第三章 精霊使い





 第三章 精霊使い



 謁見の間には世継ぎとして瀬希も出席しなければならないので、彼は今まで謁見に行っていていなかったのだが、会食が始まる前には慣れない事態に戸惑っているだろうふたりの元へとやってきてくれた。

 控え室で待っていたふたりは、瀬希の姿を見て立ち上がる。

「いや。そのままでいい。会食はもうすぐ始まるが打ち合わせをしておこうと思ってな。綾都」

「なに?」

 綾都が答える。

 朝斗は本来、綾都には他の男も女も近付けたくないが、朝斗は何故かこの出来すぎた瀬希皇子に好感を持てないので、彼に対する相手は綾都に任せていた。

 同時に側室という扱いになっている綾都を抜いて、朝斗が相手をするのも憚られたという理由もあるのだが。

「取り敢えず名前なんだが」

「名前?」

「兄が朝斗。お前が綾都でいいんだな?」

「うん。そうだよ? どうして今更そんなことを訊くの?」

「忘れているようだが、わたしは自己紹介は受けていない」

 ムスッとした瀬希に言われ、綾都は「そうだったっけ?」と呑気に呟いた。

「やり取りでなんとなくお前は知っていたが、自己紹介を受けたわけじゃない。だから、名前を呼んだことがないだろう?」

 言われてみればそうだったと綾都は反省する。

 世話になっておいて自己紹介もまだなんてあんまりだ。

「ごめんなさい。忘れてました。ぼくは真宮綾都。兄さんは真宮朝斗だよ」

「真宮? それはなんだ?」

「名字だよ。こっちにはないの?」

「みょうじ……」

「姓名の姓の部分なんだけど、もしかしてこっちには名前しかないのか?」

 朝斗が割って入った。

 弟に任せると迷走しそうな内容だったので。

「せいめいというながわからない。生命ではないんだろう?」

「違う。この華南という国のように大きく分ければ、俺たちは日本人ということになるんだけど。姓というのは日本人の中でも、ごく近い血を持つ血族が名乗るもので、別に俺たちの個人名を意味するものじゃない。だから、朝斗、綾都と呼び合うんだ。それが俺たちの名前だから」

「なれほど。だったらその真宮というのは名乗らないでくれ。こちらにはさういうものはないんだ。個人名しかないから」

「「わかった」」

 ふたりが頷くと瀬希は少し言いにくそうに綾都に言ってきた。

 その頬はうっすら赤い。

「それで綾都に頼みがあるんだが」

「なに?」

「これから綾と呼んでもいいか?」

「え? いいけどなんで?」

 綾都はあっさり許可を出したが、今まで唯一そう呼べていた朝斗はムッとしている。

 世話になっているということで我慢したが。

 それに瀬希はなにもなくて、こういうことは言い出さないだろうとわかっていたし。

「綾都は一応わたしの側室という形になっているだろう? 綾都と呼んでもいいんだが、できればもっと親しいということを示したい。そのために兄である朝斗が呼んでいる愛称呼びが適していると思ってな」

「ふうん。なんかややこしいね」

「仕方がないだろう? 周囲は少女としての綾都が、わたしの側室だと信じていたんだ。それが突然同性だと証明するわけだから、側室として迎えたこと自体が誤解だったと思われたくないんだ。そうしたら綾を護れない」

「……瀬希皇子」

「わたしの責任でふたりを保護したんだ。できるだけ自由でいさせてやりたいし、危険な目にも遭わせたくない。そのために少し親しげな素振りを取る必要があるんだ。わかってもらえたか?」

