Scar, Curse, Perdition
こほん、と誰かが咳をした。
「風邪ですか」
老司祭が壁の小窓を開くと、目の細かい網状の間仕切りが現れる。
「あ……すみません。もう検査は陰性なんですが、喉が少しやられていて……」
青年なのだろう。
嗄れてはいるが若々しい声に、老司祭は微笑んだ。
「構いません。長引いて大変ですね」
「はい、本当に……」
「——さて、お喋りはこれ位で。ようこそいらっしゃいました」
老司祭の声に続き、青年は小窓の前で跪く。
狭く薄暗い部屋で二人の祈りの言葉が、ひっそりと捧げられると、辺りにはどこか厳かな空気に包まれた。
「貴方がここへいらしたこと、心より嬉しく思います」
間仕切りの向こうからは、躊躇うような吐息が漏れ聞こえる。
「さあ、どうぞ心を開いて。その胸の内の告白を」
穏やかに促す言葉に、間仕切りの向こうの人物は深く呼吸をすると、ぽつりぽつりと呟き出した。
「え、と……あの、私の名前は、ジョヴァンニ・エス——」
「お名前は結構。告解の場では不要なことをご存知でしょう?」
「あっ……ええと。最後の告解は、多分、今の仕事に着く前です。だから二十二の頃……五年も昔なので……すみません、つまり、すっかり忘れていました。正直、私は信仰には厚くありません。こんなこと、ここで言うべきではありませんが……」
その声は悄然としていて、彼がここへ来るまでに、多くの葛藤で消耗していたであろうことが聞いて取れた。
「あなたはここへ来て、心を開くことを選ばれた。それだけでよいではありませんか」
司祭が笑えば、青年は震える息を吐きながら、はい、と答えた。
「……私は、ある物——いえ、ある男を裏切りました。」
部屋に、声が響く。
「彼は、SCP-****と呼ばれていました。SCP……私が所属する『財団』と呼ばれる組織で、確保・収容・保護している異常な物や存在の総称です。彼もまたSCPでした。スパーダと呼ばれる悪魔と、エヴァと呼ばれる人間の間に生まれた半魔。信じてはいただけないでしょうが、本当に超常的な存在——彼は存在するです。司祭様、どうか信じてください」
縋るような青年の声に、老司祭は答える。
「勿論。あなたを信じますよ。だからどうか、あなたも私を信じてお話しください」
真摯な想いが伝わったのだろう。
青年はほっとしたようで、間仕切り越しに笑みが見えたような気がした。
「……ありがとう、司祭様。彼は、以前は悪魔狩りを生業として、人の社会で生きていたそうです。心臓を貫かれても死なない身体。悪魔を塵一つ残さず葬る力……彼は強大な存在で、島を一つ消滅したことすらありました」
老司祭は遮ることもなく、青年の話に耳を傾ける。
「けれど彼は、自らの意思で財団に収容されたんです。彼が持つ、ある目的のために。私は、大学で遺伝子工学を専攻していました。そこで学んだ知識や技術は、彼の目的を果たすために必要でした。だから私は、彼の収容に関するプロジェクトチームに配属されたんです」
淀みの無く語られる内容は、SF映画ともホラー小説ともつかない、荒唐無稽なものだった。
気狂いの妄想か。
そう片付けることもできただろうが、老司祭はそうはしなかった。
「彼は、銀の髪に、酷く整った顔……そして少し浅黒い肌と、人間と少しも変わらない姿していました。SCP-****……いいえ、ダンテです。彼が収容される前、父と母から授かった名前は、ダンテと言ったんです。私とダンテが初めて出会ったのは、彼が収容されてすぐのことです。まだその時の私は知りませんでしたが、ダンテの目的……その準備のために、私は彼の検査をすることになっていました。まずは最初に、採血をする必要がありました。採血の際、私は彼をSCP-****、と呼びました。それが財団の規則だからです。けれどSCP-****は言いました。『ダンテって呼んでくれよ』と。けれどその時の私は、彼の申し出を断りました。ダンテは笑って、『つれないな』、とだけ言いました」
