50 Cents for the Minute


「……」
金気と埃の臭いが鼻につく、夜の鉄道駅。
仕事で来たこの場所で、バージルは眉間に皺を寄せていた。
原因は、目の前の公衆電話ペイフォン
年代物オンボロの黒い合成樹脂ベークライトの本体には下品なグラフィティが描かれており、ダイヤルの数字は擦れて殆ど見えない。
その上部には、よく見る公衆電話ものより多い、四つの金種の硬貨投入口スロットが備わっているが、そのどれもに錆が浮いていた。
駅員は使えると言っていたが、甚だ怪しい。
二十五セント硬貨クォーターを試してみたが、入れたそばから返却口に落ちてきてしまう。
十セント硬貨ダイム投入口スロットが錆びつきすぎて投入すら適わず、五セント硬貨ニッケル投入口スロットに至ってはガムがへばりついていた。
バージルは駅の窓口へと戻り、先程話した駅員に詰め寄った。
「本当に公衆電話あれは使えるのか」
顎を失うほどに太った男は、凄むバージルに怯えつつも、こくこくと頷きながらポケットを弄った。
そして、勿論、という言葉と共に、バージルへとポケットの中身を示してみせる。
ダラスで凶弾に斃れた男の肖像が鋳出された、銀色の硬貨コイン
「…………五十セント硬貨ハーフダラー、だと?」
近頃滅多に見ないその硬貨コインに、バージルは眉間の皺を深くする。
これでは実質、あの公衆電話ペイフォンは使えないということだ。

————……たら、電話を——

どこからか、バージルの耳に声が聞こえてくる。
昨日の晩、図らずも聞いてしまった声。
その声に、バージルの息はぐっと詰まる。
「……もういい」
バージルは窓口を後にした。
当てが外れたが、別段急な用向きという訳でもない。
電話など、宿のものを使えばいいだけの話だ。
バージルは深く溜め息をつくと、冷たい夜風が吹く中、指定された宿へと向かった。


********************

「…………」
バージルの目の前には、宿の人間がいる。
が、全く言葉が通じない。
頭にきつめのパーマをあてた中年の女は、謎の言語でバージルへ一方的に話しかけてくる。
依頼人に宛てがわれた宿は、スラム街のど真ん中に位置し、ここに来る迄に二度もチンピラに絡まれた。
そんなところにある宿がまともな訳がなく、壁紙は煙草のやにで黄ばんでおり、スプリングが死んだベッドの下には、割れた注射器が転がっている。
電話は鋭利なもので断ち切られた線を残して、本体はどこかに消えていた。
バージルは一瞬、部屋を丸ごと斬り刻んでやろうかとも思ったが、仮にも人間社会に迎合することを決めた身である。
そこはぐっとこらえ、取り敢えずフロントへと問い合わせてみることにした。
そしてその結果がこれである。
中年女の手にはどこからか出してきた若い娘の写真が何枚もあり、どうもバージルへ『女』を斡旋しようとしているらしい。
「だからいらんと……」
女はバージルに口を挟む隙を与えず、怒涛の勢いで捲し立ててきた。
色々な意味で話にならない。
バージルは部屋に戻ろうとも思ったが、あの豚小屋以下の場所に行く気にはなれなかった。

————……、聞きたい——

女のマシンガントークに混じって聞こえる声。
再び聞こえたのは、他の誰でもない、ダンテの声だ。
昨日、泥酔して事務所に戻ったダンテが、バージルへと放った言葉。
どうやらそれが、耳に残っているらしい。
きっと長旅の疲れが、そんな馬鹿げた現象を起こしているのだ。
バージルはそう思った。
そんな疲れたバージルの頭に、ふと、とあるアイディアが浮かび上がる。
恐らくは、今の状況で最も確実で、即時性のある案だ。
そうと決まれば行動あるのみ。
バージルは喚き散らす女を振り切り、深夜の街へと消えていった。


********************

「………………」
蜘蛛の巣のような画面のひび
ひしゃげたフレーム。
剥き出しの基盤。
どう考えても動く要素のないスマートフォンだったものを手に、バージルはちらりと地面を見る。
割れたアスファルトの上で、ガタガタと震える複数の男。
その誰もが全身傷だらけで、ある者は歯を全て砕かれ、またある者は顔面が変形して、エンプーサのようになっていた。
彼らは皆、不幸にも宿へ向かう途中のバージルを襲ってしまった街の羽虫ギャングである。
「他に持っている電話はないか」
バージルが尋ねれば、男達は慌ててそれぞれのスマートフォンを出す。
しかし彼らの持つ端末は、どれも無惨な状態であり、とても動きそうもない。
考えてみれば当たり前である。
ほんの一、二時間前、彼らを迎え撃ったバージルは、全員を完膚なきまでに叩きのめした。
これは比喩ではなく、閻魔刀の鞘で文字通り『叩きのめした』のであり、一応人間の中で生きることにしたバージルなりの慈悲でもある。
だがその慈悲は、男達の肉や骨ごと、スマートフォンもきっちりと叩き潰してしまっていた。
これでは電話を巻き上げたとしても、まるで無意味である。
こんな街では、電話を貸してくれるような殊勝な店があるとも思えない。
明日会う依頼人に借りることも出来るだろうが、全くの私用を仕事に持ち込むことは憚られる。
そうなると後は駅の公衆電話ペイフォンしかなさそうだが、いかんせん五十セント硬貨ハーフダラーなど、今の時代どの店にも置いてはいない。
精々、カジノやコインショップくらいでしか——
「……——!」
バージルは閻魔刀を抜刀する。
僅かな風切り音がした後、突然男達のシャツが微塵となった。
悲鳴をあげる彼らには、肩や胸に揃いの刺青タトゥーが入っている。
まず間違いなく、この街のギャングのシンボルだ。
「……貴様らの食い扶持について、聞かせてもらおうか」
エンプーサそっくりの男の喉元を、閻魔刀のきっさきが滑っていく。
皮一枚だけを裂き、顎へとそれを伝わせながら、バージルは静かな声で男に告げた。
「そうすれば、命だけは助けてやる」