 じっと目を覗き込んでくる瀬希皇子の黒い瞳に、綾都の無邪気な漆黒の瞳が映る。

 その瞳が柔らかく笑んだ。

 瀬希はドキッとした。

 出逢ってから綾都は随分綺麗になったと思う。

 出逢った頃から綺麗だとは思っていたが、最近は罪なほどだ。

 これで男だというのは一種の罪だ。

「そんなこと確認しなくても好きなように呼んでくれたらよかったのに。ぼく……一応瀬希皇子とは親しいつもりだったんだけどな。そう思われてなかったんだ?」

 漆黒の瞳が悲しそうに揺れる。

「いや。親しいと思うもなにも、ほとんど触れ合っていないだろう? 綾はずっと寝込んでいたし」

「そうだったね。ごめん」

 確かに綾都は瀬希と出逢ったとき、かなり体調を崩していて、こちらに世話になってからも、ずっと寝込んでいた。

 そのため側室扱いはされているものの、ふたりの寝室は別だった。

 本来は皇子や帝が側室や正妃の下へ通うのだが、同性の場合や真に寵愛を捧げている相手のみ、皇子の側室で閨を共にする。

 つまり綾都の立場では瀬希の寝室で寝なければ不審がられるということだ。

 綾都が元気になるまでは、なんとかごまかせたが、これをどう説明しようと瀬希は内心で突っ込んでいる。

 同性で皇子や皇女の寝室で閨を共にしない場合、心が離れたと判断されて側室から外すように進言される。

 今までそういう目に遇わなかったのは、綾都が寝込んでいることは、瀬希の宮では知らぬ者がいなかったからだ。

 原因が不明なこともあり、皇子に伝染されるのを嫌って、周囲も進んで綾都を瀬希に近付けようとはしなかった。

 それなのに側室から外すよう諭されなかったのは綾都の美貌のせいである。

 綾都が多少健康に問題があっても、綾都の代わりは中々いないだろうと、周囲も納得したというわけだった。

「取り敢えずふたりに注意したいことがある」

「なに?」

「おそらく会食の席ではルノールのレスター王子たちも、この華南の言葉を使うとは思う。だが、万が一ダグラス語やルノール語で会話されても、ふたりは口を噤んでいてほしいんだ。それと絶対に字を書かないこと。字を書いたレスター王子たちには、おろさくルノール語に見えるだろうから、それは困るんだ」

 ふたりの言語能力が耳にした言語や人種に左右される以上、ふたりの文字を見られたり、違う国の人間に、その国の言葉や違う国の言葉で会話されたときに口を挟まれるのは困るのだ。

 瀬希にしてみれば幾ら華南人の色をしていても、顔立ちなどがまるで異国人みたいに違うふたりである。

 それだけでも疑問視されるのだから、それ以上は興味を持たれたくなかった。

 ふたりの存在が貴重且つ重要であると判断される事態だけは避けたい。

 特に朝斗には何故だか大岩をも割れるだけの怪力が備わっているし、用心というものはしていて困ることはないので。

「さて。今から会食だ。綾は朝斗やわたしを見てゆっくり食べることだな。みなには綾が少食なのは言ってあるから安心してくれ」

「はーい」

 綾は落ち込んだようにそう言った。

 少食だというのは事実だが、今回それを理由として使ったのは、綾都の食べる速度が遅くなり、ふたりを見ながら食べていても不審がられないためだ。

 わかるから落ち込んだのである。

 そんな弟の髪を朝斗が撫でる。

 このふたりは本当に兄弟に見えないくらい仲がいいなと瀬希は何気なく思う。

 仲のいい兄弟に割り込もうとは思わない。

 でも、割り込めないことが、第三者でしかないことが、なんとなく寂しかった。



 会食の席には華南の帝と第一皇子の瀬希、第二皇子の古希。

 そして帝の正妃と側室たち。

 最後に瀬希の側室として綾都。

 付き添いとして朝斗が出生することになっている。

 その会食の場で綾都たちは初めて瀬希と古希以外の皇族に対面することになったのだが、挨拶もそこそこに帝が(38歳くらいだろうか? 瀬希の父親としては多少若い気がするが)意外なことに瀬希に声を投げた。

「瀬希よ」

「なんでしょうか、陛下?」

 正式な他国の王子の前とあって、瀬希も普段通りの態度は取らず、皇子として答える。

「そなたが迎えた側室は絶世の美姫と聞いていたのだが、なにやら男物の服を着ているような……?」

 綾都を見た途端父が目を輝かせたので、瀬希は側室扱いにしたのは正解だったと思ったものだ。

 レスター王子がいるのにその話題を振ってくるなんて、余程綾都が気になっているらしい。

 まあ父の好みだろうとは思っていたのだが。

 父は多くの側室を持たない主義で、居ても2、3人だが、そのすべてが容姿端麗だった。

 特に愛らしいタイプに弱いらしく綾都は帝の好みに適している。

 わかっているから父を警戒していたのだ。

「そのことですか。外見が外見なので男だと何度言っても、周囲に信じてもらえず、仕方なく女装させていたんですが。さすがに他国の正式な世継ぎであられるレスター王子の前で女装させるのは非礼に当たると説得したんですよ」