間仕切りに映る影が動く。
青年は手を組んだようだ。
「それから私は、ダンテのバイタルチェック担当になりました。彼の生体データを収集するんです。私は毎日、ダンテと話をしました。財団の規則では、会話は最低限のものに限ることと定められていました。だから私は、ずっと職務に忠実であろうとしたんです。それに、SCPは人間じゃない。ただの物なのだから、意思疎通なんて必要ないんです。だから彼と交わすのは挨拶だけ。そう決めていたのに……ダンテはずっと私に話しかけてくるんです。名前は何か、歳はいくつか、好きな食べ物は何か、普段聞く音楽は、何でそんなに字が汚いのか……ずっと私を質問攻めにするんです。私は最初は無視していて、でも余りに煩くて、仕方なく答えました。名前から始まって……私達は同い年であることや、兄弟がいること辺りから、話したと思います。それから私と彼は、今日外はどんな天気だとか、週末に見た映画の感想だとか、最近どんなことに凝っているとか……気付けば私は、ダンテとそんな『普通』の会話をするようになって……いつだったか、口実を作って、二人でピザを食べたこともありました」
「なるほど。あなたとダンテは友人になった、と。そういうことでしょうか」
司祭は青年に問いかけたが、答えは返ってこない。
青年はしばらく沈黙し、その質問を黙殺した。
「……話を戻します。最初にお話しした通り、ダンテが財団に収容されたのには目的がありました。彼の目的は、兄——バージルに会うことです。そして私はダンテの採血をしました。高精度のゲノム解析にかけるためです。ダンテから採取した素材を、SCP-XXXX-1の再構築に用いても問題無いか、確認しなければならなかったんです。SCP-XXXX-1とは、ダンテより少し前に収容された、アノマリー群の名称です。SCP-XXXX-1は……つまり……百以上の部位に、その、バラバラにされた……男性、です。」
青年の手の影が揺れ始める。
声色も不安定になりつつあるが、青年は告白をやめなかった。
「……SCP-XXXX-1は、生きているんです。今も、細切れにされてなお、生きているんです。そしてSCP-XXXX-1は……ダンテの、血を分けた……双子の兄、なんです」
そこで一旦話は途切れ、青年の呼吸が荒くなる。
司祭は少し身を乗り出して、間仕切りへと顔を近づけた。
「大丈夫ですか?辛ければ、休まれても構いませんよ。私はずっとここにおりますから」
「っ……いえ、司祭様。結構、結構です。お気遣いに感謝を」
青年は大きく息を吸っては吐くことを、何度かゆっくり繰り返した。
それは詰まりそうな言葉を紡ぐために、必死に息を継ぐためだった。
「……財団に収容されたSCP-XXXX-1を繋ぎ合わせて、兄を取り戻したい。たとえそれが、かつてと全く違う姿であっても。それでも兄と会いたいのだと。ただそれだけが、ダンテの望みでした」
ごほっ、と咳が聞こえた。
狭まる喉を抉じ開けているのだろう。
司祭は目を細め、青年の影を見つめる。
「私がダンテに、DNA解析結果を伝えた時のことです。ダンテとSCP-XXXX-1——バージルとのDNA情報が殆ど一致していることを説明したところ、ダンテはびっくりする程食いついてきたんです。『自分とバージルはどこが同じなんだ』『それぞれの遺伝子は、どんな意味があるのか』『見た目とDNAは関係ないのか』って……私は勢いに飲まれて、随分長い間ダンテの質問に答えていました。多分二時間くらいだったと思います。おかげでその日のバイタルチェックは散々でした。でも、その日、ダンテは最後にこう言ったんですよ」
「——『ああ、まだ俺とバージルは、ちゃんと兄弟のままなんだな』、って」
青年の気配が濃くなった。
どうやら小窓へと近付いたらしい。
