Hello, How low
下弦の月が漸く姿を見せた頃、ダンテはふらふらと事務所に戻った。
その左手には、先程までの悪魔との『遊び』で斬り落とされた右腕をぶら下げている。
今日の相手は特段手こずるような悪魔でもなかったが、気紛れでその斬撃を右肩に受けたのだ。
激しい痛みと血飛沫。
襲い来る吐き気、混濁する意識、そして速さを増す鼓動。
その強烈な不快感は今のダンテに必要だった。
ダンテはそのまま、重い身体を引き摺るようにバスルームへと向かう。
洗面台に右腕を投げ置くと、そのまま倒れ込むように左手をついた。
右肩の出血はもう止まりかけているが、血はかなり失ったようだ。
くらくらとする頭を持ち上げ、ダンテは目の前の鏡を覗き込む。
僅かにしか届かない月明かりの中、ひっそりと闇に浮かぶダンテの顔は、自身の血と砂で粧われていた。
血の気を失った白い肌に、それらは嫌に生々しく映える。
ダンテは鏡を凝視しながら、己の髪をかき上げた。
ゆっくり、ゆっくりと前髪を撫で付けてやれば、そこにはいつか失った片割れが現れた。
「……よう、調子はどうだ?」
バージル、と名前を呼んだ。
ダンテは、は、と安堵の息を漏らす。
久しぶりの『兄』との再会は、血が淀んだ脳に酷く心地よく馴染んだ。
「はは、感動のあまり言葉もないってか?」
やや呂律の怪しい舌で、ダンテはぽつりぽつりと続ける。
「可愛い弟が勤勉にも、街に蔓延るクソ悪魔共を片付けて来たんだ。少しぐらい労ってもいいだろう?」
霞み始めた眼では、鏡の中の『兄』の表情が上手く伺えない。
しかしいつだって『兄』はダンテに優しい笑顔はくれなかった。
きっと今もあの険のある顰めっ面をしているのだろう。
「ああ、これか?別に何てことはねえ。具合がいいのさ。何ガロンも酒を食らうより、よっぽど早く酔える。」
下に転がる自身の右腕を顎で示し、ダンテは大して面白くもないのにくつくつと笑う。
『兄』に酒の話などして何だというのだ。
兄は、バージルは、酒を覚える前に死んでしまったというのに。
「っ……——!」
不意にダンテは嘔吐くと、顔を伏せ腹に溜まった血反吐を吐き出した。
びちゃびちゃと音を立て、洗面台や自分の腕を汚す赤黒い液体を、ダンテは濁った瞳にぼんやりと映す。
今では見慣れてしまったこれを、初めて見たのはいつだったか。
多分、まだダンテ達が小さかった頃。
いつものようにバージルと喧嘩をしていた時、まだ力の加減が分からなかったバージルが、ダンテの右腕を捥ぎ取りかけた時だ。
ダンテは痛みのあまり大泣きをし、返り血を浴びて戸惑うバージルの頬を、怒りと混乱に任せて掻き抉った。
血の海で掴み合う二人を見て、母が悲鳴とともに辞めなさいと叫んだことを覚えている。
泣きながらダンテとバージルの傷を撫でる母に、ダンテは酷く悲しくなり、わんわんと声を上げて泣いた。
隣にいたバージルは、確か泣いてはいなかった筈だ。
唇を噛み、顔をくしゃくしゃにしながら、ずっと涙を堪えていた。
「昔からそうだよな。あんた、カッコつけてんだか知らねえが、変に意地張って馬鹿馬鹿しい。あんたのことなんかお見通———」
ダンテが再び顔を上げると、そこに『兄』はいなかった。
ダンテは独り、鏡の中に取り残される。
「バージル……」
窓の外を見上げると、月は既に天高く上がり、空は白らずみ始めていた。
ダンテを包んでいた闇は、少しずつ光に溶かされていく。
もうすぐ夜明けだ。
もう目覚めなければならない。
もう、行かなければ。
ダンテは投げ置かれたままの自身の右腕を掴むと、肩の傷へと乱暴に押し付けた。
びちびちという肉が弾け、灼熱の鉄を押しつけたような音と共に、それらは再び結合し、ダンテは元あった姿に戻る。
腕が戻ると共に、ダンテの脳に温かな血が巡り、澱みを全て払い去っていく。
「……悪酔いしたな。まあいいさ、いつものことだ。」
誰にともなくダンテは独りごち、バスルームを後にした。
