Property Ledger — 財産台帳 —

ふわり、と香ばしいチーズの香りがした。
今日も上手く焼けた、とキリエは満足そうに笑う。
「手伝うぜ。」
そう声をかけてきたのはダンテだった。
いつの間にかキッチンに来ていたらしい。
「ありがとうございます。」
キリエが大きな角皿から小さな木の皿へとドリアを盛り付ける。
「ほら、飯だぞ!お前らも手伝え!」
はーい、と子供達の声がすると、キッチンに何人かの子供が駆け込んできた。
「熱いから気をつけてね。」
「走るなよ。給仕サーブはスマートにやるもんだ。」
そう言ってダンテが皿を手に背筋を伸ばせば、子供達はきゃっきゃと笑ってそれを真似た。
一通り料理をよそい終えると、キリエもスマートな給仕係たちについて食堂へ向かう。
大きなテーブルが真ん中に置かれたそこには、ダンテと子供達、そしてネロの父——バージルがいた。
子供達は楽しそうにバージルへとまとわりついているが、当の本人は椅子に座ったまま、何か難しそうな顔をしている。
その表情は昔キリエ達の帰りを玄関で待っていたネロにどこか似ていて、思わずキリエの口元が綻んだ。
「さあ、ご飯にしましょ。」
食堂が、わあっ、とわいた。



バージルとダンテがやってきたのは、ちょうどキリエが昼の支度を始める頃だった。
「ネロに頼んでた件があってね。」
ダンテは土産だと言って、菓子がたくさん詰まった紙袋をキリエに渡した。
キリエは礼を言いながら、最近のネロを思い出す。
このところのネロといえば、何かにつけ二人を手伝うと言ってはあちこち駆けずり回っていた。
確か、バージルとダンテの家を取り戻すのだと、そう言っていた。
「ホントあいつら、どうしょうもないんだ。放っておいたら碌なことにならない。」
そういうネロはとても楽しそうで、キリエの方まで笑顔になってしまう。
優しいネロのことだ。
父や叔父のために何かできることが、心底嬉しいに違いない。
今朝も教団時代の知人を頼り、何か書類を探してくると言っていた。
ネロはあの事件以降教団と距離を置いているのに、かつての伝手を頼るというのは複雑な思いもあるだろう。
けれど大切な人のためなら、しがらみも何もかなぐり捨てて一生懸命になれる。
そんなネロが、キリエは好きだった。
「ネロはおやつの時間までに帰ってくると言っていました。もしよければ、お昼を食べてお待ちになりませんか?」
「そんな暇は」
「いいね、是非ご馳走に預かりたい。あんたの料理は一級品だからな。」
「ダンテ」
「まあ、それじゃあご期待に添えるように、腕によりをかけて作らないと。さあ、中へどうぞ。」
キリエは扉を開け放ち、二人を中へと招き入れる。
今日もいつも通り、材料は余分に揃えてある。
このネロの大切な人達のために、心を込めて料理を振る舞おう。
キリエはふわりと、胸が暖かくなるのを感じた。



「ほら、あーんしな。」
ダンテは膝に乗せた少女の口に、冷ましてやったドリアを運ぶ。
それを見た他の子供達が、僕にも、私にもとダンテにせがんだ。
「やってもいいが、ちゃんとサラダを食えた奴から順番だ。ほら、よく噛んで食えよ。」
ダンテがそう言うと、子供達は一斉に苦手な野菜に齧り付く。
普段はいない大人とのひと時に、孤児院の子ども達は大興奮だ。
そして子供達の興味は、気のいいダンテは当然として、もう一人の顰めっ面の男にも同様に注がれる。
「………何をしている。」
気づけばバージルの膝に、隣の席に座っていたはずの子供がよじ登り出している。
大人であれば震え上がるであろう低く押さえられた声も、わくわくが止まらない子供達には何の意味もなかった。
そしていつの間にか逆隣の子供もバージルの膝へよじ登り出したところで、バージルは盛大にため息をついた。
「自分の椅子へ座れ。」
バージルは子供達の襟首を掴むと、元いたように椅子へと座らせた。
「スプーンは使えるだろう。自分で食え。」
一度、人差し指で食べる真似をしてやりながら、バージルは子供達に言い聞かせる。
えー、と子供達が駄々をこねると、今度は親指でダンテを指して
「自分で食えば、あれに相手をさせてやる。」
と言った。
しかし子供達も退かずに、おじさんは遊ばないの、と食い下がる。
「………あれはオーバーヘッドキックができるぞ。」
大きな目をキラキラとかがやかせ子供達は、本当、と叫ぶ。
「わかったらさっさと食え。」
それを合図に子供達は、ドリアを急いで頬張り出した。
バージルは子供達のコップを少し移動しながら、再び大きなため息をついた。
「みんな、ダンテさん達のご飯の邪魔しちゃだめよ。」
「いいさ。これでも昔、相棒の子供の面倒見たりしたもんだ。」
そう言うダンテは何かを懐かしむような、惜しむような目をしている。
昔のことを思い出しているのだろうか。
時々ダンテが見せる遠い目は、いつもキリエの胸を騒がせた。
辛い思い出でなければいい、とキリエは思う。
そしてたとえそうだったとしても、ダンテには独りでその想いに沈まないでほしい、と願う。
クレドを失ったキリエの隣に、いつもネロがいてくれたように、ダンテの隣に誰かにいてほしい。
そんな風に思う。
「ダンテ。」
ぽーん、と目の前を何かが横切る。
キリエが反射的にそれを目で追うと、ダンテが二人の子供をボールのように受け止めるのが見えた。
バージルの両隣にいた子供だ。
「後はお前の仕事だ。」
声の方を見れば、ボールを投げたような格好のバージルが見える。
「バージルさんっ、危ないことしないでくださいっ!」
バージルがダンテへと子供を投げたと気づき、キリエは思わず声を上げた。
思わぬ声にバージルはばつが悪そうに視線を逸らすと、キリエに背を向けて座り直す。
それはいたずらをクレドに叱られたネロとそっくりで、こんなところまで似なくても、とキリエは呆れてしまった。
「お?なんだお前ら、サッカーか?いいぜ、オーバーヘッド見せてやる。バロンドール間違いなしのスーパーシュートだ。」
ダンテはバージルに口だけで、ざまあみろ、と言って子供達と連れ立ち外へ出る。
子供を引き連れたダンテは楽しそうで、キリエはほっと胸を撫で下ろした。



