My ( Your ) Favorite things

事務所奥の南の壁は、バージルの場所だ。
魔界から帰ってきてすぐ。
放っておいたら何をしでかすかわからないということで、仕方なく俺はバージルと一緒に暮らすことに決めた。
ゴミ溜めだった事務所はパティの尽力により無事人の住むレベルに落ち着いて、さあ住むかという段になった時。
俺はあることに気がついた。

バージルは殆ど物を持っていない。

考えたら当たり前だ。
魔界から帰ったばかりというのもあったが、バージルは一つの場所に長く留まるなんてことはなかったらしい。
だから持っていた物といえば、閻魔刀といくらかの小物くらいだ。
着の身着のまま、力以外に執着せず、人ととの関わりを避けて放浪する。
それがバージルの生き方で、人生だった。
だから事務所に来た時、バージルから何かを欲しいなんて話は出てこなかった。
多分それが、バージルの『普通』だったんだろう。

でも俺は、その『普通』気に入らなかった。

バージルの『普通』に気づいてすぐ、俺はバージルを引っ張って店巡りに繰り出した。
まず買ったのはマグカップだ。
センスのない、青くて地味なやつを。
次に椅子。
キッチンのテーブルで使うダイニングチェアだが、予算の関係上オーク材のやつを中古で。
次は服。
今着てるコートも大概だが、怪しさ満点のマントなんざ羽織られた日には、とても一緒には歩けない。
だからとりあえずネイビーブルーのラペル付きコートと、黒いグルカラーのシャツを買ってみた。
それから次は皿。
次はカトラリー、次は歯ブラシやらシャンプーやら洗面系諸々。
バージルが事務所で生活するためのあれこれを、本人を連れてどんどん買った。
何か買う度に
「お前のだからな。」
と一々念押ししながら、一つ一つ持たせていった。
「こんなものはいらん。」
案の定捻くれた返事も多かったが、それでも何度も
「だからお前のなんだって。」
と繰り返した。
そうして事務所に帰る頃。
バージルは手に抱えた荷物の山に埋もれていて、露骨に不機嫌な顔をしていた。



「本棚を。」
バージルがはっきりと、自分で何か欲しいと言ったのは、同居開始から一月くらい。
「いらない」というフレーズを、あまり聞かなくなった頃だった。
「あそこがいい。」
バージルが指差したのは、事務所の奥———南側の壁の辺りだ。
「奥まっていて、日が当たらない。本には丁度いい。」
寸法の検討でもつけていたのか、はたまた棚のデザインでも考えていたのか。
バージルは顔の高さに手を掲げ、宙を指でなぞってたのを覚えている。
「別に使ってねえからいいんじゃねえの。何ならあそこ、お前の場所にしちまえよ。」
そうけしかけられてからのバージルは早かった。
さっさと大工を呼んで、昔親父の書斎にあったような厳つい壁本棚を付けさせると、どんどん本で埋めて行った。
それから本棚の前にはカフェテーブルとイージーチェアが置かれるようになって、一人の時はそこでコーヒーを飲みながら本を読むようになった。
更にその後ろには変わった曲げ木のコート掛けが鎮座し、例のネイビーブルーのコートが吊るされるようになったが、それも今ではすっかりお馴染みの風景の一部になっている。

そんな感じで南の壁はバージルの場所になっていき、バージルのお気に入りが増えていった。
そしていつの頃からか、段々とバージルには一つの癖が出てきた。
どんなタイミングかはわからないが、ふとした瞬間、不思議そうな、でも柔らかい目で南の壁を眺めている。
「どうかしたか?」
そう聞いても、返ってくるのはいつも
「別に何も。」
の素っ気ない一言だった。




「随分巣が大きくなったわねぇ。」
南の壁を見てそう言ったのはレディだ。
バージルが出かけていたタイミングで事務所に寄った時、南の壁をしみじみと観察してそう言った。
「だろ?」
エボニーを磨きながら、気のない返事をする。
レディの言う通り、南の壁には物が増えた。
新参の棚の中にはいろんな物が納められている。
閻魔刀を手入れする油や紙。
一向に使われる気配がない羊皮紙色の便箋と封筒。
ローズウッドの小さな箱には、確か群青のカフスが入っていたのを見た気がする。
少し前まで俺がやった物と本以外、必要最低限しかなかったそこが、今ではバージルのお気に入りで溢れている。
これだけ物があれば、そう簡単にフケたりもできないだろう。
それに何よりバージルのお気に入りが増える度、バージルがいることを実感できて、柄でもないのに顔がニヤけそうになる。
「こんな物まであるの。」
そうレディが指でつつくのは、先週追加されたばかりのガラス瓶だ。
本棚の空きスペースにあるそれは、形からしてインク壺にもみえるが、中にインクが入っていた試しがない。
「おい、勝手に触んなよ。」
ごとん、と机にエボニーを置く。
「そこにあるのは、バージルのなんだ。」
ぴっと指さして忠告すると、レディは肩をすくめて笑った。
「そうね。ここにあるのは、全部オニイサマのお気に入りだものね。」
そう言うとレディはもう一度だけ、小さな瓶をつついてみせた。

