ヒロアカ 第一部

家に帰る。案の定出久は眠っていて起きてきてなかった。

母と一緒に一応三人分の晩御飯を用意して一人分はラップをかけて冷蔵庫に入れておく。夜中にもし起きてきた出久が食べるならそれでいいし、食べなければ明日の俺の朝飯になる。

二人で夜飯を食べながら、月曜日は自分で弁当を用意することを伝えて風呂に入って部屋に戻った。

見た携帯には勝己と弔からの連絡が入っていてそれぞれに言葉を返してから布団をかけて目を瞑った。




ざらりとした音と掠れる視界。たぶんこれはテレビの砂嵐だ。

漠然とこれは夢を見てんなぁと思ったところで視界が晴れた。

「兄ちゃん」

にっこりと笑ってる出久は今日見た姿とほとんど変わらない。少しシュッとした頬と癖のある髪。筋肉のついてきた体。

誰かが俺の手を取って、左手に爪を立てた。

塞がったばかりの傷口が破れて血が溢れ、ぼたりと落ちる。

「出留」

聞こえた声に瞬きをすれば目の前には勝己がいた。

左手の傷口にはやはり誰のものかわからない指が突き立てられてる。

「兄ちゃん、痛くないの?」

『大丈夫』

「痛くねぇのかよ」

『うん、大丈夫』

何度も問いかけられて首を横に振る。ぼたぼたと落ちてる赤色の液体が足元に血だまりをつくって、血だまりが両足分広がったところで急な浮遊感が襲う。足場が抜けた、そう思った瞬間にずきりと鮮烈な痛みが腹に走って息を詰めた。

「痛くない?」

『、痛く、ねぇっ』

聞こえた声がノイズ混じりだから先程よりも大きく首を横に振って、そうすればノイズがまた響く。

「そうだよね!君はお兄ちゃんなんだから痛くないよね!うん!当たり前だよね!」

ノイズが俺の頭を撫でる。襲ってくる痛みと吐き気を飲み込んで歯を食いしばって、視界の端で不安そうに緑色と赤色が揺れた。

「兄ちゃん」

「出留」

聞こえる声に口角を上げて、すっと痛みが引くと同時に視界が真っ白になる。

夢らしく統一性のない世界は先程までいたはずの場所からいつの間にか室内にいて、どこか見覚えのあるそこはここ一週間通いつめた演習場だった。

「出留、どうしたんだ?」

向かいの人使は目を瞬いて、首元には捕縛帯がかかっていることから訓練中の場面だろう。

『…なんでも、』

笑おうとしたところで影が目の前に現れて、人使の眉根が寄る。

「おい、緑谷、その怪我どうした」

「ちゃんと手当してきてくれ」

『え?』

途端に何かが垂れてきて視界が赤くなる。手を伸ばして触れれば赤色の液体がべっとりとついて、ああ、これは血かなと目を瞬いた。

「心配だ、出留」

「大丈夫か、緑谷」

『大丈夫です』

問いかけに迷いなく頷く。そもそも夢な訳だから痛みもすべて幻だ。

物言いたげな二人の顔に頷けば常識では考えられないほどの音量でノイズが響いて、思わず目を瞑ってから開く。

「へぇ、ほんとうに?」

見知らぬ、部屋の中。目の前の俺よりも大きな影。床の代わりに真っ赤な湖が広がり、周りに転がるそれらがなんなのか理解する前に心臓が強く叩かれたような衝撃が走る。

飛び起きて、それからこみ上げてきてるものをこぼさないよう口元を抑えながら部屋を飛び出す。迷わず走って扉を開けて、すぐに便器に顔を向けた。

『ぉえっ、』

嫌な音を立てながら胃から食べた物が出てきて落ちる。周りを汚さないように顔を上げずすべて吐き出して、何も入ってないのに嘔吐を繰り返す体に胃が痙攣するような妙な感覚がした。

