Spring Field
バージルは呆れを通り越して感心した。
強欲と暴食を器にすると、こんな形になるのか、と。
ある午後の昼下がり。
同じような格好の人間がたむろし、浮かれた音楽が流れる『そこ』で、バージルは
不思議な形の容器だ。
プラスチックの
そしてその真ん中を貫くように、大きなドリンクのカップが付けられており、奇妙な
なるほど、これなら容器を持ち替える手間もなく、フードとドリンクを同時に楽しめる。
とするなら、これは強欲と暴食に加え、怠惰すらも内包するのかもしれない。
「お前、また変なこと考えてるだろ。」
空から降ってきた声に、バージルは顔を上げる気にもならない。
無反応なバージルを他所に、声の主はさっさとその隣の椅子へ腰掛ける。
「例のピザ、向こうの三塁側のスタンド裏に店があったぜ。」
声の主——ダンテはピザを頬張りながらそう言った。
「有益な情報だ。一生使わんだろうがな。」
「後な、帰りがけに見かけたんだけどよ、ヘルメットに入ったストロベリーサンデーが手前のゲートの店で売ってたんだ。これ食ったらちょっと買いに行って来る。お前も一つ」
「いらん。」
「遠慮すんなって。球場ボールパークで飲まず食わずなんてナシだぜ、バージル。」
「知ったことか。そもそもお前にはこのポテトとチキンがあるだろう。これを片付けてからいけ。」
「それはお前のだって言ったろ。」
「ふざけるな。」
「今回『負けた』のはお前だ、言うこと聞けよ。」
バージルは、ぐ、と押し黙る。
ダンテはにやりと笑うと、バージルへ紙ナプキンの束を放り投げた。
そう。
バージルは、ダンテと共に野球のスタジアムにいた。
当然バージルは来たくて来た訳ではない。
ダンテに付き合わされた結果、ここにいるのだ。
魔界での『大喧嘩』以降、何かが吹っ切れたらしいダンテは、バージルを無理矢理人間界へと連れ戻し、途方もなく馬鹿げたことを持ち掛けてきた。
どこの
しかし当の本人は至って真面目に言っているようで、頑として主張を譲らない。
自ら選んだ道に悔いはないバージルに対し、ダンテはこれでもかというくらい、未練たらたらだったようだ。
何にせよ最終的には二人らしく、『勝った方の言うことを聞く』ということで落ち着いた。
『ダンテの提案一つごとに』としてやったのは、バージルなりの『施し』だ。
そうしてダンテがアイディアを思いつく度、二人は一戦交えることになった訳だが、今日は僅差でバージルが膝を折った。
そして肝心のダンテの提案はこうだ。
実際に連れて行かれるのはバージルの方だとか、一体野球観戦のどの辺りが『青春』なのだとか、バージルが納得がいかない点は大いにあった。
しかしダンテが勝った以上、その決定は絶対だ。
こうしてバージル達は
いつの間にかフィールドで始まっていた試合を、バージルはつまらなそうに眺めている。
何やらダンテは赤い方のチームを応援していて、
時折投手が速球を投げたり、打者がヒットを飛ばすが、ダンテが魔界で仕掛けてきた悪魔を使った『野球もどき』の方が、球速も飛距離も余程上で、感動というものが酷く薄い。
「………これは後どれだけ続く。」
「さあ?二時間半で終わる時もあれば、六時間近くやる時もある。」
「六時間?六時間だと?」
「いいじゃねえか、ゆっくりできるんだから。それに時間で言ったらクリケットよりはマシだ。今日中に終わる。」
「何もせずジャンクフードとビールを食らって、この球遊びを延々と見るのがお前の言う『青春』か。」
「ああ、いいだろ。」
ダンテはいつの間にか買ってきた、ストロベリーサンデー入りのヘルメットを抱えながら、相手のベンチを指差した。
「もう少ししたら、あっちの青いチームですげえ奴出てくると思うから見てみろよ。投げるのも打つのも上手いんだ。それに次の攻守交代の時はバズーカタイム。シャツとかの入った弾を、バズーカで客席にぶっ放すイベントがある。」
ダンテの予言通り、相手方チームのエースらしき人間は打席で豪快なアーチを放ち、その後チームのマスコットが、おもちゃのバズーカで何かのカプセルを客席に撃ち込んだ。
隣のブロックの客席の親子がそれをキャッチし、わあっと、歓声が上がった。
ダンテも座ったままではあるが、ビールを高く掲げて祝福する。
正直、全く面白くない。