朝日を受ける鏡にはもう、誰も映っていない。
その左手には、先程までの悪魔との『遊び』で斬り落とされた右腕をぶら下げている。
今日の相手は特段手こずるような悪魔でもなかったが、気紛れでその斬撃を右肩に受けたのだ。
激しい痛みと血飛沫。
襲い来る吐き気、混濁する意識、そして速さを増す鼓動。
その強烈な不快感は今のダンテに必要だった。
ダンテはそのまま、重い身体を引き摺るようにバスルームへと向かう。
洗面台に右腕を投げ置くと、そのまま倒れ込むように左手をついた。
右肩の出血はもう止まりかけているが、血はかなり失ったようだ。
くらくらとする頭を持ち上げ、ダンテは目の前の鏡を覗き込む。
僅かにしか届かない月明かりの中、ひっそりと闇に浮かぶダンテの顔は、自身の血と砂で粧われていた。
血の気を失った白い肌に、それらは嫌に生々しく映える。
ダンテは鏡を凝視しながら、己の髪をかき上げた。
ゆっくり、ゆっくりと前髪を撫で付けてやれば、そこにはいつか失った片割れが現れた。
「……よう、調子はどうだ?」
バージル、と名前を呼んだ。
ダンテは、は、と安堵の息を漏らす。
久しぶりの『兄』との再会は、血が淀んだ脳に酷く心地よく馴染んだ。
「はは、感動のあまり言葉もないってか?」
やや呂律の怪しい舌で、ダンテはぽつりぽつりと続ける。
「可愛い弟が勤勉にも、街に蔓延るクソ悪魔共を片付けて来たんだ。少しぐらい労ってもいいだろう?」
霞み始めた眼では、鏡の中の『兄』の表情が上手く伺えない。
しかしいつだって『兄』はダンテに優しい笑顔はくれなかった。
きっと今もあの険のある顰めっ面をしているのだろう。
「ああ、これか?別に何てことはねえ。具合がいいのさ。何ガロンも酒を食らうより、よっぽど早く酔える。」
下に転がる自身の右腕を顎で示し、ダンテは大して面白くもないのにくつくつと笑う。
『兄』に酒の話などして何だというのだ。
兄は、バージルは、酒を覚える前に死んでしまったというのに。
「っ……——!」
不意にダンテは嘔吐くと、顔を伏せ腹に溜まった血反吐を吐き出した。
びちゃびちゃと音を立て、洗面台や自分の腕を汚す赤黒い液体を、ダンテは濁った瞳にぼんやりと映す。
今では見慣れてしまったこれを、初めて見たのはいつだったか。
多分、まだダンテ達が小さかった頃。
いつものようにバージルと喧嘩をしていた時、まだ力の加減が分からなかったバージルが、ダンテの右腕を捥ぎ取りかけた時だ。
ダンテは痛みのあまり大泣きをし、返り血を浴びて戸惑うバージルの頬を、怒りと混乱に任せて掻き抉った。
血の海で掴み合う二人を見て、母が悲鳴とともに辞めなさいと叫んだことを覚えている。
泣きながらダンテとバージルの傷を撫でる母に、ダンテは酷く悲しくなり、わんわんと声を上げて泣いた。
隣にいたバージルは、確か泣いてはいなかった筈だ。
唇を噛み、顔をくしゃくしゃにしながら、ずっと涙を堪えていた。
「昔からそうだよな。あんた、カッコつけてんだか知らねえが、変に意地張って馬鹿馬鹿しい。あんたのことなんかお見通———」
ダンテが再び顔を上げると、そこに『兄』はいなかった。
ダンテは独り、鏡の中に取り残される。
「バージル……」
窓の外を見上げると、月は既に天高く上がり、空は白らずみ始めていた。
ダンテを包んでいた闇は、少しずつ光に溶かされていく。
もうすぐ夜明けだ。
もう目覚めなければならない。
もう、行かなければ。
ダンテは投げ置かれたままの自身の右腕を掴むと、肩の傷へと乱暴に押し付けた。
びちびちという肉が弾け、灼熱の鉄を押しつけたような音と共に、それらは再び結合し、ダンテは元あった姿に戻る。
腕が戻ると共に、ダンテの脳に温かな血が巡り、澱みを全て払い去っていく。
「……悪酔いしたな。まあいいさ、いつものことだ。」
誰にともなくダンテは独りごち、バスルームを後にした。
朝日を受ける鏡にはもう、誰も映っていない。
1/1ページ
