Today’s Games

大通りを少し入ったところに、そのレストランはあった。
白い西洋漆喰ライムプラスターの壁は、落ち着いた明度の赤いカーテンで彩られている。
同じ色調の絨毯には金の葉あざみアカンサスが咲き乱れるも、過度に豪奢な印象を与えないのは、重厚なカッティングが施された壁照明ブラケットランプのガラスシェード越しの明かりのお陰だろう。
古式ゆかしい造りの店内に、さりげなく設えられたモダンな調度品。
そこに集う客達も、賑やかなれど騒がしらぬ、そんな紳士淑女で占められている。
やや面長の顔立ちの青年は、ソファ席から品定めをするように彼らを見回した。
神経質に撫でつけられた髪に、磨き上げられたチゼルトウの紐付き革靴オックスフォードシューズ
細身の英国様式ブリティッシュスタイルのダブルスーツに身を包んだ青年は、その空間に見事に溶け込んでいた。
ことは全て、上手くいくかのように思われた。
『彼ら』が、来るまでは。


「さすが雷鳥狩りの解禁日Glorious Twelfthだな。獲れたての雷鳥グラウス目当ての客で賑やかなもんだ。」
青年の右前いるのは、清潔な店のカーテンとは正反対の、薄汚れた赤のコートを纏う男だった。
突然やって来て青年のテーブルに陣取ったこの男は、粗野な身なりに違わず、椅子の背もたれに身を預け、横柄な態度で上体を反らせている。
「なあ、バージル。覚えてるか?ガキの頃、このシーズンは親父と母さんに連れられて、こんな店に来てたよな。」
バージル、と呼ばれた男は、やはり青年の左前に鎮座しており、赤い男と対を成すかのように、黒いスウェードに青の荊の意匠が刺繍されたコートを身につけていた。
こちらは奇抜なデザインの服にもかかわらず、その居住まいは荘重を体現したかのようで、相対するものの口を自然と噤ませ、ともすれば首すら垂れさせかねないものだった。
単なる無礼な恥知らず、という訳ではないらしい。
「ああ。貴様は確か親父にこう言われていた。『ダンテ、背筋を伸ばして座りなさい。』」
「おい辞めろよ。歳喰ったお前がいうと、本当に親父に言われてるような気がする。」
赤い男——ダンテは煙たげに頭を振りつつ、すごすごと姿勢を正す。
「そうだ。『よく出来た、ダンテ。いい子だ』。こうも言われていたか。」
「だからマジで辞めろって。似てるのと面白いのはイコールじゃねえんだよ。おい、お前からも言ってやれって。」
ダンテはバージルを親指で指しながら、辟易した様子で青年へと促した。
青年は必死に笑顔を拵えると、結構、とだけ返す。
焦燥に駆られ、固唾すら枯れた青年は、やっとの思いで水杯ウォーターゴブレットに注がれた水を飲む。

——何故この男達は、自分と同じテーブルについている。

脈の速度が増していく。
冷え切った血液が青年の体を巡り、みるみる内に顔が、手が、視界が青褪めていった。
そんな青年には構いもせず、バージルはテーブルの鳥が描かれたボトルを手にしてつまらなそうに首を傾げる。
「食前酒に雷鳥ラベルのスコッチフェイマスグラウス?安直だな。」
「いいじゃねえか。こういうユーモアなんだよ。味だの何だのより、楽しむのが一番だ。」
「だが程度の低い酒は店の格に関わる。」
「格があるからこそできるお遊びだろ。てか、大体お前は普段からいい酒飲み過ぎなんだよ。」
ダンテが手ずからテイスティンググラスへとスコッチを注ぐ間、バージルは他の人間に意見を仰ぐでもなく、給仕ウェイターに当然のように注文を通していた。
今日のジビエToday’s Gamesを人数分。それからワインリストも貰おう。他は任せる。」
給仕ウェイターが下がるタイミングで、青年の前にグラスが差し出された。
波打つ琥珀色の液体に、青年の顔が映る。
水面に映る相貌は、この男たちがやって来てからのほんの僅かな時間で、まるで何百年もの間、耐え難い苦痛と窮乏に晒され続けたかのように窶れきってしまっていた。

——まだだ。まだ露見したとは決まっていない。

青年は内心、己に暗示をかけるべく、何度もそう繰り返した。
「何だよ、酷ぇ顔して。リラックスしてこうぜ。今日はお前と話をしたくて来たんだよ。」
グラスを揺らし、香りを堪能する姿は、先程までの下品な振る舞いからは想像し難い程、洗練されつつもごく自然な様で、青年は図らずもその目を奪われる。
それを知ってか知らずが、ダンテは青年へと問いかける。
「こっちに出て来たばかりで、俺達のことは知らねえよな?実は俺とバージルは育ちが悪くてね。そっち方面の教養だの常識だのはからっきしなんだ。だけどお前は見たところ、服のセンスはともかく仕立てはいい。作法マナーも教本通りで悪くない。中々学がありそうだ。だから教えてくれねえか。」
ダンテはグラスの中身を舐めると、にいっと笑う。

「魔界にも、人間狩りマンハントの解禁日ってのがあるのかね?」

——バレている。

青年は膝に乗せていた手を固く結ぶ。

今日のゲームToday’s Gamesを、とは言ったが、まさかジビエ料理The Gamesじゃなくて人狼ゲームThe Werewolf Gameが出てくるなんて、中々洒落がきいてるじゃないか。そう思うだろ?バージル。」

——何故?いつ?どこで?何が悪かった?そもそもこの男達は何者だ?