バージルは例の器のストローを吸う。
普段なら絶対に飲まないコークは、ダンテがバージルのために『青春』の味として選んだ代物だ。
喉に絡むようなコーンシロップとカラメルの甘さは、バージルの好みとは程遠かった。
恐らく、平穏な人生を送っていたとしても、自分はこんな『青春』を選ばなかったろう。
ではどんな『青春』を送っていたかと問われてみても、具体的には答えられない。
ただ少なくとも、こんな炭酸入り砂糖水は飲まなかったろうし、こんな風に他人の挙動に一喜一憂し、大勢で笑い合うということはしなかったはずだ。
「楽しいか。」
バージルは純粋に浮かんだ疑問を投げかける。
「もちろん。」
ダンテはひょいと、バージルの器からフレンチフライを摘み上げた。
「満喫してるぜ。」
ぽい、とケチャップに塗れたポテトがダンテの口に放り込まれる。
その目はフィールドに向けられたままで、バージルを見ていない。
そういえば、とバージルは思い出す。
バージルはこの話が出た時も、ダンテが実際にはどんな『青春』を過ごしたのかを聞かなかった。
興味がなかった訳ではない。
ただ、あの口から生まれたようなダンテが、自らそれを語らなかった。
どんなことをしていたか。
どんな気持ちだったのか。
そのどれ一つとして、バージルに語らなかった。
だからバージルも聞かなかった。
ダンテがそう決めたのなら、と。
ただ、それだけだ。
「おい、バージル。」
ダンテが空を指差す。
その指先を目で追えば、そこには空ではなく巨大な電光掲示板があった。
画面にはスタンドにいるであろう若い男女が映っており、陽気な音楽に合わせてキスをした。
「ほら、キスカムだぜ。」
ダンテは言った。
「カメラにすっぱ抜かれたら、そいつらはキスするんだ。」
画面のテロップにはKiss Camとメルヘンチックなフォントが並び、ハートが散りばめられた
あるものは見せつけるように。
あるものは恥ずかしそうに。
あるものはダンスと共に。
次々とキスを披露していく。
何と悪趣味な、とバージルは露骨な顔を顰めた。
「…………これを本気で面白いと思ってやっているのか。」
「ノリだよ、ノリ。『愛のお裾分け』さ。」
ビールから口を離したダンテが唇を尖らせ、リップ音だけでバージルへとキスをした瞬間。
パッと画面が切り替わり、見慣れた顔が映し出された。
「おいバージル!見ろよ!」
ダンテが素っ頓狂な声を上げる。
「俺達だぜ!」
「………………………」
バージルは眉間の皺を深くした。
カメラを指差しけらけらと笑うダンテと、欲望の器を手にしたバージルが、ごてごてとデコレーションされた画面に映し出されている。
ダンテの軽薄なキスの真似事が、カメラマンの気でもひいたのだろうか。
ともかく周囲の観客も一斉に二人に注目し、揶揄うように
「ほら、バージル。キスしろよ!」
この程度のビールで酔うはずもないのに、ダンテはおどけて頬を指さす。
こんな晒し者にされて、何がそんなに楽しいのか。
バージルは改めて理解に苦しんだ。
辟易としたバージルは、ペーパーナプキンを広げると、指にケチャップを付け文字を書き殴る。
そしてそれに気付かないダンテを横目に、バージルはナプキンを高々と広げた。
会場がどっと沸く。
画面越しにそれを見たのだろう。
一瞬遅れて、ダンテは大笑いした。
「はははっ!バージル、つれねえなあ!」
ダンテはバンバンとバージルの背中を叩き、その後大袈裟にハグをした。
ぱしゃ、とビールが少し溢れ、バージルの背中を濡らす。
バージルが文句を言いかけたそのタイミングで、キスカムは老夫婦へと切り替わった。
「離れろ。」
「いいだろ、仲良くやろうぜ?『
「鬱陶しい。」
バージルはダンテを押し除けて、椅子へ再度腰掛けた。
周囲の観客は二人で拍手やらサムズアップやらで称えており、バージルは何だか居た堪れなさを覚える。
こういう場は、性に合わない。
今更ながら、ダンテに負けたことを後悔する。
手についたケチャップを舐め取りながら、バージルはダンテを見た。
ダンテは売り子から新しいビールを受け取って、何本目かわからない缶のプルトップを開けている。
その目に映るフィールドでは、バージル達の何分の一にも満たない打撃と投球の競り合いが再開されおり、ダンテは気持ち良さげに体を揺らしていた。