司祭はそれを咎めることなく黙している。
「司祭様。彼はSCPです。SCPの筈なんです。彼は人間ではない。サーチュイン1の異常活性、未知のDNA修復機構、フリーラジカルの漏出が殆ど見られないミトコンドリア……明らかにホモ・サピエンスの範囲から逸脱した存在だ。けれど司祭様。ダンテはストロベリーサンデーが食べたいと駄々を捏ねるんです。いつも読んでいる雑誌が休刊すると落ち込むし、私が兄弟の話をすると、嬉しそうに笑うんです。ねえ、司祭様。僕にはわからないんです。ダンテ達と私達人間。どこがどう違うのかが」
堰を切ったような訴えが、ぴたりと止まった。
その後、か細い声が振り絞ってられたのは、五分程経ってからだ。
「……三ヶ月前のことです。僕は上司のムーア主任研究員に指示を受けたんです。『SCP-XXXX-1の再構築に使うから、『素材群・ギルバ』を用意しておくように』と。『ギルバ』というのは、とある島で見つかった、生体反応のある臓器や組織群の総称です。検査の結果、多少の相違はあるものの、凡その数値やDNA情報はバージルと同一であり、再構築に用いても拒絶反応は起きないと判断されたんです」
こほん、とまた咳が聞こえた。
「やはり、一度休まれては——」
「いいえ。いいえ、司祭様。僕は話さなくてはいけないんです。どうか、どうか止めないでください」
繰り返される咳は、余りにも苦しげだ。
しかし青年は話すのを止めようとはしなかった。
「僕はわかっていました。それを用いて再構築されたものは、最早バージルたり得ない。ギルバをバージルの再構築に使えば、ダンテが望んだ兄との再会は永遠に失われる」
間仕切りの影が小さくなった。
身体は丸まり、肩は小刻みに震えている。
「……だけど僕は、それを止めませんでした。僕には、歳が離れた弟と妹がいます。両親はもう亡くなっています。兄はいましたが、僕を大学に行かせるために、無理をして、もう——」
咳は嗚咽に変わっていた。
慇懃の仮面がぼろぼろと崩れ、隠されていた感情が現れる。
痛ましいほどに生々しく、剥き出しにされた感情が。
「僕は、妹と弟を養わなくてはならない。学校にも行かせてやりたいんです。兄が僕にしてくれたように。だからムーアの言うことに逆らうなんてできない。金が必要なんです。ダンテが、あんなにもバージルと会えることを待ち焦がれていると知っていても。それでも僕は、ムーアの指示に従った。金のために。ダンテに黙って、ギルバを、バージルに!!」
それは告解ではなかった。
自らの罪を曝け出した上での断罪だった。
意図した行動かはわからない。
しかし恐らくは、青年ははなから赦しを乞うつもりなどなかったのだろう。
「……人は守りたいものを、全て守れるほど強くはない。あなたは、何を守らなくてはならないかを見失わず、守るべきものを守った。それだけで十分過ぎる。そう思うことはできませんか」
「いいえ、司祭様。そんな風には思えません。僕には他にも、選択肢があった筈なんです」
「……私にはそうは思えないがね」
「僕はダンテとピザを食べました。手掴みで、二枚まとめて食べてやりました。でもね、司祭様。僕はその手で、ダンテがバージルの身体を抉って捨てた、臓器や肉を拾ったんです。床に血がたくさん飛び散っていました。脂や骨や消化液の臭いが混じって吐きそうでした。でも僕はダンテが捨てたものを全部残らず拾いました。拾って食器でも洗うみたいに、じゃぶじゃぶ水で洗ったんです。ねえ、知っていますか?司祭様。バージルもギルバも、中身は人間そっくりなんです。僕にはダンテも、バージルも、ギルバも、全部、全部人間に思えてならないんです。なのに僕は、彼らを物みたいに扱えるんです!頭では人と同じだなんてと思いながら……おかしいでしょう?何て恥知らずの偽善者だ!僕は、僕は——!!」
「ジョヴァンニ」
青年ははっと顔を上げる。