「そうなのか? では男? まだ子供のような年齢に見えるが?」

「これでも今年17になります」

「……随分幼いな。レスター王子より年下に見えることもあるくらいだ」

 帝は感心している。

 食べることに集中していた綾都だが、こう自分の話題で会話されると落ち着かない。

 チラリと兄を見ると気にするなとかぶりを振ってくれた。

 だから、兄を見て必死になって上品に食べることに集中する。

「失礼ですが」

 いきなりレスター王子が割り込んで、瀬希はわからないように身構えた。

「そちらの末席におられるおふたりは本当に華南人ですか?」

 この場にいて華南人かと問われるほど、容貌に違いがあるのは綾都と朝斗しかいない。

 ふたりは困った顔で食事の手を止めて瀬希を振り返る。

 彼が言ってくれる説明に合わせようと。

「華南人ですよ? 顔立ちは少々違いますが、顔立ちなんて個々で違いがあるでしょう?」

「わたしには華南人には見えませんが?」

 レスターははっきりと言い切った。

 この場では秘密にできないことを承知で背後に控える近衛隊長に声を投げる。

『ジョージには華南人に見える? ぼくにはとても華南人には見えないんだけど?』

 このレスターの言葉にジョージと呼ばれた護衛の近衛隊長が答えようとすると綾都がポツリと呟いた。

『ふうん。レスター王子って一人称ぼくって言うんだ? ぼくと一緒だ』

 綾都はできるだけ小さく呟いたつもりだった。

 そもそも独り言でもあの変換脳が発動するとは思っていなかった。

 しかしそう言った途端、瀬希と朝斗以外の者がギョッとしたように綾都を振り返り、瀬希と朝斗は頭を抱えていた。

「綾。わたしは口を噤んでいろと言ったはずだが?」

「え? 独り言もダメなの?」

「ダメとかそういうことではなく」

 言いかけた瀬希を遮ってレスター王子が驚いたように、わざとルノール語で綾都に話し掛けた。

『貴方はルノール語が理解できるのですか?』

 こう言われ綾都は瀬希を見る。

 綾都は瀬希を見ているので、てっきり華南語で喋れると思っていたのだが、耳にした言語がルノール語だったことを忘れていた。

『瀬希皇子。なんて答えよう?』

 瀬希に話し掛けているのに、わざわざルノール語を使う綾都に周囲は再び絶句する。

「頼むから綾はもう口を開くな。とにかく喋るな、動くな。口を動かすなら黙々と食べてくれ」

「はーい」

 そろそろいらなくなってきていたのだが、どうやら自分が動けば動くほど口を開けば開くほど、瀬希に迷惑を掛けると踏んで、綾都は大人しく食事を再開した。

 朝斗はその間懸命にも口を噤んでいる。

 自分まで騒動の種を蒔くことはあるまいという判断からだ。

 ただチラリ、チラリとレスターの方を見ている。

 その眼が「あれはなんだろう?」と訴えていたが、そのことに気付いている者はいなかった。

 同時に綾都がつい喋ってしまたのも、レスターを見ていて朝斗と同じものを目にしていたからだということにも。

「瀬希皇子。貴方の側室の、確か綾都様でしたか。綾都様は一体? どうしてルノール語を?」

「いや。それはその」

「それはわたしも知りたいな。瀬希は新しく迎えた側室が、異国の言葉を話せるとは報告しなかっただろう」

 さすがにすべての言動を操れるというのは、異世界の出身としても異常だったので、瀬希はそのことは誰にも言っていなかった。

 同時にふたりが異世界人だというのも、自分の身近にいて信頼できる者にしか言っていない。

 つまりふたりの世話を任せる者たちのことで、どうしても隠せない者だけだ。

 だから、帝もふたりの顔を見たときは驚いていたが。

 レスターにまとわりついていたそれらが、何故か綾都の方に近付いてきて神を引っ張り、または食事の邪魔をしようとする。

 綾都はなんとか無視したいのだが、視界に入るものは入るのだ。

 ガチャガチャと綾は音を立ててしまい、またすべての者が振り返る。

 その瞬間、ルノール人の皆が顔色を変えた。

 綾都にまとわりつくものを見て。

 朝斗はなるべく動くまいとした。

 綾都が困っていても、明らかに瀬希たちも気付いていない「それ」に対して行動に出ることが、どれほど問題視されるかわからないわけじゃない。

 だが、弟が困っているのを見ると、どうしても我慢できなかった。

「やだっ。痛いっ。髪を引っ張らないで!!」

 綾都が髪を押さえる。