時計を見ると、針は二時半を指そうとしていた。
そろそろおやつの支度を始めよう。
キリエはダンテから受け取った紙袋を覗きながら、今日はどのお菓子にしようかと考えた。
外からはダンテと子供達の笑い声が聞こえてくる。
「賑やかなのは、お嫌いですか?」
キリエがそう尋ねたのは、キリエへ背を向けたまま座っているバージルだった。
窓の方を向いているが、外を見ているかは定かではない。
「今日はお二人が来てくれたから、みんなはしゃいでるんです。」
和やかなキリエの言葉にも、バージルは返事すらしなかった。
どうやら先程キリエに『叱られた』のを引きずっているらしい。
食堂の空気は、お世辞にもいいとは言えなかった。
しばらく、子供達の声だけがこだまする。
「——ネロも小さな頃、あれくらい元気だったんですよ。」
沈黙を破ったのはキリエだった。
紙袋からクッキーを取り出しながら、キリエは語りだす。
「ネロは外で遊ぶのが大好きで。孤児院のみんなと鬼ごっこをしてたと思ったら、急に屋根の上に飛び乗ったりするものだから、兄はいつも慌てていました。」
宝石箱から、宝物を出すように。
キリエはネロとの思い出を話した。

ネロは寝る前、何度も本の読み聞かせをねだってきたこと。

ネロがクレドとケンカをして、一区画向こうのおばあさんの家まで家出したこと。

ネロが初めてキリエのために焼いたパンケーキが、真っ黒に焦げてしまっていたこと。

こんなことを話したとわかったら、きっとネロは怒るだろう。
けれどキリエは話したかった。
大切なネロとの思い出を、ネロの父であるバージルと分かち合いたかった。

「あの頃も私達の家は賑やかで、楽しくて。ネロはいつも笑っていました。」

キリエはミルクを温めようと、ケトルに手を伸ばす。

「——————小さい頃。」

突然低い声が響いた。
それがバージルのものだと気づいたのは、声から数瞬後だった。

「食事の時はダンテの隣に座らされた。何をそんなに話す必要があるのか、ダンテはとにかくずっと喋ってくる。いつもこちらに身を乗り出して、コップを倒しそうになっても、口が汚れても、構わずに延々と喋る。酷くうるさくてかなわなかった。」

バージルはやはりキリエを見ない。
ひょっとしたら、これは独り言なのかもしれない。
けれど不意に、先程までの光景がキリエの脳裏に蘇った。
じっとしていられない子供を、慣れた手つきで椅子へと座らせる。
はしゃぐ子供が倒してしまわないよう、コップを動かす。
ああ、とキリエは思った。
『あれ』は、幼いバージルの記憶。
落ち着きのない弟の世話を焼く、兄の思い出だったのだ、と。
キリエはじっとバージルの言葉を待つ。