いつの間にかついていた膝にそのまま息を吐いて壁に背を預ける。

強く鼓動してるせいで心臓が苦しい。胃は痙攣しているし喉は変に痛く、口の中は酸の味がして最悪の気分だ。

どれぐらいそうしていたのか、やっと落ち着いてきた心臓の動きに大きく息を吐いて、トイレットペーパーを手に取って汚れた口元やいつの間にか滲んでいた涙も全部拭って捨てる。立ち上がって、吐き出したものと一緒にすべて流してトイレを出た。

ふらふらとキッチンに向かって流して口を濯ぐ。水で濯いだ程度で消えない酸の味にキッチンからお茶を取り出してコップに注ぎ一杯だけ飲んだ。

流しの中にコップを置いて、縁に両手をついて俯く。

『くそっ』

嫌な夢を見た。

両手を縁から離して左手のひらの絆創膏を剥がす。すっかり薄くなった傷跡はほとんど再生していて白く少しだけやわい皮膚が開いてた傷口を埋めるように縦に存在していてやはりあれは夢だった。

頭を押さえて息を吐いて、リビングのデジタル時計を見る。まだ起きるにはだいぶ早い深夜の時刻を表示していて部屋に戻る。

ベッドに座って、携帯に手を伸ばそうとしてやめる。

どうせ誰に連絡するわけでないなら触れるだけ無駄だろう。

そのまま後ろに傾いて倒れこむ。瞑った目の上に腕を乗せて、深呼吸をして平常を保つ。

大丈夫、あれは全部夢だ





鳴り響いてる音楽が煩わしくて、ゆっくり目を開く。真っ白な天井を眺めた。それから手を伸ばして騒いでる携帯を取る。予想通りアラームだったそれは予定の時間を指してた。

起き上がって頭を押さえる。口の中は昨日の酸の味が残っていて不快で、夢見も悪ければ目覚めも最悪だ。

立ち上がり部屋を出る。洗面台で歯を磨き顔を洗って、マシになった気分に深呼吸を一つしてから、キッチンに向かった。

今日は一日休みだ。休息も兼ねて日曜日である今日は出久も母さんも出掛ける予定はないだろう。俺も出掛ける気分ではないからそのまま昨日残しておいた飯をつまみながら朝食をつくりはじめる。

明日の弁当に何を入れようか考えながら下準備をしつつ朝食を仕上げていれば、バタバタとした足音の後に扉が叩きつけるように開く音が聞こえた。こちらに向かってる足音に目を向ければしっかりと目を開いてる出久がいて、そわそわと手を動かしてるから火を止めて焼いていたものを皿に移し、手を広げた。