目が充血し、呼吸は荒く不規則になる。
青年の震駭は椅子やテーブルへと伝わり、人々の騒めきに陶器や金属の音が混じり出した。

「騒ぐな、見苦しい。」

青年の意識が、強制的に引き戻される。
やや高目の、しかし途方もない質量を持つ声に、青年の肉体は本能から震えを止めた。
「伝統ある栄光の十二日Glorious Twelfthの食事だ。弁えろ。」
王の眼前にいる。
青年はそう思った。
冷徹な暴君の前で、疑問も驚嘆も、恐怖すらも抱くことを禁じられた。
理解を超えたところで、そう確知させられたのだ。
王の卑しい従僕の如く、青年は悠然と食事を続ける二人の男の側に控えるしかない。
ロブスターとブラックマッシュルームのサラダ。
焼き野菜とスモークサーモンのテリーヌ。
ポロ葱とアーティチョークのスープ。
青年は皿を出される度に、給仕に下げるよう断りを入れる。
「食べないのか。」
メイン料理Today’s Games雷鳥グロウスのローストにナイフを入れつつ、バージルが青年へと尋ねた。
「悪くない味だ。ワインもいいものが揃っている。」
その刹那、青年はフォークが突き立てられる肉片に、自らの姿が重なって見えた。

「———貴様の最期の晩餐には、有り余る代物だ。」

青年が立ち上がったその時、鳩尾に激しい痛みが走った。
気付けば青年は、テーブルとソファに挟まれ、身動きが取れなくなっていた。
バージルがテーブルを水平に蹴飛ばし、青年を封じたのだ。
「言っただろう。弁えろ、と。」
泰然と座して青年を見据えるバージルは、抑揚の無い声で言った。
次いでダンテがこう続ける。
「目のつけどころはよかったと思うぜ。演劇賞総舐めの舞台女優に、この辺りの司教へ叙階間近の神父サマ。他にも紳士録Who’s Whoの常連がちらほらいる。化けて背乗りできりゃ、中々楽しめるラインナップだ。おまけに会場はレストランと来りゃ、『喰い散らかす』にはうってつけだからな。」

——最早、余地などない。

形容し難い音がした。
青年の背は文字通り『泡立ち』、物理法則を無視した膨張を始める。
上等なスーツは無惨にも破け、粗悪な鉄を打ち出したかのような皮膚にその幾らかが引っかかるだけとなった。
青年だった悪魔ものは、爬虫類を思わせる形状の手で、腹にめり込むテーブルを薙ぎ払う。
粉々に砕けた破片が、弾丸の如く人々を襲った。
悲鳴。
怒号。
咆哮。
店の中は四散した血と肉で修羅場と化す。

「そうだ!」

その、筈だった。

「バージル、思い出した!お前もレストランで母さんから小言貰ってたろ!『バージル、脚をバタバタさせちゃダメよ。』ってな!」

破片は誰一人傷つけることなく、宙に現れた『裂け目』へと消えていった。

「気色の悪い声を出すな。あれは貴様がテーブルの下で蹴ってきたのを、蹴り返してやっただけだ。」

悪魔は愕然とした。
パニックになった群衆が出口へと殺到する中、ダンテとバージルは和やかとすらあらわせる雰囲気で、のんびりとホールの中ほどに立っていたのだ。
片や悪魔の身を鍛えたかのような大剣を。
片や悍ましい程澄み切った刃の刀を。
それぞれの手に携えて。
そこに至って、悪魔は漸く思い知ったのだ。
自分が『誰』と対峙してたのかを。

——スパーダの息子達。

悪魔は狂乱のままに、二人へ向かって鉤爪を繰り出す。
形も振りも構わない斬撃は、こちらに目もくれないダンテによって、いとも簡単に弾かれた。
「悪い悪い。こっちで話し込んじまった。」
悪魔は喉を大きく開き、臓腑から湧く毒液を吐きかけた。

——せめて片割れだけでも、道連れに。

その身の程を知らない驕りが、悪魔の命運を決定づけた。
ダンテは避けるでも無く、右の半顔にそれを受ける。
たちまちの内に透る碧い瞳は白濁し、溶解した皮膚と肉からは骨が露出した。
腐臭が、部屋に満ちる。
亡者の相を得たダンテは、悪魔をその眼で喰らうが如く大きく見開いた。