間仕切りには、老司祭の手の形が薄っすらと浮かび上がっていた。
「ジョヴァンニ、おいで。ここに手を」
息を切らした青年は、暫く逡巡していたが、やがて引き寄せられるように、間仕切りの手へと掌を重ねた。
「ああ、いい子だ」
我が子に語りかけるのと同じ声で、老司祭は語りかける。
「うん、思った通りだ。君の手は温かい。それに触れ方もとても優しい。こんな手を持つ人が、悪人である筈がない」
「でも司祭様、僕は……」
「おや、私が嘘を吐いていると?」
「……!そんなつもりは……!」
「では信じなさい。私の言葉を。君は悪人などではない。いいね?」
穏やかな、けれど重い口調に、青年は口を噤んだ。
その指には力が籠り、間仕切りを挟んだ司祭の手へ爪を立てるように戦慄 いていた。
「——司祭様。僕はどうすればいいでしょう。この手はどうしようもないくらい汚れてるんです。もうピザは食べられない。弟や妹を抱き締めることだって、僕は……」
「なら私が濯 ごう。君が手の記憶に苛まれるなら、いつだってここへ来るといい。私が必ず何度でも、君のその手を濯ぐから。だからジョヴァンニ。独りで全てを背負うのはやめなさい」
老司祭の手が、慈しむように青年の手をなぞる。
「君は大いに悔い、罪を告白した。だから君は赦される。償う機会を得ることができるのだよ」
「……はい」
「善く生きなさい。二度と過ちを犯さないように。また友人と、笑いあえる日が来るように。家族に誇れる道を、これから歩んでいきなさい。そうすればきっと、君は——君達は、幸 いを得られる」
青年の手は強張り、再び嗚咽が漏れ始める。
しかし何度か大きな咳をした後、青年は静かに、だがはっきりと答えた。
「…………はい、司祭様」
手が、ゆっくりと離れていく。
音も立てずに、少しずつ離れていく。
「司祭様」
青年は呟いた。
「……僕達はまた、ピザを食べられる日が来るでしょうか?」
老司祭は答えた。
「ええ、きっと」
その言葉を、青年がどう捉えたかはわからない。
しかし嗚咽は次第に治り、部屋には静けさが戻ってきた。
「……お聞き苦しい話、申し訳ありませんでした」
「いいえ、私こそ言葉が乱れました。お恥ずかしい限りです」
かたんという物音で、青年が立ち上がったのがわかった。
鼻を大きく啜ると、青年は軽く身なりを整え、姿勢を正す。
「司祭様、心からの感謝を。」
「こちらこそ、よくお話しくださいました。私はいつもここにいます。またいつでもいらしてください」
老司祭が、とんとん、と指で間仕切りを突 くと、くすっと笑みが漏れ聞こえた。
青年が祈りを捧げると、その気配は遠のいていく。
ぱたんと扉が閉ったのを聞き届けると、老司祭は深く椅子に腰掛け直し、目頭を押さえて嘆息した。
「——ああ。君が最後にここへ来たのは、三週間前だったのだよ。エ ス テ ィ ゴ ー ル 君 」
老司祭は耳のインカムのスイッチに触れると、天井のカメラを見ながら話し始める。
「……見ての通りだ。誰だね?前回の記憶処理を担当したのは……オーリエ?……なるほど、例の新入りか。指導担当に、処理が甘いと伝えておき給え」
老司祭は額を抑え、気怠げに体勢を崩して言った。
「そうだな、記憶処理はBを……何、『解雇』?全く……ぞっとしないな。いいかね?資源は有限だ。彼のような優秀な人材は、そう多くない。使える内は、安易に処分すべきではないと思うがね。財団は冷酷だが、残酷ではない。くれぐれもそれを忘れないように」
それから老司祭はいくつか指示を出すと、倦厭とした様子でインカムを机に置いた。
独りになった空間。
そこで老司祭は、再び間仕切りへ触れ、そっと目を伏せる。
「……全てを守れるなど、傲慢な思い違いだ。肝要なのは、守るべきものを間違えないこと。他の何を投げ打ってでも、それを守り抜くこと。たとえそれがどれほと恥知らずで、罪深い行いだとしても」
ざり、と爪で掻いた網目が鳴った。
