トートロジー

散々な目にあった。
ダンテはため息と共に紙片タグを握り潰し、パンツのバックポケットに捩じ込んだ。
ズキン、と左の手足が痛む。
まだ繋がり・・・が甘いのかもしれない、とダンテは思った。
ちょっとしたアクシデントを片付けて、やっと帰ってきた愛しの事務所我が家
ズタズタになったコートを抱え、潜ったドアの先にいたのは、レディとトリッシュの二人組だった。
「あら、おかえりなさい」
デスクに腰掛けているレディは、コケティッシュな笑顔を浮かべている。
が、どうも胡散臭い。
ダンテが警戒をしていると、トリッシュが疲れ切った表情で机から薄い板状のものを取り上げた。
いわゆる、タブレットというやつだ。
「ダンテ。ちょっといいかしら?」
「おかえりのキスなら歓迎だぜ」
「また今度ね。それより、何というか……つまり、問題があるの」
パッとタブレットの画面が明るくなる。
「……留置者名簿ジェイルロスター?」
帰った早々、何かと思えば。
画面に現れたのは、役所の公式サイトのあるページ。
留置者が顔写真付きで載せられている公開名簿だった。
便利屋の方の仕事絡みなのか。
ダンテはソファにコートを投げると、両手を胸の当たりで開いてみせる。
「あー、トリッシュ。借金があることはわかってるし、返済もちゃんとするつもりだ。でもまだ帰ってきたばっかりで――」
「違うのダンテ。これを見て」
白磁でできたような指が、タブレットの画面をスワイプする。
目にも留まらぬ速さで名簿のページがスクロールされて――
「ちょっと待て!」
ダンテはタブレットを引ったくった。
まさか。
表示されている書類を穴が開くほど読み返してみたが、その驚きは覆らない。
氏名。
生年月日。
そして何よりその顔写真マグショット
「素敵な肖像写真ポートレートだと思わない?」
「レディ。からかわないで」
美女二人の声が、遥か彼方から聞こえる気がした。
「バージル……」
いつかやるとは思ってた、というか、むしろ今更になって何故。
ダンテはそう呆れつつ、凶悪な目つきでこちらを睨む男の――兄の写真を眺めていた。



いつも思うが、なんとも混沌カオスに満ちた部屋だ。
ダンテはそううんざりする。
留置場の面会室には、簡素な面会スペースがあった。
一つの長いカウンターが、人ひとりが座れる程度の間隔ごとに、板で仕切られているだけのものだ。
その区画ごとに面会人がいるわけだが、ある者は事務的な会話に終始し、ある者はめそめそと啜り泣き、ある者はアクリル板の向こうへ暴言を吐き散らしている。
今から自分がその一員になるかと思うと、ダンテは『感激のあまり』泣きたくなった。
身体検査ボディチェックが終わると、警官に席の番号を告げられる。
場所は幸い、一番奥の区画だ。
妙にまとわりつく警官の視線に、ダンテは愛想笑いで応えると、足早に指定の場所へと歩いていく。
仕切り板に挟まれた席は、体格のいいダンテには一層狭く感じられた。
目の前のアクリル板は雑な拭き残しの跡があり、真ん中には安っぽいマイクらしきものが据え付けられている。
それを指で引っ搔けば、板の向こうにいる看守が、神妙に首を振って『警告』をしてきた。
ダンテは、はあ、と息を吐き、椅子の背もたれに体重を預ける。
左の手足はまだ痛むし、立ち寄った保釈金立替業者ベイルボンズマンには、融資不適格者名簿ブラックリストに名前があると、けんもほろろに追い出された。
本当に今日は、散々な一日だ。
ダンテは天井を見つめ、考えた。

(ここで保釈が無いってなると、あいつは帰って来れないのか)

当然すぎる見通しに、ダンテは何故か軽い胸騒ぎを覚える。
仕事柄、バージルが事務所を空けることも少なくない。
しかしそれは、あくまで数日単位の話だ。
何をしたのか知らないが、留置や勾留、ひょっとしたら収監なんて話になれば、年単位でバージルは帰って来られないかもしれない。
ダンテと暮らす、あの事務所へ。
ダンテの脳裏に、過去の記憶がフラッシュバックする。

