Good morning, My Dream
母さんと親父を見るのが好きだった。
たとえば朝のこと。
少し寝坊した親父を、母さんが怒ったふりをして出迎える時とか。
たとえば昼のこと。
母さんが高いところの物へ手を伸ばした時、代わりに親父が取って渡している時とか。
たとえば夜のこと。
俺達が寝たと思った二人が、暖炉の柔らかい炎前で、静かに話をしている時とか。
二人はいつも幸せそうで、いつも互いを思い合ってた。
ついに聞けないままだったけど、きっと二人は幸せだったと、俺はずっと思ってる。
そんな二人を見ながら俺は、幼心に夢を見た。
ああ、いつかこんな風に、誰かと幸せになれたらな、と。
****************
「遅い」
朝……と言い張るのもさすがに厚かまし過ぎる時間。
キッチンで俺を出迎えたのは、辛辣なバージルの一言だ。
新聞から目も離さないあたり、結構怒ってるんだろう。
昨日の酒が残る頭を、ぶるぶる振って無理やり起こす。
「んなぁー……頭痛ぇー……」
「後三十分で仕事だ。さっさとしろ」
「あんまデカい声出すなよ……頭に響く……」
「馬鹿が。知ったことか」
ふらふらと自分の席に着いて、重くて長い息を吐く。
血は全部鉛にすり替えられたみたいに重いし、頭の中も大きな鐘の中にいるみたいにガンガンとうるさくてたまらなかった。
バージルの言う通り、この後は仕事に行かないと。
レディへの返済の日に間に合わなかったら、また何をされるかわかったもんじゃない。
いっそ首でも掻き斬って、瀉血でもしたらデトックスになるだろうか?
いや、そんなことしたらまた部屋を汚すなってバージルにドヤされる。
もうこのまま行くしかないだろう。
そんな悲惨な計画を考えていた時。
はたと、視界の端に見慣れたものがあるのに気づいた。
赤い厚手のマグカップ。
中には真っ黒い液体が入ってる。
多分コーヒーだ。
「……これ、お前が淹れたヤツ?」
そう聞いてもバージルは答えない。
まあいいか、と思った時、シャッと目の前に砂糖壺とミルクピッチャーがスライディングしてきた。
来た方向を見ると、まあ、当然と言うかバージルがいる。
相変わらず新聞は読んだままだけど、一応こっちを気にしてるようだ。
ぬるくなったミルクを、すっかり冷めたコーヒーに入れて、砂糖をざばざば放り込む。
それをスプーンでかき混ぜて、こくんと一口飲んでみた。
常温のコーヒーは少し酸味が立ち始めていて、香りもほとんど飛んでる。
それでもちびちび飲み進めると、底には溶け残った砂糖があって、口の中がじゃりじゃりいった。
(あいつが朝飯食う時、俺の分も淹れてたのか……)
痛む頭に、朝日の中、フレンチプレスを手にしたバージルの姿が浮かんでくる。
バージルはきっと、「ついでに淹れただけだ」とでも言うんだろう。
この砂糖壺とミルクを寄越したのだって、早く仕事に行くためだとか、そんな理屈を言う気がする。
きっと本当は、違うのに。
そう思うのは、俺の思い上がりだろうか?
「———やっぱ、お前とがいいなぁ」
ず、とほとんど砂糖になったコーヒーを啜る。
「何の話だ」
バージルはやっと新聞から顔を上げて、こっちを見た。
今日初めて拝む、バージルの顔はコーヒーみたいに苦々してる。
「夢の話だよ。俺の、さ」
マグカップを口から離す。
それから砂糖壺とピッチャーの間に置いて、軽く自分の方に引き寄せた。
「——夢を叶えるなら、お前とがいい」
少しずつ頭の痛みが引いてくる。
半魔の回復力のお陰か。
温くてまずいコーヒーのお陰か。
それとも、バージルの——
(そんなこと言ったら、バージルにまたシバかれるな)
へらっと顔から力が抜けた。
それを見たバージルの顔は、益々苦味を増す。
「何を訳のわからんことを……寝惚けるのもいい加減にしろ。後十五分だ」
「んー……」
「待たんぞ、俺は」
「わかってるって……」
バージルは新聞を畳むと、テーブルに投げつけるように置いた。
いつもより新聞がくたびれてるのは、俺を待ってたバージルが何度も読み返していたからか、なんて考える。
「なあ、バージル」
立ち上がりかけたバージルに、声をかける。
「今日さあ、仕事終わったら、暖炉の火の前で話さねえ?」
「……今日の予報は二十八度だそ」
「いいだろ……そう言う気分なんだ」
「まだ酔っているのか?貴様の馬鹿に付き合うなど願い下げだ」
「連れねえなあ……って、いてて……」
「阿呆が。いいから早くしろ」
バージルは今度こそ立ち上がって、キッチンから出て行った。
先に出来る支度を済ませといてくれるんだろう。
口ではああ言ってても、結局『お兄ちゃん』のバージルは、俺の世話を焼かずにはいられないのだ。
「俺の夢。結構いい線いってると思うんだよなあ」
マグを傾けながら、ボソッとひとり呟いてみる。
マグの底を、コーヒーがとろりと伝った。
砂糖とミルクがたっぷり入った、甘い甘いコーヒーが。
ゆっくりと静かに、下へと溜まった。
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