Harvest Moon Night


昼と夜とが溶け合う空に、うっすらと満月が現れた頃。
金木犀の香りを運ぶ風が、さらりと亜麻色の髪をき上げた。
色が落ち着き始めた芝に、ローズヒップや秋咲のクレマチスがよく映える庭は、秋へと移ろう季節に満ちていた。
「本当にいいんでしょうか…」
キリエはそう、不安げに呟いた。
手にした白磁のカップには金のホワイトベルが咲き、コーヒーからは湯気が立ち昇っている。
とある郊外のコテージ。
ささやかだが、よく手入れが行き届いた庭にあるガーデンテーブルには、美しい『花々』が咲き乱れ、お喋りに夢中になっている。
「いいのよ、たまの息抜きは必要だもの」
そう言ったのはトリッシュだ。
その瞳には、フルートグラスに注がれる、澄んだ金の光が映っている。
「そ。わざわざ『卒業生』達が子供達の面倒見るって来てくれたのも、あなたを労ってのことなんだから。ちゃんと厚意には甘えなさい」
レディはトリッシュへシャンパンをサーブしながら、軽くウインクをして見せる。
それに続くはルシアとパティだ。
「羽を伸ばすことも大切だわ。今日は中々手に入らない島のお菓子持って来たし、楽しみましょう」
「そうそう!なんたって今日は、年に一度の収穫祭の月ハーベストムーンのパーティーなんだから!」
賑やかな花々の言葉に、キリエはほっと息を吐き、やっと肩のこわばりを緩ませた。
「それじゃあ……今日はちょっとだけ」
「そうこなくっちゃな!ヘイ、ウェイター!」
キリエの笑顔に、先にワインを飲んでいたニコがテーブルの上のベルを鳴らす。
チリリン、と透き通った音が鳴り渡ると、少し遅れてコテージの扉が開いた。
「お待たせしました、お嬢様方。てか?」
芝居がかった口調とともに現れたのは、白のシャツに黒のギャルソンエプロンを着けたダンテだった。
タイも無く胸元もはだけたラフな格好ではあるが、手にはセイボリーやスイーツが並んだケーキスタンドだけでなく、フルーツが盛られた木のプレートやタルトが乗った大皿を携えており、それなりに様にはなっている。
「それで?今日のメニューは何かしら?」
すまし顔でトリッシュが聞けば、ダンテは慇懃に一礼した。
「本日はマロン・グラッセ入りのスコーンにローストビーフときゅうりのフィンガーサンド、フランボワーズのマカロンに柿のムース、洋梨たっぷりのプティ・サヴァランをご用意いたしました。特にお勧めなのは、デュマーリ島名物のイチジクのタルトでございます。」
「まあ、素敵」
「お誉めに預かり光栄だね」
思わせぶりに顔を寄せるトリッシュに、ダンテもまた微笑んで唇を寄せる。
が、ふわりと金糸をたなびかせて、トリッシュはその横をすり抜けた。
残念、と楽し気に小首を傾げるダンテの後ろに、ぬっと大きな人影が現れる。
「何故俺がこんなことを……」
「いいから黙ってやれよ、クソ親父」
ぶつぶつと文句を言いながらやってきたのはバージルだ。
ネロに促されるまま、いくつもの料理を運んでいる。
その姿はダンテ同様ウェイター風の格好で、不服そうではあるものの、糊の効いた純白のシャツと、黒いベストをきっちりと着こなしていた。
バージルがテーブルへと進み出ると、レディはその青いネクタイをくいっと引っ張り、いたずらっぽく耳打ちをする。
「さあ、オニイサマはちゃんと言えるかしら?」
「……かぼちゃとマッシュルームのマスタードサラダ、サーモンのキッシュ、秋茄子とプロシュートのピザ、エスカベシュはきのこの……クソ、やっていられるか」
「おいおい。ノリ悪ぃなあ、バージル」
「黙れ。元はと言えば貴様が俺達を巻き込んだ賭けに負けたせいだろうが……!」
口の片端だけを釣り上げるダンテに、バージルは恨みがましい目をくれる。
だが効果は今ひとつのようで、却ってダンテは嬉しそうに笑った。
「ふうん。これじゃチップはお預けね」
レディはパッとネクタイを手放すと、軽くバージルを押しやった。
バージルが後方へとよろけると、ダンテは口を開けて大笑いする。
それに腹を立てたバージルがダンテの胸を突き飛ばすと、二人は子供じみた小競り合いを始めた。
その光景を目の当たりにしたネロは、料理を手や腕に乗せたまま、二人の傍で立ち尽くす。
その眼差しは秋風のように、どこか哀愁が漂っていた。
「ネロー!早く持って来いって!女子会始めらんないだろ!」
ネロのことなど知らないニコの、陽気な声が飛んでくる。
「何度も呼ぶな!聞こえてるって!」
煩わしそうに言い返すネロも、やはりダンテやバージルのようなウェイターの格好をしている。
曲がったままの青いボウタイは、まるでその心境を表しているかのようだ。
「えーっと、ジャーキーにピクルス、フレンチフライ、スモークナッツ、フライドチキン……ってただの酒のつまみじゃねえか!どこが女子会なんだよ!、ニコ!」
「うるさいな、今日はとことん飲むって決めたんだよ!な、キリエっ」
「あのなぁ、キリエがそんなこと……」
ネロがニコを咎めようとした時、ニコに肩を抱かれるキリエが、何かをおずおずと差し出してきた。
その手にあるのはコーヒーではなく、りんごやザクロ、オレンジたっぷりのサングリアだ。
「ネロ。今日はちょっとだけ……ね?」
そう上目遣いのキリエに言われてしまえば、ネロは何も言えなくなる。
「う……キリエがそう言うなら……そ、それよりVっ。お前は何でそっちで茶なんて飲んでるんだよっ」
ネロは動揺を誤魔化すように、パティとルシアに挟まれたVへと水を向けた。
Vは華奢なティーカップとソーサーを供にして、秋摘みオータムナルのダージリンを堪能している。
「お前も少しは働けって」
「仕方ないだろう。ここに無理矢理引きずり込まれたのだから。見ろ、頭にはこんなふざけた花まで刺されている」
Vが指差すのは頭のてっぺん。
そこには秋桜コスモスの花があるにはあるが、愛らしい髪飾りとしてではなく、頭の頂点から真っ直ぐに伸びるように刺されおり、何とも間抜けな姿だった。
「花くらいなんだよ、言い訳すんな」
「ほう?それではネロ。お前はこの女達に逆らえると?」
「…………」
「ふん。少しはものを考えて言え」
言っていることは情けない癖に、尊大な態度を崩さないVに、ネロはモヤモヤとした感情を抱かずにはいられなかった。
「ふふっ、テーブルに乗り切らないわね」
テーブルから溢れたワインボトルとティーポットを持ちながら、ルシアはくすくすと肩を揺らす。
「いいのよ、収穫祭の月ハーベストムーンのパーティーなんだもの。ご馳走なんていくらあってもいいんだから!」
パティはくるりと振り向いて、一際大きな声を張り上げた。
「ダンテー!もう一つテーブル持って来てー!」
小競り合いを続けていたダンテがそれに応え、手を振り返した瞬間。