一人で目覚めるベッドの広さ。
夜、事務所に戻った時の部屋の暗さ。
いくらジュークボックスの音量を上げても、消えることのないあの静けさ。

やっと過去になったはずのあの記憶は、再びダンテの日常になってしまうのか。

そんな不安が、首をもたげてくる。

(それで平気なのかよ、あの馬鹿は……)

そう天を仰いだ時、ガチャン、と扉が開く音がした。
ダンテが上体起こしてみると、アクリル越しにバージルが見える。
しかも看守に、腰縄をつけられた状態で。
あの悪魔も泣き出す魔王サマが、とダンテは吹き出しそうになるが、辛うじて笑いを飲み込んだ。
看守に付き添われたバージルが、悠然とした態度でダンテの前へと座る。
その顔は妙に余裕に満ちており、何を気取っているんだ、とダンテは再び笑いを堪える羽目になった。
「なんでそんなとこいんだよ」
堪え切れない笑いをかみ殺しつつ、ダンテはバージルへと問いかける。
「悪魔を殺した。現行犯逮捕だそうだ」
バージルはしれっと答える。
さも当たり前という風に言っているが、どう考えてもおかしなことを言っていた。
 悪魔を殺してはならないなんて法は、この国には無いのだ。
「フツーそうなるか?ないない」
「人間の形をした悪魔で」
「殺す所を見られたから?」
バージルは、ん、と軽く唸った。
要するに、人を殺したと誤認されての逮捕ということなのだろうか。

——人間の形をした悪魔で。

確かに人の姿をその身に写し、悪さを働く悪魔は少なくない。
しかし最近はそういう悪魔が関係する案件はなかったはずだし、いたとしたら噂くらいにはなっているだろう。
そうやってあらゆる事態を想像していたダンテだが、ふとしたタイミングで、ある可能性にいきついた。
その可能性を確かめるべく、ダンテは下を向く。

目に入ったのは、包帯とギプスでぐるぐる巻きになった、左の手足。

まさか。

「それって」

ダンテは顔を上げた。

「おれか?」
「お前だ」

間髪入れずに返された言葉に、ダンテはぐっと押し黙る。
そういえば合言葉の仕事の最中、バージルの獲物を盗った盗らないで大喧嘩をした記憶はあった。
そこでうっかり手足を斬り落とされて、気絶したり、なにそれがあったことも覚えている。
しかしまさか、そのせいであの魔王サマが逮捕の憂き目にあったとは。
そう考えている内に腹の底からじわじわとおかしさが込み上げてきた。
ダメだ、と思うほどそれは加速していき、ダンテは遂に面会室にこだまする大声で笑い出した。
「あっはっはっ!マジか!いや、いいね。傑作だ!」
気色ばむでもなく、バージルはダンテから目を逸らしている。
はじめこそ面目が潰れたことで、ダンテを正面から見られないのかとも思ったが、どうもそうではないらしい。
もっとこう、何かを待っているような。
そういう類の目だ。
ダンテはその不自然さに気づいてはいたが、それでも笑いは止められなかった。
「——さて、ダンテ」
ひいひいと息を切らすダンテに、バージルは静かに語りかける。
「知っているか。この街ではもう一つ、珍しい事件が起こったそうだ」
『事件』の一言に、ダンテの笑いはぴたりと止まる。
「あん?何だよお前、他にもやったのか」
真顔になったダンテに、バージルはふんと顎を上げた。
「いいや。その事件は、俺がここに入ってから起こった。『ある物』が消えたらしい。警察の見立てでは、盗みだそうだ。」
「盗み?そんなのこの街じゃ、珍しくも何ともねぇだろ」
「ああ、そうだ。だが問題は盗まれた場所と物だ。何だと思う?」
「知るかよ」
「場所は死体安置所モルグ。盗まれたのは『死体』だ」
「はあ」
死体安置所モルグから消えたのは、四十歳前後の男の死体。鋭利な刃物で左手足を切断されていた」
そこまで聞いて、ダンテは漸く違和感に気付く。
いつの間にか周囲から面会人は消え、その代わりに警官の数が増えていた。
「そして死体安置所モルグには監視カメラがあったという。勿論、現場から逃げる犯人も映っていた」
面会室には、バージルの声だけが響く。
「『死体』を盗んだ犯人は、銀の髪に赤いコート。身長約六.三フィート一九〇センチの大男だそうだ」
「……」
「……」
ダンテはバックポケットに手を突っ込んだ。
かさ、という乾いた音とともに、ダンテはくしゃくしゃになった紙片タグを取り出す。
破らないよう、慎重にそれを開いてみると、そこにはこう書かれていた。