老司祭は間仕切りへと額を押し付け、嘆くように囁いた。
「——どうか善き人生を。ジョヴァンニ」
神へと届かぬ祈りの言葉は、虚しく大気へと消えていった。
「風邪ですか」
老司祭が壁の小窓を開くと、目の細かい網状の間仕切りが現れる。
「あ……すみません。もう検査は陰性なんですが、喉が少しやられていて……」
青年なのだろう。
嗄れてはいるが若々しい声に、老司祭は微笑んだ。
「構いません。長引いて大変ですね」
「はい、本当に……」
「——さて、お喋りはこれ位で。ようこそいらっしゃいました」
老司祭の声に続き、青年は小窓の前で跪く。
狭く薄暗い部屋で二人の祈りの言葉が、ひっそりと捧げられると、辺りにはどこか厳かな空気に包まれた。
「貴方がここへいらしたこと、心より嬉しく思います」
間仕切りの向こうからは、躊躇うような吐息が漏れ聞こえる。
「さあ、どうぞ心を開いて。その胸の内の告白を」
穏やかに促す言葉に、間仕切りの向こうの人物は深く呼吸をすると、ぽつりぽつりと呟き出した。
「え、と……あの、私の名前は、ジョヴァンニ・エス——」
「お名前は結構。告解の場では不要なことをご存知でしょう?」
「あっ……ええと。最後の告解は、多分、今の仕事に着く前です。だから二十二の頃……五年も昔なので……すみません、つまり、すっかり忘れていました。正直、私は信仰には厚くありません。こんなこと、ここで言うべきではありませんが……」
その声は悄然としていて、彼がここへ来るまでに、多くの葛藤で消耗していたであろうことが聞いて取れた。
「あなたはここへ来て、心を開くことを選ばれた。それだけでよいではありませんか」
司祭が笑えば、青年は震える息を吐きながら、はい、と答えた。
「……私は、ある物——いえ、ある男を裏切りました。」
部屋に、声が響く。
「彼は、SCP-****と呼ばれていました。SCP……私が所属する『財団』と呼ばれる組織で、確保・収容・保護している異常な物や存在の総称です。彼もまたSCPでした。スパーダと呼ばれる悪魔と、エヴァと呼ばれる人間の間に生まれた半魔。信じてはいただけないでしょうが、本当に超常的な存在——彼は存在するです。司祭様、どうか信じてください」
縋るような青年の声に、老司祭は答える。
「勿論。あなたを信じますよ。だからどうか、あなたも私を信じてお話しください」
真摯な想いが伝わったのだろう。
青年はほっとしたようで、間仕切り越しに笑みが見えたような気がした。
「……ありがとう、司祭様。彼は、以前は悪魔狩りを生業として、人の社会で生きていたそうです。心臓を貫かれても死なない身体。悪魔を塵一つ残さず葬る力……彼は強大な存在で、島を一つ消滅したことすらありました」
老司祭は遮ることもなく、青年の話に耳を傾ける。
「けれど彼は、自らの意思で財団に収容されたんです。彼が持つ、ある目的のために。私は、大学で遺伝子工学を専攻していました。そこで学んだ知識や技術は、彼の目的を果たすために必要でした。だから私は、彼の収容に関するプロジェクトチームに配属されたんです」
淀みの無く語られる内容は、SF映画ともホラー小説ともつかない、荒唐無稽なものだった。
気狂いの妄想か。
そう片付けることもできただろうが、老司祭はそうはしなかった。
「彼は、銀の髪に、酷く整った顔……そして少し浅黒い肌と、人間と少しも変わらない姿していました。SCP-****……いいえ、ダンテです。彼が収容される前、父と母から授かった名前は、ダンテと言ったんです。私とダンテが初めて出会ったのは、彼が収容されてすぐのことです。まだその時の私は知りませんでしたが、ダンテの目的……その準備のために、私は彼の検査をすることになっていました。まずは最初に、採血をする必要がありました。採血の際、私は彼をSCP-****、と呼びました。それが財団の規則だからです。けれどSCP-****は言いました。『ダンテって呼んでくれよ』と。けれどその時の私は、彼の申し出を断りました。ダンテは笑って、『つれないな』、とだけ言いました」