『おいで』

「兄ちゃん!おはよう!!」

『ん〜、元気だなぁ。おはよう』

飛びついてきた出久の頭を撫でて頬をすり合わせる。ふにりとした頬の感触を堪能して、口元を緩ませてから離れようとして出久の腕が離れないことに首を傾げた。

『出久?』

「兄ちゃん、兄ちゃん」

背伸びした出久が頬に唇を寄せる。すぐに離してじっとこちらを見てくるから右手で前髪を上げて額にキスを落とした。

「ふへ、ふへへへ」

『妙な笑い方してどうした?』

嬉しそうな出久の髪を撫でて、そうすれば背中に回っていた腕が離れて両手で包むように自分の頬を押さえた。

「今日は朝から兄ちゃんに会えたし、昨日は兄ちゃんとかっちゃんがいたからいいことありそうだなぁって」

『俺も勝己も毎日会ってるだろ?』

「違うよ!一週間ぶりのに兄ちゃんとかっちゃんだからね!」

『そっかそっか』

頭をわしゃわしゃと撫でて時計を見る。普段よりも少し早い時間ではあるけどここまで目が覚めてるなら出久は二度寝はしなそうだ。

作ってたミートボールを手近にあったフォークで一つ取って出久の口に運ぶ。

まだ中が熱かったのか冷ましながら食べる出久に笑った。

『朝飯作ってる間に風呂入ってきちゃいな』

「んっ、はーい!」

飲み込んでから返事をして、また走って風呂場に向かっていった出久を見送る。

フライパンを濯いでそのまま野菜炒めも作って、聞こえてきた足音に顔を上げた。

「おはよう、出留」

『おはよ』

「朝ご飯の準備ありがとうね!手伝っ…あら、もうこんなに…?早く起きたの?」

『ちょっと目が覚めて暇だったから。後オムレツでいいかなって思ってたんだけどどう思う?』

「十分よ」

母さんも起きてきたならもうスープも温めていいかと小鍋を置いているコンロに火をつける。母が卵を割ってボウルでほぐし混ぜてるからフライパンにバターを落として回す。

「あ!母さんおはよう」

「おはよう、出久」

風呂から上がってきた出久が飲み物を取りに来たからキッチンに全員が揃って二人が会話している間にもらったボウルから卵を流し込む。少しすれば端が白んでふつり大きな泡が立った。

「兄ちゃん!兄ちゃん!これも入れて!」

『りょーかい』

冷蔵庫から飲み物を取るついでにか渡されたチーズを多めに入れて、切っておいたプチトマトやほうれん草も乗せて卵で包む。

上機嫌に箸を運んで並べる出久に、母が笑いながら温まったスープをよそり、一緒に出来上がったおかずを運んでいく。出来上がったオムレツも皿に乗せて、そうすればこっちに来てた出久がキラキラした目で手を差し出すから渡した。

『気をつけて運ぶんだぞ?』

「うん!」

オムレツを託してさっさと使ったフライパンとボウル、菜箸を洗う。洗い終わったものをラックに乗せて手を拭いて、人数分のご飯をよそった母さんとダイニングに向かえば出久がコップに飲み物をそそいでた。

『おまたせ、出久』

「うんん!ふふ、美味しそうだね!いつもありがとう!」

「いい子ね、出久」

風呂上がりのせいかまだ少し赤い頬で笑う出久は控えめに言っても天使で、若干濡れた髪に触れてから座る。

「いただきます!」

「いただきます」

二人が声を出したから俺も続いて箸を取る。昨日夕飯を食べていないからか凄まじい勢いで食べ進める出久に母さんは早食いは良くないと笑いながらおかわりの白米をよそった。

流れるように俺にも手を出される。

「出留は?」

『作りながら摘んでたから大丈夫。出久と母さんで食べきっちゃって?』

「あら、そうなの?」

鍛えるようになってから食べる量の増えた出久によりあっという間に卓上の食べ物が無くなる。俺が食べ終わって口を拭いてる頃に出久もスープを飲み干して、お椀から口を離して満足そうに笑った。