「綾?」

 瀬希は驚いたが、この後の朝斗の行動の方が驚いた。

「綾都から離れろ!!」

 直前に聞いていた言語が華南語だったので、朝斗が叫んだのは華南語だった。

 だが、「それ」には無視された。

 レスターにはどうにかすることもできたのだが、彼は動けない。

 困っているとロベールが口を開いた。

『あなた方には見えているのですか? 精霊が?』

 今度は瀬希までギョッとしてふたりを凝視した。

『精霊? そんなもの俺は知らない。とにかくっ。綾から離れろ!! それ以上の悪戯は赦さない!! 精霊だろうがなんだろうが赦さないからなっ!!』

 今度は精霊たちが動きを止めた。

 じっと朝斗を見る。

『ぼくも仲良くするのは嫌いじゃないけど、悪戯されるのは好きじゃないな。ご飯もろくに食べられないし。それに髪を引っ張られると痛い。レスター王子のところにお帰り? 皆が好きなのはレスター王子だろう?』

 精霊たちはまず朝斗のところに行き、謝罪するように頬にキスしていく。

 次々にキスされ意味のわからない朝斗は憤りに震える。

 実はそれが精霊使いに対する精霊たちの親愛の印だとも知らずに。

 それをレスターたちは驚いて見ていたが、精霊たちは朝斗への挨拶を終わらせると綾都には一斉に頭を下げた。

 これにはレスターたちも驚いたものである。

 精霊が敬意を払うなんて聞いたことがない。

『貴方の注意を惹きたくて、貴方に悪戯したことをお許しください』

 精霊たちが言葉を発したことについては、レスター以外の者には初めて見る場面で息を飲んだが、レスターも息を飲んでいた。

 それは周囲とは意味を違えていたが。

『気にしなくていいよ。でも、悪戯は程々にね? レスター王子に嫌われちゃうよ? 彼だって王子だから、悪戯されて困る相手だって、やっぱりいるんだから。ね?』

(精霊の言語を使った? あの人は一体?)

 レスターは疑問視を向けていたが、精霊の言葉を聞き取れるのはレスターだけである。

 喋っていることは唇の動きでわかるのだが、内容は普通のルノール人には聞き取れない。

 だから、この会話を理解していたのはレスターと後は朝斗だけだった。

『なんで俺にキスするんだよ? 小動物の分際で』

『小動物って』

『貴方は相変わらずぼくらをそう呼ぶんだね。でも、変わってなくて嬉しいよ。今の名前はなんていうの?』

『今の名前? 俺は元から朝斗だ。変な言い方するな』

『覚えていないんだね。そのことは悲しいな』

『でも、気を付けて。この方を護りたいなら尚更に』

 そう言って精霊たちの視線が真っ直ぐに綾都に向かう。

 見られて綾都は首を傾けた。

『それと力の制御は早く身に付けた方がいい。気が溢れてます』

『意味がわからない』

『その内わかるようになるよ』

『わかるようになった頃には手遅れかもしれないけどね?』

 精霊たちが綾都を振り返る。

『その輝きが失われないように。その熱がすべてを焼き尽くさないように』

『そして貴方を二度と失わないために』

 ここまで綾都に言ってから、精霊たちは綾都と朝斗のふたりを視界に入れた。

『我々はあなた方に再びの永遠の忠誠を誓います』

 ふたりにすべての精霊たちが跪く。

 レスターですら見たことのない光景だった。

 ルノール人は全員絶句している。

 華南人にはなにが起きているのかさえ、そもそも綾都や朝斗が喋ったのか、それとも口を動かしただけなの化すらわかっていなかったが。

『貴方に加護を』

 そう言って明らかに代表格とわかる四精霊が朝斗の額に口付ける。

 そこからなにかが流れ込むのを朝斗は感じていた。

 そうして四精霊は綾都を振り向く。

『貴方の加護を我々に頂けませんか?』

『どうやって?』

『手で触れて頂けるだけで結構です。久し振りにその気に触れたい。力を取り戻したい』

『わからないけど。こうすればいいの?』

 綾都は我先にと群がる精霊たちを一人一人撫でていった。

 すると精霊たちがパアッと光輝き、満足そうにレスターの下へと戻っていく。

 レスターにはわかる。

 ルノールを離れて力が落ちていた精霊たちが、自国にいるときとも比較にならない力を得ていることが。

 レスターの驚愕の眼は綾都はに向いていたが、精霊が光ったこともわからない残りのルノール人(勿論ロベールも含む)は、精霊に加護を与えられた特別扱いされている朝斗をじっと見ていた。