間仕切りに映る影が動く。
青年は手を組んだようだ。
「それから私は、ダンテのバイタルチェック担当になりました。彼の生体データを収集するんです。私は毎日、ダンテと話をしました。財団の規則では、会話は最低限のものに限ることと定められていました。だから私は、ずっと職務に忠実であろうとしたんです。それに、SCPは人間じゃない。ただの物なのだから、意思疎通なんて必要ないんです。だから彼と交わすのは挨拶だけ。そう決めていたのに……ダンテはずっと私に話しかけてくるんです。名前は何か、歳はいくつか、好きな食べ物は何か、普段聞く音楽は、何でそんなに字が汚いのか……ずっと私を質問攻めにするんです。私は最初は無視していて、でも余りに煩くて、仕方なく答えました。名前から始まって……私達は同い年であることや、兄弟がいること辺りから、話したと思います。それから私と彼は、今日外はどんな天気だとか、週末に見た映画の感想だとか、最近どんなことに凝っているとか……気付けば私は、ダンテとそんな『普通』の会話をするようになって……いつだったか、口実を作って、二人でピザを食べたこともありました」
「なるほど。あなたとダンテは友人になった、と。そういうことでしょうか」
司祭は青年に問いかけたが、答えは返ってこない。
青年はしばらく沈黙し、その質問を黙殺した。
「……話を戻します。最初にお話しした通り、ダンテが財団に収容されたのには目的がありました。彼の目的は、兄——バージルに会うことです。そして私はダンテの採血をしました。高精度のゲノム解析にかけるためです。ダンテから採取した素材を、SCP-XXXX-1の再構築に用いても問題無いか、確認しなければならなかったんです。SCP-XXXX-1とは、ダンテより少し前に収容された、アノマリー群の名称です。SCP-XXXX-1は……つまり……百以上の部位に、その、バラバラにされた……男性、です。」
青年の手の影が揺れ始める。
声色も不安定になりつつあるが、青年は告白をやめなかった。
「……SCP-XXXX-1は、生きているんです。今も、細切れにされてなお、生きているんです。そしてSCP-XXXX-1は……ダンテの、血を分けた……双子の兄、なんです」
そこで一旦話は途切れ、青年の呼吸が荒くなる。
司祭は少し身を乗り出して、間仕切りへと顔を近づけた。
「大丈夫ですか?辛ければ、休まれても構いませんよ。私はずっとここにおりますから」
「っ……いえ、司祭様。結構、結構です。お気遣いに感謝を」
青年は大きく息を吸っては吐くことを、何度かゆっくり繰り返した。
それは詰まりそうな言葉を紡ぐために、必死に息を継ぐためだった。
「……財団に収容されたSCP-XXXX-1を繋ぎ合わせて、兄を取り戻したい。たとえそれが、かつてと全く違う姿であっても。それでも兄と会いたいのだと。ただそれだけが、ダンテの望みでした」
ごほっ、と咳が聞こえた。
狭まる喉を抉じ開けているのだろう。
司祭は目を細め、青年の影を見つめる。
「私がダンテに、DNA解析結果を伝えた時のことです。ダンテとSCP-XXXX-1——バージルとのDNA情報が殆ど一致していることを説明したところ、ダンテはびっくりする程食いついてきたんです。『自分とバージルはどこが同じなんだ』『それぞれの遺伝子は、どんな意味があるのか』『見た目とDNAは関係ないのか』って……私は勢いに飲まれて、随分長い間ダンテの質問に答えていました。多分二時間くらいだったと思います。おかげでその日のバイタルチェックは散々でした。でも、その日、ダンテは最後にこう言ったんですよ」
「——『ああ、まだ俺とバージルは、ちゃんと兄弟のままなんだな』、って」