レディが帰ったその晩。
例のガラス瓶にちょっとした変化があった。
空っぽだったその瓶は、透明な水でいっぱいになっていて、そこに一筋のアイビーの葉が挿されていた。
南の壁でそんなことをする人間なんて、この事務所には一人しかいない。
当の本人を見てみたが、普段と変わらず、澄ました顔で仕事の書類を捌いていた。
こんなこともするんだな、と驚いたものの、そこに母さんが緑や花を飾ってくれていた光景が重なって、何だか懐かしいような、切ないような、嬉しいような。
そんな変な気分になった。




今日家に帰ってみると、南の壁に刀掛けなる物が加わっていた。
文字通り刀を立てて置くための物らしいが、読書の時だって飯の時だって、バージルは閻魔刀を離さなかった。
そんな物必要なさそうなのに、どういう風の吹き回しかと聞いてみたが、返ってきたのは
「別に何も。」
と相変わらずの返事だ。
バージルはそれに閻魔刀を立て掛けると、ちょっと離れて眺めてみては、ああでもない、こうでもないと位置を動かしている。
気に入ったレイアウトを探してるんだろう。
こうなったらバージルは梃子でも動かない。
気が済むまで場所の見極めをさせることにして、こっちはこっちで一杯始めることにした。
壁に向かうバージルは真剣そのもので、時々唸ったり、首を傾げたりと見ていて飽きない。
それをつまみにちびちびやるのも、なかなかどうして悪くはない。
デスクで安いジンを飲みながら、そんなことを思っていたその時。
「ダンテ。」
急にバージルからお声がかかった。
どうしたとグラスを口から離すと
「来い。」
とだけ短く言われた。
放ったらかしておいて何を突然、と思わなくもなかったものの、今からやり合うのも面倒で、グラスを置いてバージルの側まで行く。
「ここに座れ。」
てっきり棚を動かす手伝いでもさせられるかと思っていたが、バージルから出た言葉は意外なものだった。
ここというのは、バージルのイージーチェアのことらしい。
「俺が?これお前のだろ。」
「いいから座れ。」
言われるままにそこへ座ると、バージルはぐっと顔を近づけてくる。
ふわっとした風がふいて、バージルの匂いがした。
古い紙や、コーヒーの匂い。
最初に買ったシャンプーや、あのアイビーの匂いのも混ざってるはずだ。
いいというより落ち着く感じのこの匂いも、バージルがここで過ごす内にどんどん変わっている。
そんなこと気にしてるのは俺ぐらいだろうが、それを俺だけが知っているのも、悪い気はしなかった。
ぱっと目の前が明るくなって、急に何だと目を見張る。
バージルが前髪を払ったらしく、さっきよりも視界が開けて見えた。
本棚にカフェテーブル。
青いマグにネイビーブルーのコート。
お気に入りに囲まれたバージルは、こっちを見たまま黙りこくっている。
何ともいえない空気が漂っていて、どうしたもんかと迷っていると、バージルは突然歩き出した。
今度は何だと思ったが、意外にもバージルはすぐにこっちへ振り返る。
腕を組み、口に手を当てて。
何か考え込んでいるみたいだが、何を考えているのかはさっぱりだ。
何となく、さっき閻魔刀をいじっていた姿とダブって見える。
閻魔刀もこんな気持ちだったのか。
偏屈な主人を持つ刀に同情しつつ、閻魔刀の主人を見守っていると、不意にこつんと音がした。
バージルが一歩、足を動かしたらしい。
口にあった手がそろりと下りて、バージルの唇が現れる。
少し綻んだそれは、ゆっくり開いて

「悪くない。」

と呟いた。
一体何が悪くないのか。
相変わらずバージルの考えはわからないが、その顔は言葉通り満足そうで、取り敢えずことは丸く治ったということだけはわかった。
「お気に召したか?」
「ああ。」
「そいつは良かった。」
もういいだろうと立ち上がっても、バージルは何も言ってこなかった。
結局何だったのかはわからなかったが、バージルの機嫌が良さそうなので、それだけでよしとした。
デスクに戻って、氷が溶け切ったジンを飲む。
香りもすっかり飛んだそれは、正直うまいとは感じない。
それでもまたバージルをつまみにでもすればいくらかマシかと、グラスを片手にデスクへ陣取った。
バージルはこっちに背を向け、飽きることなく南の壁を眺めている。
お気に入りを前にバージルは今、どんな顔をしているんだろうか。
ああでもない、こうでもないと、さっきのバージルみたいに考えながら、俺はぬるくなったジンを飲んでいた。
1/1ページ
    スキ