――死体識別票Toe Tag

「……おれか?」
「お前だ」

にやり、とバージルが笑った。
「いやいやいやいや。確かに俺ぁお前にぶった斬られて、しばらく寝てたのは本当だよ。ふざけた冷蔵庫フリッジにブチ込まれてたのも事実だ。服は……まあ勝手に取ったの悪かったが、明らかに俺は被害者側だろ?なんで犯人扱いされてんだ!」
「弁解は検察と弁護士にしろ。ああ、合衆国憲法修正第五条に基づき、貴様には黙秘権もある。半分とはいえ人間だ。俺達にも権利はある」
そういうとバージルは、いつの間にか手にしていた閻魔刀をすらりと抜き、十字に宙を切り裂いた。
異空間へのポータルが開き、バージルはそこに足を掛ける。
「あっ!狡ぃぞテメェ!」
ダンテが立ち上がった瞬間、ガシャン、と大きな音を立てて椅子が倒れた。
同時に聞こえる、手を上げろ、の警告。
数人の警官が銃を構えて駆け寄ってくる。
「先に帰る。貴様はここで臭い飯でも食っていろ。ちなみにピザはメニューに無い」
「えっ、マジで?クソ過ぎんだろ……てそうじゃねえ!」
バージルはダンテを無視し、涼しい顔でポータルを潜る。
と、思った途端、くるりとダンテの方へ振り返った。
「ダンテ」
「な、何だよっ」
バージルは真剣な眼差しでダンテを見つめる。
その真っ直ぐな眼光に、ダンテの心臓がどきっと鳴った。
「……牢の中で掘られでもしたら、殺すからな」
「何の心配をしてんだよお前は!!」
馬鹿にしきった笑顔のバージルに、ダンテは渾身の右ストレートを叩き込む。
拳は透明な板を粉々に砕いたものの、ポータルへと消えたバージルには、コンマ一秒の差で届かなかった。
「あいつマジで置いてきやがった!ふっざけんなよ!!こんな——」

パンッ。

乾いた音がした。
続いて、どろり、と額から血と脳漿が垂れ落ちる。
無煙火薬コーディットの臭いを辿ると、そこにいたのはバージルを連れて来たあの看守。
ガタガタと震える手で構えられた銃に、ダンテはぐしゃりと顔を歪めた。
「………あのなあ!善良な市民相手にヘッドショット決める馬鹿がいるかよ!」
ダンテが看守に詰め寄ろうとした矢先、背後から大勢の警官がのしかかってきた。
ダンテは躓き、不覚にも床へと倒れ込む。
やろうと思えば跳ね除けられるが、何せ相手は人間だ。
ダンテが本気を出してしまえば、死体泥棒どころではない惨劇になってしまう。
「バージルの野郎、こうなるってわかってて捕まりやがったな……!」
ダンテは、ぎり、と拳を握った。
「覚えとけよ!バージル!!」
ダンテの叫びは、虚しく警官達の喧騒にかき消される。
こうしてダンテは、見事留置者名簿ジェイルロスターに名を連ね、なんとか保釈に漕ぎ着けるまで、丸々三日を要することとなった。
なお保釈金は、紆余曲折の末にバージルからの借金で賄ったのであるが、それはまた別の話である。
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