第四章 古の王家の末裔





 リョガーザを手にするとショウはすぐにとって返した。

 その胸元で双頭のラジャの首飾りが揺れている。

 すこし走ってショウはそのことに気がついた。

「ヤバッ。うっかりしてた。だれも見てなかったよな?」

 キョロキョロと視線を走らせて、ショウは首飾りを服の下に隠した。

 風のような速度でメイディアの王子の屋敷に向かってショウは駆けていく。

 その後ろ姿を見送る影があった。

「あの首飾りは……」

 現王家派の将軍は苦い顔で遠くなるショウの後ろ姿を見ていた。

「後をつけろ」

「はっ」

 部下に一言命じてすべては急速に動き始めた。



「ハアハアハア……」

 苦しくて息ができない。

 バレただろうか。

 ショウに。

 ショウに肩を掴まれたとき、確かにショウの顔色が変わった。

 気付かれたかもしれない。

 俺が妖魔の王だと。

 あのとき少量だけ血を吐いて、すぐにショウの屋敷に転移したけど、グレンの屋敷に戻ったときには、すべての力が尽きていた。

 このままなら死ねるのかな。

 妖魔の王たる自分に死は訪れないのだと思っていた。

 老いも死も自分には関係のないものだと思っていたのだ。

 まさかこんな事態になるなんて思ったこともない。

 この苦しさに身を任せていたら死ねるのかな。

 この永すぎる生から、ようやく解放されるのかな?

 最期にショウに逢えて良かった。




「メイディアの王子っ。ラーダの様子はっ」

 メイディアの王子の屋敷に駆け込んだショウを見て、彼の後をつけていた騎士がギョッとした顔をした。

 まさかメイディアの王子の下へ行くとは思わなかったのだ。

 早く将軍に知らせなければと身を翻す。

 そんなこととは知らないショウは、出迎えに出てきたグレンが青ざめているのを見て同じように青ざめた。

「さっきから意識がない。何度も血を吐くんだ。すまない。おれがもっと早く素直になって解放していたら。おまえの下へ連れ戻していたらこんなことには……」

「いい。今は後悔は無用の長物だ。ラーダに逢わせてくれ。リョガーザを処方して飲ませたらまだ間に合うかもしれない」

 グレンを責める間も惜しいと言ったショウに、グレンは黙って従った。

 こんなとき彼に負けていると痛感する。

 男としての器でグレンはショウに負けている。

 そのことを今素直に認めていた。

 もっと早くにそのことを認める勇気があったら、ラーダをここまで追い詰めることもなかっただろうに。

 そう思うと悔やまれてならなかった。

 なにが万にひとつの可能性だ。

 傲慢だったんだとそう思う。

 ラーダの元に駆け込むと、ラーダはすでに虫の息だった。

 細い細い息を弱く弱く繰り返している。

 ショウはエスタの傍に行くと一言だけ訊ねた。

「格好からして白魔法使いか?」

「そうですが?」

「リョガーザを持ってきた。これを処方してほしい」

「わかりました」

「半分は貼り薬として用意してくれ。なにかで呼吸を助けた方がいい」

「はい」

 すべての準備が整ったのは、それからすぐのことだった。

 ショウが必要な物をすべて持ち込んだせいで、用意に手間取ることがなかったのだ。

 自力では飲めないだろうラーダのために、ショウは小瓶まで用意していて、その用意周到さにはグレンも舌を巻く思いだった。

 異性になれるラーダの立場を気遣って、ショウは口移しはせずに済むように、吸い口のついた小瓶を用意してきたのだから。

 用意したリョガーザを何回かに分けて飲ませる。

 呼吸を助けるため、侍女の手を借りて何度か胸にリョガーザの貼り薬を貼る。

 それを数回繰り返した頃には、ラーダの呼吸は落ち着いてきていて、顔色もグンと良くなってきていた。

(やっぱり治りが早いな。普通、ここまで症状が重いと治るのに時間がかかるのに。やっぱり妖魔だからか?)