「はあああ。どうなることかと思った」

 深々とため息をついているのは瀬希である。

 あの後場を纏めるのが、とても大変だったのだ。

 ルノール語を話した上にどうやら精霊が見えるらしいとわかって、帝はふたりの素性を知りたがり(何故なら外見からしてルノール人ではないからだ。ルノール人以外が精霊を視認する。それは重要なことなのだ。戦力的に)ルノール人たちも、やたらと興奮していて、瀬希はふたりは華南人だと言い張り、精霊についてはわからないの一点張りで押し切った。

 誰も納得していなかったが、綾都も朝斗も瀬希に指示され、もう口を開こうとしなかったので、それ以上の情報は掴みようがなく仕方なく引き下がったのだった。

 会食の後瀬希はふたりを部屋に戻すのを躊躇い、結局ふたりを自室に連れ込んでいた。

 何故躊躇ったかと言えば、自室ほど警護は徹底されていないので、さっきの出来事が原因で、なにか事件が起きる可能性があったからだ。

 朝斗なら大丈夫だろうが、綾都が狙われると厄介だったし、綾都だけを寄越せと言っても、朝斗が納得するとも思えない。

 だから、ふたり揃って招いたのである。

「あれ、精霊だったんだねえ。ビックリした」

 綾都は呑気なものである。

 それが彼だと知っていても瀬希は恨めしくなる。

 勿論精霊については綾都たちのせいではないとわかっているのだが。

 視認できるということは、精霊を感じられるということなので、悪戯されてそれを無視しろと望むのは、あまりに酷だったからだ。

 それでも切っ掛けを作ったことで責めずにはいられない。

「綾。わたしはあれほど口を噤んでいてほしいと、話さないでほしいと言ったはずだが、どうしてあそこで話したんだ? あそこで注意を惹かなければ、もしかしたら」

「ごめんなさい。独り言でも自動変換されるとは思わなくて。それにルノール語とかダグラス語とか、言語の区別もできなくて」

「できない? 操っているのに?」

「あんた忘れてないか? 俺たちには全部同じに聞こえるんだ」

「ああ。そういえばそうだったな」

 話すときも聞くときも無意識に区別しているのだ。

 ふたりにとってはどの言語も同じなのである。

 違うと後で言われて気付くのだ。

 だが、これに頷いた後で瀬希は首を傾げる。

「だったらどうして初対面のとき、言語が違うとわかったんだ?」

「あんた自分が言った内容も忘れたのか? これは何語だってあんた説明してくれたじゃないか」

「忘れていた」

 確かにあのとき話し掛けるときに、これは何語と説明していた。

 そのせいでふたりは違う言語を話していると自覚できたのだろう。

 つまりふたりに言語を区別させて、その言語のときに話すなと要求しても無駄ということだ。

 ふたりにはすべて同じ言語に聞こえるから、区別するように望んでもできないということになるので。

 これはややこしいことになったと瀬希はため息の嵐だ。

 せめてふたりが耳にした言語に引き摺られるという特徴がなければ楽なのだが。その特徴がない場合、ふたりがすべての言語を操ることは、事実上不可能と瀬希もわかっているだけに文句も言えない。