「本を読んでいても構わず、勝負だなんだと家中ついて回ってくる。邪魔だと言えば喧嘩になって、よく物を壊しては叱られていた。」

ぽつり、ぽつりと溢れる言葉は、淡く柔らかなものばかりだ。
そんなバージルの言葉の一つ一つを、キリエは宝石箱へとしまってしまいたかった。

「——賑やかなのは、お嫌いですか?」

キリエはもう一度、バージルに尋ねた。
沈黙の後、また、低い声が響く。

「この家は喧しい。」

少し間を空けて、バージルは続けた。

「——————だが、いい家だ。」

ひっそりとした声が子供達の声に溶けきる前に、家の扉ががちゃりと開いた。

「ただいま、キリエ。」

扉の向こうには、いつもの笑顔を浮かべたネロがいた。




「これでよかったか?スパーダが領主やってた頃のProperty ledger財産台帳。そのままProbate相続手続きの財産目録リストには使えないぜ。」
子供達は部屋で宿題をする時間。
キリエはすっかり静かになった食堂で、三人分———ネロとバージル、そしてダンテの飲み物を用意していた。
食堂の隅、応接スペース。
バージルは奥の、ダンテとネロは手前のソファーへ腰掛け、何やら色々と話し込んでいる。
ネロがダンテに分厚い封筒を渡すと、それはそのままバージルへと流された。
「税金屋に随分絞られてるみたいだけど、そっち相続の手続きも面倒そうだな。」
「ああ、税務官殿はお優しいよ。分割で払うってのに、こっちには支払い回数さえ決めさせねえ。お陰でいつも金欠さ。けど助かったぜ、ネロ。金のことばっかで、家の中の物まで気が回らなかったからな。多分家にある骨董品も、これがあれば出所調べる手間が少しは省けんだろ。」
「ったく……教会図書館の司書に頼むの気まずかったんだからな。あんな風に教団出ていって、俺がどの面下げて行ったと思う?」
「悪い悪い、恩に切」
「文句を言うな。」
ダンテを遮ったのは、書類を改めているバージルだった。
キリエからはネロの背中しか見えないが、ネロは少し怒っている。
少なくとも、キリエにはそう見えた。
「……あのなあ。あんた達がやんなきゃならないことを手伝ったってのに、その言い方はねえだろ?」
「だがこれは、お前もいずれ受け継ぐものだ。」
バージルは書類に目を落としたまま、さも当たり前のように言う。
「自分が何を継ぐのか、お前も知る必要がある。」
ダンテもネロも、何も言わない。
二人はどんな表情をしているのだろう。
気にならないと言えば嘘になるが、そこに自分は踏み入ってはいけない。
秒針の音だけが響く空間で、キリエはただひっそりと見守った。

一分、二分。

どれくらい経ったろう。
初めに動いたのはダンテだった。
ヘッドロック、というのだろうか。
ネロの頭を乱暴に抱き抱えると、がしがしと頭を撫でた。
それからバージルに対して、こちらに来るようにとでもいうように、人差し指をくいくいと呼んだ後、ネロを何度も指差した。
途端にバージルの顔が苦々しくなり視線を逸らすも、ダンテがさらに大きく手招きをしながらネロを指差す。
何をしているのだろう、とキリエが首を傾げると、徐にバージルの手がダンテとネロへとぎくしゃくと伸びた。
そしてそれぞれの頭をくしゃりと撫でると、何故かそのまま止まってしまった。
「……っ!お前らガキ扱いすんなっ!」
「バージル!何で俺までやるんだよっ!」
ネロとダンテはバージルの手を払い除けながら叫ぶが、その声はとても楽しそうで。
キリエは思わず吹き出してしまった。
それに気付いた三人は一斉に止まる。
と、次の瞬間。
「違うんだよ、キリエ。こいつら本当ふざけてて、なんていうか」
「な?これだよ。あの状況なら息子をヨシヨシするのがパパってもんだろ?普通。こいつ本当に空気読めないんだ。」
「黙れ。」
「何だよパパって!いい加減にしろよ!」
「照れるなよ、ネロ。素直になれって。」
「照れてねえ!」
「その茶番を辞めろ!」
三者三様、堰を切ったようにわあわあと騒ぎ出すものだから、キリエは今度こそ声を出して笑ってしまう。
愛するネロが、愛すべき家族と一緒の時を過ごしている。
なんて、なんて幸せなことなんだろう。
キリエは嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
願わくば、ずっとこの時が続いてほしい。
そう祈りながら、キリエは笑った。
「———あははっ。ごめんなさい。嬉しくてつい。」
ひとしきり笑うと、キリエは三人へぺこりと頭を下げた。
「さあ、飲み物が入りましたから。仲直りして、一緒に飲みましょう。」
そうキリエが差し出したのは、ココアの入ったマグカップ。
そこにはダンテが持ってきた、大きなマシュマロが浮かんでいた。
「これ、小さな頃にネロが好きだったんですよ。」
「キ、キリエ!なんでそんなっ…!」
「お?いいね。甘いもんは大好きだ。いただきながらネロの昔話でも聞こうぜ?バージル。」
顔を真っ赤にするネロに、にやにやと笑うダンテ。
バージルは何も言わないものの、拒絶する素振りも、帰る素振りもみせなかった。

「さあ、どうぞ。ゆっくりお話しましょう。」

キリエはテーブルへとココアを並べながら、にっこりと笑った。

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