青年の気配が濃くなった。
どうやら小窓へと近付いたらしい。
司祭はそれを咎めることなく黙している。
「司祭様。彼はSCPです。SCPの筈なんです。彼は人間ではない。サーチュイン1の異常活性、未知のDNA修復機構、フリーラジカルの漏出が殆ど見られないミトコンドリア……明らかにホモ・サピエンスの範囲から逸脱した存在だ。けれど司祭様。ダンテはストロベリーサンデーが食べたいと駄々を捏ねるんです。いつも読んでいる雑誌が休刊すると落ち込むし、私が兄弟の話をすると、嬉しそうに笑うんです。ねえ、司祭様。僕にはわからないんです。ダンテ達と私達人間。どこがどう違うのかが」
堰を切ったような訴えが、ぴたりと止まった。
その後、か細い声が振り絞ってられたのは、五分程経ってからだ。
「……三ヶ月前のことです。僕は上司のムーア主任研究員に指示を受けたんです。『SCP-XXXX-1の再構築に使うから、『素材群・ギルバ』を用意しておくように』と。『ギルバ』というのは、とある島で見つかった、生体反応のある臓器や組織群の総称です。検査の結果、多少の相違はあるものの、凡その数値やDNA情報はバージルと同一であり、再構築に用いても拒絶反応は起きないと判断されたんです」
こほん、とまた咳が聞こえた。
「やはり、一度休まれては——」
「いいえ。いいえ、司祭様。僕は話さなくてはいけないんです。どうか、どうか止めないでください」
繰り返される咳は、余りにも苦しげだ。
しかし青年は話すのを止めようとはしなかった。
「僕はわかっていました。それを用いて再構築されたものは、最早バージルたり得ない。ギルバをバージルの再構築に使えば、ダンテが望んだ兄との再会は永遠に失われる」
間仕切りの影が小さくなった。
身体は丸まり、肩は小刻みに震えている。
「……だけど僕は、それを止めませんでした。僕には、歳が離れた弟と妹がいます。両親はもう亡くなっています。兄はいましたが、僕を大学に行かせるために、無理をして、もう——」
咳は嗚咽に変わっていた。
慇懃の仮面がぼろぼろと崩れ、隠されていた感情が現れる。
痛ましいほどに生々しく、剥き出しにされた感情が。
「僕は、妹と弟を養わなくてはならない。学校にも行かせてやりたいんです。兄が僕にしてくれたように。だからムーアの言うことに逆らうなんてできない。金が必要なんです。ダンテが、あんなにもバージルと会えることを待ち焦がれていると知っていても。それでも僕は、ムーアの指示に従った。金のために。ダンテに黙って、ギルバを、バージルに!!」
それは告解ではなかった。
自らの罪を曝け出した上での断罪だった。
意図した行動かはわからない。
しかし恐らくは、青年ははなから赦しを乞うつもりなどなかったのだろう。
「……人は守りたいものを、全て守れるほど強くはない。あなたは、何を守らなくてはならないかを見失わず、守るべきものを守った。それだけで十分過ぎる。そう思うことはできませんか」
「いいえ、司祭様。そんな風には思えません。僕には他にも、選択肢があった筈なんです」
「……私にはそうは思えないがね」
「僕はダンテとピザを食べました。手掴みで、二枚まとめて食べてやりました。でもね、司祭様。僕はその手で、ダンテがバージルの身体を抉って捨てた、臓器や肉を拾ったんです。床に血がたくさん飛び散っていました。脂や骨や消化液の臭いが混じって吐きそうでした。でも僕はダンテが捨てたものを全部残らず拾いました。拾って食器でも洗うみたいに、じゃぶじゃぶ水で洗ったんです。ねえ、知っていますか?司祭様。バージルもギルバも、中身は人間そっくりなんです。僕にはダンテも、バージルも、ギルバも、全部、全部人間に思えてならないんです。なのに僕は、彼らを物みたいに扱えるんです!頭では人と同じだなんてと思いながら……おかしいでしょう?何て恥知らずの偽善者だ!僕は、僕は——!!」