「———ああ・・可哀想に・・・・やっちまった・・・・・・やっちまったな・・・・・・・遂にやっちまったんだよ・・・・・・・・・・・お前は・・・。」

牙を剥き浮かべられたその笑顔に、悪魔は戦慄した。
「さて、いいニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい?」
悪魔は飛び退こうとした。
しかし瞬時に首を掴まれ、その場で高く吊し上げられる。
「じゃあまずは悪いニュースから。珍しく気に入った店はボロボロ、栄光の十二日Glorious Twelfthのディナーは台無しで、極め付けに俺はお前のせいでこの様ときてる。ついては我が兄・バージルはいたくお怒りだ。ここ最近でも、ダントツのレベルで、な。」
おかしくて堪らないという風に、ダンテは弾んだ声で言う。
隣に佇むバージルは、顔色一つ変えぬまま、ただ静かに悪魔を見ている。
ミシミシと骨が鳴る。
足掻き立てるも、ダンテの腕は微動だにしない。
「それじゃあお次はいいニュースを。」
まるで子供がボールを投げるように。
ぽん、と悪魔は空へと投げられた。
何の価値もないその魂と同じく、軽く、高く。

「お前、苦しまずに死ねるぜ。」

右手に握られた魔剣が、横一閃に振り抜かれる。
硬軟の組織が挫滅する音を撒き散らしながら、悪魔は派手に吹き飛ばされた。
空気の摩擦で、皮膚が焦げる臭いが広がる。
「行ったぜ、バージル!」
悪戯っぽい声がした。
悪魔がその名の主を、視界に捉える。
深淵よりも暗い瞳。
そう認識すると同時に、悪魔の視界は無数に分裂した。

それが、哀れな悪魔が見た最後の光景だった。

「ええと、お別れの祈りは何だった?聖書に曰く、クソに過ぎないお前はクソに、Shit thou art, to shit returnestか?」

びちゃり、と床に悪魔だったものが叩きつけられた。
「下らんことを言うな。」
挽肉というよりも、液体とでも形容すべきか。
その無惨な有様に、ダンテは仰々しく頭を下げた。
バージルは閻魔刀を鞘へと納め、呆れたように顔を顰める。
「あーあ。荒事にすんなって言ったのはお前だってのに、どうすんだよコレ。」
ダンテは赤い『水溜まり』を足蹴にしながら、店の中を見渡した。
白い壁はひび割れ、絨毯の葉あざみアカンサスは血や泥で見る影もない。
壁照明ブラケットランプは根こそぎどこかへと消え去って、調度品も汚損の限りを尽くされていた。
「人死が出るよりマシだろう。後始末は、依頼主の仕事だ。」
その言葉に、ダンテはくっと笑いを漏らす。
「あのバージルが、獲物より人へ飛んでく瓦礫を優先しただけでも驚きなのに、人の生き死にまで気にするなんてなあ。何とも『人』ができてきたじゃねえか。」
そう言って、ダンテは嬉しそうにバージルと肩を組む。
バージルは煩わし気に手を振ってみせるが、肩に渡された手を振り解くには至らなかった。
「飲み直す。帰るぞ。」
「おっ、いいね。そういやここに来る前、良さそうな店見かけたんだ。どうだ?ちょっと寄ってみないか?」
「馬鹿か、貴様は。」
バージルは左手で、ぐいっとダンテの頬を擦った。
「いってぇ!何すんだよ!」
「その顔で行くつもりか?これ以上面倒事はごめんだ。」
弾みで肩から手が離れたのをいいことに、バージルはダンテと距離を取る。
「ちぇっ、つれねえなあ。手負いの弟に、もう少し優しくしてくれたっていいんじゃねえか。」
「俺を試す気か知らないが、その程度でお前に構うつもりはない。低俗な悪魔相手に傷など負っても、馬鹿が際立つだけだ。」
「辛辣だねえ、オニイサマは。」
ダンテは再生を始める顔を撫でながら、残念そうに眉を上げた。
「ま、何にせよそろそろ退散しないとな。外が騒がしくなる頃だ。」
瓦礫から拾い上げたナプキンを顔に撒き、ダンテはつまらなそうに呟いた。
その言葉通り、遠くからサイレンの音が聞こえ始めている。
二人は並んでエントランスへと向かい始めた。
バージルが先に、ドアの手摺へと手をかける。
「ダンテ。」
ドアを開けながら、バージルは言った。

「——俺と駆け引きGameをしたければ、もっと上手くやることだ。」

ダンテはぴたりと足を止める。

「早く治せ。そうしたら、その店とやらに行ってやる。」

続けられた言葉に、ダンテは数拍おいて破顔した。

「ああ、約束だぜ。バージル。」

ダンテは手にした魔剣を紅い光へと霧散させると、バージルの後を追い、軽い足取りでそのドアを潜った。
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