Someday, Over the Rainbow


雨上がりの太陽は、虹すらかき消すほどにぎらついていた。


渡り廊下を行った先。
中庭の隅に、その自販機はあった。
校内には他の自販機もあったが、バージルの目当ての炭酸飲料はここにしかない。
蝉の声と蒸された草木の匂いの中。
その自販機の前に、ダンテは座り込んでいた。
バージルが席を立った時、声をかけてもいないのに勝手に着いてきたのだ。

「あぢー……」

ダンテは制服のボタンをだらしなく開け、胸元のシャツをばたつかせた。
汗を滲ませた肌が、白いシャツにうっすらと浮かんでいる。

「雨降っても、全然涼しくならねぇな……」
「だったら教室にいればよかっただろう。」
「お前がこんな遠くまで来るからじゃねえか。」

答えになっていない、とバージルは思った。
バージルは着いて来いとも言っていないし、そもそもダンテはレディ達と話し込んでいた。
駅前に新しい店ができただの、今夜の配信がどうだのと騒いでいたのに、バージルが教室を出た途端、ダンテは話を切り上げ追いかけてきたのだ。

「夕方にもまた降るらしいぜ。」
「俺の置き傘を当てにするな。」
「まだ何も言ってないだろ。」
「なら傘はいらないな?」
「…………お前今朝、折りたたみ鞄に入れてたろ。」
「どうだったか。」
「お前さ、可愛い弟いじめて楽しいか?」
「生憎、そういう弟には恵まれていない。」

自販機に硬貨を入れながら、バージルはダンテを適当にあしらう。
ただでさえ神経に障る蒸し暑さだ。
ダンテの馬鹿話にまともに付き合っていては、精神衛生上よくはない。

「今月、後半も雨続きらしいぜ。」
「そうか。」
「ほら、レディ吹奏楽だろ?雨だと野球部が講堂使ってトレーニングするから、めっちゃ機嫌悪くなるんだよ。」
「そうか。」

上から二列目、左から三番目。
いつものボタンを押せば、大きな音を立て、ペットボトルが落ちてくる。

「そういや知ってるか?夏ってさ、雨降っても昼間は虹出ないらしいぜ。何だっけ、何かよくないんだよ。高さ……角度?とにかく太陽がダメらしい。」
「そうか。」
「……お前、話聞いてないだろ。」
「ああ。」
「何だよ、一応聞いてるんだな。」
「いいや。」
「ははっ、何だよそれ。」

笑い声にバージルは横目でダンテを見る。
一頻り喋り終えたダンテは、こちらを向いていない。
目は太陽を浴びて勢いを増す、中庭の草むらの辺りで止まっていた。
バージルは再び硬貨を取り出し、一枚、二枚と自販機に入れる。
ちゃりん。
ちゃりん。
蝉時雨の中、くぐもった金属音が鳴り渡る。

「……………なあ。」

バージルがボタンを押そうとした時、ボソッとダンテが呟いた。

「午後。面談あるよな。」
「ああ。」
「…………お前。進路希望、なんて書いた。」

一番下、右から二番目のボタン。
バージルが徐にそれを押せば、いつもよりも柔らかい落下音がする。
少し屈んで取出し口を覗けば、そこには青いラベルのボトルがあった。

「知りたいのか?」
「………………」
「知りたくないなら、言う必要はないな。」
「………………」

ダンテは不服そうだが、バージルは構ってやらなかった。
プラスチックの板を押し、中の物を手に取った。
熱気に晒され、たちまちに生まれた水滴が指を濡らす。

「………俺ら、ガキの頃からずっと一緒だったろ。」
「残念ながらな。」
「……………………お前は。」

寂しくないのか。
そんな言葉が続くかと思ったが、ダンテは言葉を飲み込んだようだ。
バージルは僅かな落胆を胸に、二本のペットボトルを手に体を起こした。
光景という言葉が相応しい光と影がくっきりと分かれた中庭に、バージルは目を細める。
ちょっと目が眩んで、バージルは日陰の、自販機の方へと向き直る。
そこでたまたまタイミングが合ったのか、ダンテと視線がかち合った。
バージルが目を逸らさずにいると、ダンテはつんと唇を尖らせる。
いつもの子供っぽい仕草に、バージルは癖で鼻を鳴らした。
多分、それを馬鹿にされたと思ったのだろう。
ダンテはぷいとそっぽを向いてしまう。
少しかわいそうだったか。
バージルの頭にそんな考えが浮かんで、すぐ消えた。
ダンテが拗ねるのは、いつものことだ。

「………あー。」

間の抜けた声がする。

「………虹、見えねえな。」

バージルは地面を見た。
そこに落ちる影は短く、太陽は高い。
確かにこれでは、虹は見えそうもなかった。

「あーあ!」

ダンテはわざとらしく声を張り上げた。
バージルにはその声が、自分を責めているように聞こえる。

バージルはダンテに、進路を教えてはいなかったし、ダンテに聞いてもいなかった。
そしてそのことに、ダンテが不満を持っていることも知っていた。
けれどバージルは、ダンテに何も言わなかったし、何も聞かなかった。
聞いてしまえば、何かが変わるような気がした。
たとえばざわめく教室だとか。
たとえば人気のない中庭だとか。
———たとえば、いつもそこにいるダンテの姿だとか。
聞いた瞬間から、全て変わってしまう気がしていたのだ。
怖いわけでもないし、嫌な訳でもない。
けれどバージルは、まだ少しだけ、この変わらない日々を過ごしたいと思っていた。

「……———それを『寂しい』、というのかもしれんな。」
「え?」

声は、ダンテの耳に届かなかったらしい。
ダンテは何か言いかけたが、バージルはそれを遮ってペットボトルを差し出した。

「くれてやる。ありがたく思え。」
「何だよそれ。ってか、ただの水じゃねえか。ジュースじゃねえの。」
「いらんなら構わんが。」
「いる。」
「卑しいな。」
「寄越しておいて何なんだよ、その言い草は。」

ダンテの顔に、きらりと日が差した。
バージルは、あ、と口を開く。
ダンテに、光が差していた。
冷たいペットボトル越しの光。
それは揺蕩う水の動きに合わせて、七色の太陽をダンテの頬へと散りばめている。

「———虹だ。」

ぼそり、とバージルが呟いた、

「えっ、どこだよ。」

空を見上げたダンテが、零れたバージルの笑みを見ることはない。

後どれくらい、こうしてダンテの横顔を見ていられるだろう。

ささやかな問いが胸を刺す。
いつかこの痛みも、遠い日の思い出になるのだろうか。

雨上がりの中庭。
どこまでも響く蝉の音。
ダンテの頬に散る、七色の虹

それが遠い日の光景になった時。
時折、思い出すことができるように。
そんなことを願いながら、バージルはダンテの横顔を眺めていた。
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