「ごちそうさまでした!」

『もういいのか?』

「うん!」

「余ったご飯はおにぎりにしておくからお腹空いたら食べなさい」

「うん!」

空になった皿を重ねて出久が運ぶ。運ばれてきた食器を洗って、その横でおにぎりを作る母がそういえばと顔を上げた。

「明日のお弁当、出留が作るのよね?」

『うん。一緒に朝飯も用意するから朝はゆっくりしててね』

「え!兄ちゃんが作るの!?」

『おう。勝己と約束したから久々に作っちゃうよ〜』

「やった!何入れるの!?」

『何がいい?』

「えっと、兄ちゃんの作るハンバーグも食べたいし、唐揚げも生姜焼きも食べたい…肉巻きも捨てがたいなぁ。あ、でもポークケチャップも…カツ丼と牛丼も食べたい…」

「まったく、全部肉料理じゃないの」

「だって好きなんだもん」

出久らしい解答に笑いながら洗い物を済ませて片す。母さんも握り終わったおにぎりを皿に乗せて、使ったラップを片付けた。

そのまま棚から弁当箱を三つ取り出して、蓋や箸が揃ってるか確認する。中学の頃から使ってるサイズのそれに母が手を叩いた。

「いつも足りないから出久のお弁当箱大きくしないといけないわねぇ。勝己くんはどうかしら?」
 
『あー、そっか。勝己もデカイ方がいいかな?』

「かっちゃんは食べる量変わってないから平気じゃないかな?」

唐突に体を鍛えるようになって急激に食事量の増えた出久と違い、昔からしっかり鍛えてる勝己の食べる量は変わらないようだ。

この間食堂で久々に一緒に食事をしたけれど確かに食べてる量はそんなに増えてなかったし、同じクラスの出久が言うなら間違いないだろう。

『まぁ米の方をおにぎりにしてこっちおかず詰めれば大丈夫か』

「いっぱい入るね!!」

『いっぱい入れるから、いっぱい食べて大きくなるんだぞ、出久』

「食べる!」

元気な返事に弁当箱を置いて抱っこして髪を撫でる。母さんがまたやってると呆れ笑いを浮かべるからそこそこのところで止めて、出久を見つめた。

『買い物一緒に行くか?』

「行く!兄ちゃんの手伝いしたい!」

『あ〜!うちの子ほんといい子〜!超助かるよ〜!』

抱きしめて頬ずりすれば出久も抱きしめ返してきて母さんがまた笑う。

「買い物に行くなら気をつけるのよ?」

「兄ちゃんと一緒だから大丈夫だよ!」

髪を撫でてから出久を離して部屋から荷物を取ってくる。出久も同じように携帯や財布を持ってきて、冷蔵庫と買い置きのチェックをしてから二人で家を出た。

「何がいいかなぁ」

繋いでる手を振りながら声を弾ませる出久とスーパーに向かう。二週間前には勝己と、一ヶ月前には弔と買い物をしたスーパーは旬の野菜や魚に多少の変わりはあるものの大体の並びは変わらない。

カゴを取って出久が用意したカートの上に乗せた。

「兄ちゃん!」

『ゆっくり行こうな』

「んっ!」

久々のスーパーにはしゃぐ出久を落ち着かせてカートを押しながら歩く。明日の弁当の材料になる食品と、家を出る前にチェックして足りてなかったものをいくつか入れていき、そのままティッシュやサランラップなど日用品も足した。

『出久、何が食べたいか決まったか?』

「うんん、全然。兄ちゃんが作ってくれるものは何でも美味しいからどんどん食べたいものが出てきちゃうよ」

『嬉しいこと言ってくれるなぁ』

髪を撫でて精肉売り場で肉を数種類取る。とりあえず今日はカツ丼にして、弁当には肉巻きと唐揚げを入れることにした。カツ用の大きめの肉に気づいて出久が目を輝かせる。

「カツ丼っ!?」

『そ。付け合せは何がいい?』

「にんじんとピーマンのやつ!」

『はいよ』

家にあるにんじんとピーマンの量を思い出して追加でピーマンを買っておく。それから弁当に入れたいもので足りないものをいくつか見繕って、レジに向かった。

かなり多くなった荷物を持ってきた袋に詰めて一個ずつ持つ。カツ丼なことに既にテンションが高い出久に卵を渡すのはやめて自分で持つことにした。

「玉ねぎ切るの手伝うね!」

『ありがとう、出久』

手を繋いでまた歩き出す。二人で荷物を肩にかけて家にたどり着いた。

「ただいまー」

『ただいま』

「おかえりなさい」

リビングから聞こえる声に靴を脱いで上がる。手を洗って食材をしまったところで手のひらにじわりと熱を感じてすぐに確認した。

『あー…』

「どうしたの?」

かけられた声になんでもと返事を濁して立ち上がる。手を握った状態で荷物おいてくると自室に向かい、扉を閉めたところで手を開いた。

『あーあ』

軽く滲んだ赤色は大方荷物を持ったときに開いてしまったんだろう。最初ほどではないけど少し開いた傷口に息を吐いてさっさと絆創膏を貼った。




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