********************

「……………………」
ざっと、二十人程だろうか。
バージルは自身を囲み、銃を向ける男達を一瞥した。
手にした銃は、ダンテならすぐに握り潰してしまうような粗悪な安物サタデー・ナイト・スペシャルが殆ど。
後はちらほらルガーやグロックが見える程度だ。
加えて男達の身体には、最悪のセンスの刺青タトゥーが、これ見よがしに入っている。
見苦しい、とバージルは思ったが、肥溜めには却って相応しいか、とも思った。
薄暗く、煙草の煙が充満する部屋。
ゲームテーブルやルーレットが並ぶそこは、雑居ビルを丸々一つ使った闇カジノだ。
ここを仕切るのは勿論、先程締め上げたチンピラ達の親玉。
仕切り役らしき禿頭の男が、何事かをベラベラと喋っているが、そんなものはどうでもいい。
バージルは悪臭に耐えながら、視線だけで部屋を探索する。
両替所キャッシャーのカウンター。
女ディーラーの手の中。
そして、ゲーム真っ只中のポーカーテーブル。

——あった。

銀に輝く大振りの硬貨コインが、数枚そこに並んでいる。
バージルは男達に目もくれず、真っ直ぐに目当てのテーブルへと歩き出した。
また禿頭が何か怒鳴り散らしているが、知ったことではない。
後少しでバージルが、ポーカーテーブルに辿り着こうとしたその瞬間。
けたたましい銃声が同時に鳴り響く。
突然の襲撃に、バージルは手も足も——いや、手を既に出し終えた後だった。
バラバラと音を立て、地面に落ちる弾頭。
バージルを襲った弾は、そのどれ一つとして目的を果たすことは無く、閻魔刀によって真っ二つにされていた。
バージルは頭を振る。
こんな狭い場所で、獲物を囲んで撃ち始めるとは。
流れ弾や跳弾など、考えもしないのだろう。
元々大した相手ではないと思っていたが、余りにも素人アマチュアが過ぎる。
気を抜けば皆殺しにしてしまいかねないレベルの低さに、バージルは軽い頭痛を覚えた。
「……一度だけチャンスをやる。大人しくそこの硬貨コインを寄越せ。そうすれば見逃してやる。さもなくば——」
警告が終わる前に、男達は怒号と共にバージルへと飛びかかってきた。
バージルのこめかみに、びきりと青筋が浮かぶ。

何一つ、誰一人として思い通りに動かない。
この怒り、何処にぶつけてくれようか。

バージルは閻魔刀に手をかけると、腰を低く、低く落とし、ゆっくりと息を吐いた。


********************

「…………………………」
落ちた前髪もそのままに、バージルは瓦礫の山に腰掛け、朝焼けが染めるオレンジの空を眺めていた。
コンクリートの破片の中で、奇跡的に残っていたブルーラベルの瓶。
砂塵を軽く払うと、バージルはそれを直接煽った。
煙草の悪臭で死にかけた鼻が、スコッチ特有の燻された香りで清められていく。
昨晩、というよりは、今朝というのが正しいだろう。
バージルは素人集団ギャング相手に極力優しく接したが、悲しいかな、両者が分かり合えることはなかった。
結局バージルは実力行使に出ざるを得ず、また、襲い来る貧弱な輩を殺さないよう、ちまちまと撃退せねばならないという苦行を強いられた。
かくして駅の公衆電話ペイフォンに端を発したバージルのストレスは限界に達し、見ての通り、カジノがあったビルは閻魔刀によって斬り刻まれ、見るも無惨な瓦礫へと変貌を遂げたのだ。
バージルは再度、琥珀色の液体を口にする。
眼下には亡者の如く蠢く集団が、地面に這いつくばっていた。
彼らはビルを破壊した際、バージルが外へと放り投げたギャングの一団だ。
一応全員生きている筈だが、今は確かめる程の気力もない。
見知らぬ街で一睡もせず、自分はなにをやっているのか。
バージルはがくりとこうべを垂れた。
前髪が揺れる。
氷のように冷たい風が、ふわりと吹いた。
微かな風の音が、バージルの耳に声を蘇らせる。

————声が、聞きたい。

昨日。
いや、一昨日の夜。
深く酔いが回ったダンテが、しがみついたバージルの肩口で呟いた言葉。
拗ねるでもなく、強請るでもなく。
ただ声が聞きたいとだけ、ダンテは言った。

「…………馬鹿が」
バージルは瓶を手に、悠然とした足取りで瓦礫の山を下りる。
情けない呻き声の中、目を凝らして辺りを見れば、ポーカーテーブルの残骸の前に、きらりと何かが光るのが見えた。
近くへ行って検めれば、果たしてそこには微笑む男が描かれた、銀の硬貨コインが散らばっている。
バージルはそれをいくつか拾うと、ポケットへと捩じ込み、代わりに紙幣を数枚、瓶を重石に地面へ置いた。
身を起こし前髪を掻き上げると、バージルは朝日が昇る方へと目をやった。
「……駅はあちらか」
太陽を背にしたビルの輪郭が、黄金に燃えている。
その様子に、バージルははあっと息を吐いた。
白く広がった吐息は、澄んだ冬の大気に、すうっと消えていった。
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