはなく、ひっそりと輝き続けていた。
1/1ページ