「ジョヴァンニ」
青年ははっと顔を上げる。
間仕切りには、老司祭の手の形が薄っすらと浮かび上がっていた。
「ジョヴァンニ、おいで。ここに手を」
息を切らした青年は、暫く逡巡していたが、やがて引き寄せられるように、間仕切りの手へと掌を重ねた。
「ああ、いい子だ」
我が子に語りかけるのと同じ声で、老司祭は語りかける。
「うん、思った通りだ。君の手は温かい。それに触れ方もとても優しい。こんな手を持つ人が、悪人である筈がない」
「でも司祭様、僕は……」
「おや、私が嘘を吐いていると?」
「……!そんなつもりは……!」
「では信じなさい。私の言葉を。君は悪人などではない。いいね?」
穏やかな、けれど重い口調に、青年は口を噤んだ。
その指には力が籠り、間仕切りを挟んだ司祭の手へ爪を立てるように
「——司祭様。僕はどうすればいいでしょう。この手はどうしようもないくらい汚れてるんです。もうピザは食べられない。弟や妹を抱き締めることだって、僕は……」
「なら私が
老司祭の手が、慈しむように青年の手をなぞる。
「君は大いに悔い、罪を告白した。だから君は赦される。償う機会を得ることができるのだよ」
「……はい」
「善く生きなさい。二度と過ちを犯さないように。また友人と、笑いあえる日が来るように。家族に誇れる道を、これから歩んでいきなさい。そうすればきっと、君は——君達は、
青年の手は強張り、再び嗚咽が漏れ始める。
しかし何度か大きな咳をした後、青年は静かに、だがはっきりと答えた。
「…………はい、司祭様」
手が、ゆっくりと離れていく。
音も立てずに、少しずつ離れていく。
「司祭様」
青年は呟いた。
「……僕達はまた、ピザを食べられる日が来るでしょうか?」
老司祭は答えた。
「ええ、きっと」
その言葉を、青年がどう捉えたかはわからない。
しかし嗚咽は次第に治り、部屋には静けさが戻ってきた。
「……お聞き苦しい話、申し訳ありませんでした」
「いいえ、私こそ言葉が乱れました。お恥ずかしい限りです」
かたんという物音で、青年が立ち上がったのがわかった。
鼻を大きく啜ると、青年は軽く身なりを整え、姿勢を正す。
「司祭様、心からの感謝を。」
「こちらこそ、よくお話しくださいました。私はいつもここにいます。またいつでもいらしてください」
老司祭が、とんとん、と指で間仕切りを
青年が祈りを捧げると、その気配は遠のいていく。
ぱたんと扉が閉ったのを聞き届けると、老司祭は深く椅子に腰掛け直し、目頭を押さえて嘆息した。
「——ああ。君が最後にここへ来たのは、三週間前だったのだよ。
老司祭は耳のインカムのスイッチに触れると、天井のカメラを見ながら話し始める。
「……見ての通りだ。誰だね?前回の記憶処理を担当したのは……オーリエ?……なるほど、例の新入りか。指導担当に、処理が甘いと伝えておき給え」
老司祭は額を抑え、気怠げに体勢を崩して言った。
「そうだな、記憶処理はBを……何、『解雇』?全く……ぞっとしないな。いいかね?資源は有限だ。彼のような優秀な人材は、そう多くない。使える内は、安易に処分すべきではないと思うがね。財団は冷酷だが、残酷ではない。くれぐれもそれを忘れないように」
それから老司祭はいくつか指示を出すと、倦厭とした様子でインカムを机に置いた。
独りになった空間。
そこで老司祭は、再び間仕切りへ触れ、そっと目を伏せる。
「……全てを守れるなど、傲慢な思い違いだ。肝要なのは、守るべきものを間違えないこと。他の何を投げ打ってでも、それを守り抜くこと。たとえそれがどれほと恥知らずで、罪深い行いだとしても」
ざり、と爪で掻いた網目が鳴った。
老司祭は間仕切りへと額を押し付け、嘆くように囁いた。
「——どうか善き人生を。ジョヴァンニ」
神へと届かぬ祈りの言葉は、虚しく大気へと消えていった。
14/14ページ