 そんな力を身に付けて一番戸惑っているのはふたりの方だろうから。

「ところでどうして精霊が見えたんだ?」

「そんなの俺たちの方が知りたいよ。そもそもあれが精霊だってことだって、ルノール語だって指摘されるまでわかってなかったし」

「やっぱり異世界人であることが影響してるんじゃない? それしか理由が思い付かないし」

「途中から口をパクパクさせていたのは?」

「口をパクパク? 一度もしてないけど?」

「いや。していたぞ、綾? 口は動いているのに声になっていなかった。あれはなんだ?」

「あー。もしかして精霊に話しかけていたときじゃないか? 綾?」

 朝斗に言われて綾都も納得する。

 見えない相手に話し掛けているのだから、瀬希が聞こえなくても不思議はない。

 しかしそういうと瀬希はもっとビックリした顔になった。

「ふたりは精霊と会話したというのか?」

「ルノール人に聞こえていたかどうかは知らないけど、一応話したことにはなるのかな。ぼくらにとっては普通に聞こえたし、普通に会話できたんだけど」

 綾都がそう答えると瀬希は難しい顔付きで黙り込んでしまった。

「どうしたんだ? 瀬希皇子?」

「マズイ事態になるかもしれない」

「なにが?」

「ルノール人は確かに精霊が見えるが、精霊と会話できるほどの能力者というのは、とても数が少ないんだ」

「「え?」」

 ふたりが青ざめた顔を見合わせる。

 それは見えていたルノール人にとって、あの場で起きたことが、とても重要だと意味するから。

「それにわたしはどうも気になるんだが、あの中でも特に王弟の息子であるロベール卿の朝斗を見る目が普通じゃなかった」

「俺? なんで?」

「理由はわからない。精霊とどんな風にふたりが触れ合ったか、わたしには見えていないんだ。それで理解できるはずもないだろう?」

 当たり前の指摘をされて朝斗も口を噤む。

「あの場面がすべて見えていたなら、俺より綾の方を気にしそうだけど」

「何故だ?」

「精霊たちは俺に対してはタメ口だったけど」

「ためくち? なんだ? それは?」

「ああ。対等に喋ってたってことだよ。つまり立場が対等な会話だったということ」

「綾は違うのか?」

 キョトンと見られて綾都は困った顔になる。

「なんかね。やたらと丁寧だった。話し掛けられるときは大抵敬語だったし、それに忠誠を誓われたんだけど」

「精霊に忠誠を誓われた?」

 驚愕の声に綾都は「ああ。うん」と頷く。

「ぼくだけじゃなくて兄さんもだけど」

「……」

 重い雰囲気で黙り込んでしまう瀬希に、綾都は深々とため息をつく。

「なんかね。兄さんには加護を与えてたけど、ぼくの場合は……」

「違うのか?」

「逆に加護が欲しいと言われたよ。……どうしてかな?」

「精霊に加護を求められた?」

 信じられない言葉である。

 それは精霊より立場や力が上であることを意味しているからだ。

「どうすればいいのか訊いたら触れてほしいって言われて、それで全員に触れたんだけど。そうしたら」

「そうしたら?」

「綾が触れると精霊が光輝いたんだよな。俺に触れても光ったりしなかったのに」

 信じられない言葉の連続である。

 精霊が光ったということは、本当に触れるだけで加護を与えたということになるのだろう。

 瀬希は精霊には詳しくないが、そうとしか考えられない。

「瀬希皇子。夜分遅くに失礼します。いらっしゃいますか?」

「この声はレスター王子?」

 先触れもなく来るなんて信じられない。

 念のためふたりを部屋に残して扉を開けると、確かにレスター王子がひとりで立っている。

「何用ですか? レスター王子? 共も連れずに」

「ご側室の綾都様と兄君であられる朝斗様はこちらでしょうか?」

「……ふたりになにか用ですか?」

「ここではちょっと。わたしも部屋を黙って抜けてきたので。中に入れて貰えませんか? 不利益な話ではないはずです」

 言われて瀬希は迷ったが、彼の緑の瞳が澄んでいたので、結局は彼を通した。

 部屋にいたふたりが驚いたようにこちらを見ている。

「夜分に失礼します」

 軽く頭を下げるレスター王子に瀬希は椅子を勧めた。

 勧められるままに腰掛けたレスターはお茶を辞退した。

 何故なら本当に誰にも言わずに来たので、侍女を呼んでお茶の手配などされたら、どこにいるかバレてしまうからだ。

 レスターの正面に瀬希が座り、その両隣に綾都と朝斗が腰掛けた。

「それでどんなご用でしょうか?」

「ここは本音で話したいので、礼節は取り払わせて頂きます」

「え? それはまあ構いませんが」