大歓声の中、微かに歌が聞こえる。
ビールを手にダンテが口ずさむ『
「………楽しいか。」
「ああ。」
ダンテは躊躇うこともなく答える。
「前はひとりだった。」
スタジアムの騒めきに、掻き消されそうな声で。
「———でも今は、隣にお前がいる。だから楽しい。」
今は、隣に。
もしかすると、とバージルは思う。
ダンテが望む『青春』とは、野球でもビールでもジャンクフードでもなく。
それは単に、バージルが隣にいる日々のことなのではないか。
そう思い至った時、バージルの胸に、ある想いが去来する。
もしダンテが思い描く『青春』が、バージルが思う通りのものだとしたら。
それならば、仮に自分が平穏な人生を送っていたとしても、ダンテと同じ『青春』を選んでいたかもしれない。
そして今。
平穏な人生が叶わなかった自分自身も、ダンテが望んだ『青春』を、同じように選んでみてもいいのかもしれない。
ダンテが隣にいる、『青春』を。
バージルはそんな風に感じていた。
———かきん。
「おおっ!」
一際通る音と共に、ダンテが突然立ち上がった。
「ホームランだ!」
スタジアムが熱狂に包まれる。
ダンテの目は子供のように輝いて、空を舞う白球を追いかけていた。
名前も知らない男が、ダイヤモンドを悠然と駆けているのが見える。
多分今が、この試合のハイライトなのだろう。
バージルの胸に、感動はない。
しかしそれでもバージルは、ダンテの隣で試合を見る。
走る男を目で追い、好きでもないコークを飲みながら。
青々としたフィールドを、静かに眺めていた。
結局試合は五時間に渡り、日はとっぷりと暮れている。
平均的な野球の試合などバージルが知る由もないが、ホームランの後の流れは明らかにぐだついており、ダンテ贔屓のチームも負けてしまった。
余りの退屈さから口慰みにと食べたポテトも、ケチャップですっかり萎びていて、バージルの疲労に拍車をかけていた。
無駄だとは言わないが、忍耐を要する時間だと、バージルは思う。
しかし。
ちらり、と後方のダンテを見る。
家路に着く人に紛れ、ほろ酔いで歩くその姿は、魔帝や覇王を打ち倒した英雄のそれとはかけ離れていた。
顔は満足げに緩み切り、どこか夢現といった感じだ。
疲れ切ったバージルと違い、ダンテはご所望だった『青春』にご満悦といった様子である。
無邪気な顔に、バージルは少しムッとする。こちらの気も知らず、ふわふわと浮つききったダンテが気に食わない。
バージルはざっと髪をかき上げた。
———最後くらいは、こちらも『青春』を味わわなければ割に合わない。
バージルはさっと振り返ると、立ち止まってダンテを待った。
人混みの中、何も知らないダンテはゆっくりとバージルのところまで歩いて来る。
「ん?どうした、バージ——」
バージルはその顎を軽く掬うと、唇に軽く触れるだけのキスをした。
ダンテはきょとんとして立ち尽くしている。
思惑通り虚をつけたバージルは、僅かばかりの溜飲を下げた。
「どうだった。『青春』とやらは。」
意趣返しとばかりにバージルが聞けば、ダンテはぱちぱちと目を瞬かせた。
そして小首を傾げて頬を掻くと、バージルへとこう切り出した。
「………ほら。青春って、甘酸っぱいって言うだろ。」
何の話だ、とバージルは怪訝に思う。
「ケチャップの味って、甘酸っぱいのカテゴリに入れていいと思うか?」
少し困ったように、しかし真剣に尋ねてくる弟。
その姿に、バージルは思わず吹き出しそうになる。
「…………自分で考えろ。」
バージルは痙攣する口を抑え、くるりと体を反転させた。
人が、地下鉄の入り口へと吸い込まれて行く。
ある者はチームへの愚痴をこぼしながら。
ある者はどこへ飲みへ繰り出すか話しながら。
思い思いに帰路へと着いている。
「バージルっ!」
背後から声が聞こえた。
「次はバスケを見に行こうぜ。今度とっておきのカードがあるんだ。」
ダンテの声は弾むようで、見ずともその間抜けな顔が思い浮かぶようだ。
バージルは振り向かない。
多分、今振り向けば自分も間抜けを晒してしまう。
そんな気がしていた。
バージルは追いかけて来る足音を聴きながら、地下への階段を降り始めた。
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