バキッ。

バージルからの左フックが、まともにダンテの顔に入る。
そして数拍の後、どさっと乾いた音がして、ダンテは見事ノックダウンされた。
「きゃーっ!ダンテー!」
「あっはっは!いいぞ!もっとやれ!」
パティの悲鳴を掻き消すように、ニコの爆笑が庭に響いた。
「ど、どうしましょう……」
狼狽うろたえるキリエに、キッシュを頬張るレディはつまならそうに答える。
「放っときゃいいのよ、あんなの」
そんな、とキリエが言う前に、今度はトリッシュが口を挟んだ。
「そうよ。本人達、あれはあれで結構楽しんでるんだから。どうせすぐに飽きてやめるだろうし。ねえ、それよりレディ。これを見て。今日のパーティーにいいと思って」
年代物アンティークの蓄音機?よく見つけたわね。面白そう」
「でしょう?レコードも買ったのよ」
「いいわね、どれからかける?」
突然の事態におろおろするキリエに対し、レディとトリッシュは慣れたもので、平然と事を受け流している。
Vは我関せずサンドイッチを摘んでおり、ルシアは呆れたような笑顔を顔に貼り付けていた。



庭の喧騒を他所に、空には夜のカーテンが下りていた。
朧げだった満月はその輪郭を際立たせ、ちらちらと瞬く星の間に輝き始める。

「ほら、曲かけるわよ。遊んでないで、ダンスのエスコートお願いね」
トリッシュの掛け声とともに、皆が一斉に動き出す。
「じゃあ私はダンテと!」
「いてて、待てよパティ……ったく、殴られたばっかりだってのに、人使い荒れぇなあ……」
「ネロ、お願いできる?」
「も、もちろん、キリエとならっ……」
「はあ……バージル、あんたが相手なのね……」
「嫌なら帰れ」
「ルシア、お前は踊れるのか」
「少しくらいなら」
思い思いの言葉を交わしながら、テーブルを立った花達は、パートナーへと手を差し出す。
「私はパス。ここで飲んでる」
そう言ってニコはダンス会場の特等席に座り込むと、ぱくりとピザをひと齧りした。
さあ、手を取ってTake your partners!」
トリッシュがレコードに針を落とした。
心地よいノイズと共に少し古びた音楽が、風に乗って庭へ吹き渡り、花が賑やかに踊り出す。
時には微かな囁き声と、時には大きな笑い声と共に、レコードと庭は歌を奏でた。
「いいねえ、収穫祭の月ハーベストムーンの夜ってのは」
ニコは庭に踊り咲く花々を眺め、にんまりと顔を綻ばせる。
その様子に、トリッシュはくすりと笑って
「じゃあ、たまには踊ってみる?」
と手を差し伸べた。
「んー」
ニコはその手を見つめながら、ぐびりと瓶のビールを飲み下す。
そして空になった瓶を置くと、一つ大きく伸びをして
「まっ、それもアリだな」
とトリッシュの手を取った。
「リードは優しく頼むよ、オネーサマ」
「ええ、任せて」

互いにお辞儀カーテシーを交わすと、トリッシュとニコは歩き出す。


収穫祭の月ハーベストムーンが静かに照らす、花咲く芝生のダンスホールへ。
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