「瀬希皇子も礼節は無視して普通に話してください。礼節に則った話し方は、とても疲れるし本音で話していない気がするので」

「構わないがそちらはまだ敬語じゃないか」

 早速普段通りに話す瀬希にレスターは苦笑する。

「年齢差というものもありますので、さすがに4歳も年上の瀬希皇子と対等に話すわけには……。でも、一人称は普段のものに戻させて貰います」

「構わない。それで話というのは?」

 瀬希の傍では綾都がウキウキしていて、さっき王弟の息子に無用な興味を持たれている。

 見られた朝斗は警戒気味の顔をしている。

 そゎな朝斗の顔をレスターが真っ直ぐに見る。

「なんだよ?」

「貴方はこれから下手をしたら、ロベールに狙われるかも知れない」

「なんで俺なんだよ? あの場面を見ていたなら」

「確かにボクが注目しているのは瀬希皇子の側室であられる綾都様です。朝斗様のことも意識はしていますが、綾都様ほど重要視していません。切り離してはいけない存在くらいにしか感じていませんし」

「だったらなんで」

 納得できない朝斗にレスターは意外なことを言ってきた。

「あの場面で起きたことすべてを正確に見ることができたのは、おそらくボクとあなた方おふたりだけです」

「どういう意味だ?」

 瀬希が問い掛ける。

 レスターはため息をついた。

「他国の方に先に打ち明けることになるとは思いませんでしたが、ルノール人にも色々あって瀬希を見ることは、すべてのルノール人にできます。しかし感知できない現象とか、聞くことのできない精霊の声というのは、幾らルノール人とはいえ普通に存在します」

「もしかして精霊との会話は聞こえていない上に、あのときに起きたことも正確に把握しているのはレスター王子しかいない?」

 素早く理解する瀬希にレスターは苦い笑みを向ける。

「そういうことです」

「ちょっと待てよ。だったらあんたには精霊の言葉が聞こえるのか?」

「朝斗。あんたというのは寄せ。相手は仮にも一国の王子だぞ?」

「あんたのこともそう呼んでるだろ。俺は自分を繕いたくない」

「全く」

 苦い顔で文句を溢してから、瀬希はレスターを振り向いた。

「それが事実ならレスター王子は精霊使い。それも上級。もしくは最上級の精霊使いということになりますが、レスター王子が精霊使いだという噂は届いていませんね」

「……隠していますから」

「何故? もし貴方が上級の、もしくは最上級の精霊使いである場合、その地位は揺るぎないものになる。もうロベール卿も貴方を排して王になろうとはしないでしょう。いや。できない。ロベール卿は精霊使いではないから」

「ええ。代々の世継ぎに最も必要とされていた能力。それこそが精霊使いであることの証明ですから。父も精霊使いですし祖父もそうでした。
 ですが叔父には精霊使いの能力はなく、その息子であるロベールにも、当然のようにその能力はありません。
 ボクはそんな彼をずっと見てきたんです。精霊使いに憧れて、でも、精霊使いになれない従兄弟を」

「レスター王子」

 もしロベールとレスターの年齢差が逆だったら、もしかしたらレスターは能力を隠せなかったかもしれない。

 自覚できない頃は無意識に使ってしまいがちだし、ロベールが後から産まれていたら、おそらくその苦悩を知って、隠そうと決意した頃には隠せない状態になっていただろう。

 だが、レスターは年下だった。

 精霊使いに憧れて、なれないロベールの苦悩を、ずっと傍で見てきたのだ。

 それで自分だけ普通に精霊を使役することは……できなかった。

 そう説明されて瀬希も納得するしかなかった。


「貴方の気持ちはわかるが、それは逆にロベール卿を傷付ける」

「え?」

「貴方がどれだけ隠そうと貴方が精霊使いであることは事実だ。何れ隠せなくてバレるときがきっと来る。そのとき否応なしに貴方の精霊使いとしての高い能力を見せ付けられた方が、ロベール卿にはきっと衝撃的なことだろう」

「ボクのやり方はロベールを逆に傷付ける?」

 頼りない声に瀬希は頷いた。

「貴方は……見たんだろう? 綾が精霊に触れてなにが起きたか。ふたりが精霊とどんな会話をしたか、全て見たし聞いた。だから、ロベール卿や他のルノール人とは感じ方が違う。違うか?」

「そうです。ですからボクが意識しているのは朝斗様ではなく綾都様です。あんな現象はボクは知らない。精霊に触れただけで光輝かせ、その力を増幅させる。そんな加護を与えられる人間なんてボクは知りません。まして精霊に敬語を使われ、敬意を払われた上に永遠の忠誠を誓われるなんて、既に常識の枠を越えている」

「……なるほど」

 瀬希はため息をついて綾都を見た。

 それが本当なら見ていたのが、理解できたのがレスターひとりで助かったかもしれない。

 人々は朝斗という目眩ましに引っ掛かって、本当に驚異を抱くべき綾都には注意していないということだから。

「でも、意識してしたわけじゃないんだよ? ぼくだってなにがなんだか」

「それは知るべきことかどうか、それを判断するのはボクではなくあなた方です、綾都様」

「ぼくら?」

「力があるのは事実。その力故にあなた方は、これから国々の争いに巻き込まれていくでしょう。まずは朝斗様」

「俺?」

 朝斗が自分を指差す。

 頷いてレスターはため息をつく。

「貴方はご存じないかもしれませんが、精霊が貴方にしたことは、貴方に加護を与えること。そして最初に全ての精霊が、貴方の頬に口付けたのは、最上級の精霊使いに対する精霊たちの親愛の情の表現です」

「俺が最上級の精霊使い? 有り得ないだろっ!!」

「貴方にとってはそうかもしれない。でも、あの場面を見ていたロベールにとっては、驚異だということを理解してください」

 断言されて朝斗は言葉を詰まらせた。

「こんなことを言うのは、国の軍事事情を打ち明けるようで躊躇われるんですが、現在最上級の精霊使いというのは、ボクを除いて存在しません」

「凄いな。レスター王子は最上級の精霊使いだったのか。それはまああの場で起きたことも、全て理解できるだろうな」

 最上級の精霊使いとは、ある意味で召還師でもあると聞く。

 精霊たちの力を借りて召還術をも行使する者。

 それこそが最上級の精霊使い。

 上級との区別はそこにあった。

 それだけに力は段違いで、最上級の精霊使いひとりで、一軍以上の働きができる。

 この王子はルノールのただひとりの最上級の精霊使いなのだ。

 それを隠しているのだから、並々ならぬ努力をしているのだろう。

「ですからロベールは貴方を狙うかもしれないと、そう言っているんです。朝斗様」

「俺にはそんな力なんて……」

「そうですね。あるかもしれないしないかもしれない。寧ろボクが恐れているのは綾都様の方ですし。綾都様の力こそ常識では推し量れない」

「ぼくは普通だよ?」

 理解しない綾都の無邪気な瞳にレスターは笑う。

「貴方は不思議な人ですね。でも、瞳に独特の光がある。力があるのは事実でしょう」

「力があっても綾は役立たずだろう」

 瀬希が無情なくらいにキッパリと断言する。

 綾都はムッとしたがレスターは不思議だった。

 綾都を護るためでもなさそうな、本心から言った言葉に聞こえたからだ。

「どうしてですか?」

「そちらが秘密を明かしたから、こちらも打ち明けるが、綾は……身体が弱いんだ」

「虚弱体質?」

 見られて綾都は眼を逸らす。

「もし本当に綾都がそれだけ脅威的な力を秘めていても宝の持ち腐れだ。おそらく体力が続かなくて、ろくに使えないだろう」

「そうだったんですか」

 確かにそれでは宝の持ち腐れだ。

 折角の力も発揮できないのでは意味がない。

「取り敢えず忠告は感謝する。朝斗が狙われているとなると、綾が狙われる確率も増すからな。朝斗を従えるために弱点となる綾を先に狙う可能性もあるし、ひとりよりふたりと判断されても不思議はないから」

「それと朝斗様にもうひとつ忠告が」

「なんだよ?」

「貴方は精霊の四大と言われる四精霊に加護を与えられました。おそらく全世界精霊教の理の影響は、貴方には通じない。それだけ異端視される恐れがあるということを常に意識しておいて下さい。ボクも出来る限り庇いますが、あなた方は余りにも普通ではない。庇いきれる自信はないので」

「全世界精霊教の理の影響……ねえ」

 その知識なら朝斗の中にはある。

 こちらで学んだからだ。

 それはすべての精霊を操れる上に、全ての精霊の力を無にできるということだ。

 それは最上級の精霊使い以上に求められている存在だと歴史書には書いていた。

 なんてことだ。

 あのときの加護がそんなものになるとは。

 頭が痛くて朝斗はため息をついた。
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