 感想は態度に出さなかったけれどホッとしていた。

 ラーダが回復してきたのを見て。

「なにも訊かないんだな」

 すべて落ち着いてきてから、グレンがふとそんなことを言った。

 枕元で付き添っていたショウは背後に立つ彼を振り返り問うてみた。

「訊いてほしいのか?」

「さあ。自分でもよくわからない。ただこんな状態にまで追い込んだというのに、理由を訊かれないのが不思議で」

「あんたのやり方は確かに良くなかった。どんな理由があるにしろ、薬で人を自由にしようなんて最低のやり方だ。でも、ラーダは助かったし、あんたはあんたで悪いことをしたって、今は本心から思ってるんだろ?」

「ああ。本当にラーダには済まないことをしたと思ってる」

 心からそう言っている風情のグレンを見上げて、ショウは優しく微笑んだ。

「だったら俺からなにか言うようなことじゃないよ。そのことで抗議できる権利を持ってるのは、被害者のラーダだけだ。俺にはなんの権利もない」

「だが、おまえにも心配を掛けただろう? ラーダはいつもそのことを気にしていた」

「確かに心配していたという理由からなら、俺にも文句を言う権利はあるかもしれないけど、それもラーダ次第だな。俺からは言うべきことはなにもない」

 あっさりしているショウにグレンは敵わないなとため息を吐き出す。

 ショウにしてみれば相手はラーダの孫かもしれないのだ。

 自分の孫を相手にラーダがどこまで怒っているか。

 それがハッキリしない間は、ショウの出番はないと思っている。

 改心する前のラーダなら自分の孫が相手でも、こんな目に遭わせた相手を許さなかっただろうが、今は許すような気がする。

 だから、出た答えだった。

「それよりすこしお訊きしたいことがあるのですが」

「エスタ?」

 不思議そうな王子の顔と怪訝そうなショウの顔を交互に見て、エスタはゆっくりと息を吸い込んだ。

「間違っていたらすみません。あなたはラスターシャ王家の王子ではありませんか?」

 ピクリとショウの眉があがった。

 だが、反応はそれだけだった。

 後は反応らしい反応もない。

 しかしその一瞬の動揺で答えは十分だった。

 エスタはどんな反応も見逃すまいと、ショウを凝視していたので、その一瞬の動揺もきちんと見抜いていたのである。

「こいつがラスターシャの王子? どういうことだ、エスタ? きちんと説明しろ」

「あのとき、最後の最後に彼を襲った魔族がいましたね?」

「ああ。いきなりこいつに襲いかかったんだか」

「あのときの魔族が口走っていたんです。『魔門。その力を寄越せ』と。このレジェンヌで代表的な魔門と言えばラスターシャ王家でしょう。まさか世継ぎの君ではないとは思いますが」

 そういえば……とグレンも改めてショウを見た。

 確かにあのとき、襲いかかった魔族はショウに向かって「魔門」と言った。

 それは聞き間違いではない。

 グレンも確かに耳にした。

「本当か? 本当におまえはラスターシャ王家の者なのか?」

 問われてもショウには答えられない。

 後見役をやってもらえたら、これ以上の良策はないが、メイディアの動向がハッキリしない今迂闊に打ち明けるわけにはいかなかった。

「もしそうなら身の振り方の心配はしないでほしい」

「どういう意味だよ?」

「おれは父上からレジェンヌに赴くのなら、ラスターシャ王家の者が生存していないかどうか調べてくるように言われていたんだ。生き残っていたら保護するようにと厳命を受けている」

「保護って?」

 信じられないと背後に立っている王子を見上げると、彼は隣に椅子を用意して腰掛けた。

 同じ目線の高さにある顔をじっと見つめる。

 急展開した話についていけない。

「もともとレジェンヌを治めていたのはラスターシャ王家だ。その権威も威厳もまだ失われてはいないということだ。
 現王家のやり方は目にあまる。旧王家の者を暗殺して回ったりと、とにかく目にあまる行動が多いだろう?
 だから、父上が中心となってラスターシャ王家に王位を取り戻してもらおうと動きだしていたんだ。
 そのためにはラスターシャ王家の正式な世継ぎが必要で、おまえが正式な世継ぎではないとしても、ラスターシャ王家の生き残りなら、即位する権利はある。どうなんだ? 違うのか?」

 ここまで言われても黙っていると、グレンが言いにくそうに言ってきた。

「こんな真似をしたおれを信じてくれと言っても、すぐには無理だろうが言っていることには嘘はない。メイディアの王子としての誇りをかけてもいい。信じてくれないか?」

 信じてくれとグレンが言う。

 立場がなさそうにしながらも偽らない眼差しで。

 そんな王子を見兼ねてエスタも言い添えた。

「王子のおっしゃっていることは本当です。国王自らのご命令でした。その場にはわたしも同席していましたので間違いありません。信用しては頂けませんか? わたしたちはあなたを裏切りませんから」

 これを転機と言うのかもしれない。

 ショウの運命が変わる瞬間。

 メイディアの後見を得られるかもしれない。

 そうしたら現王家に対しても対処法を考えられるし。

 賭けてみるべきなのかもしれない。

 彼らに。

「俺の名前はショウ・ザ・デザイア・レ・ラスターシャ。ラスターシャ王家の正式なる世継ぎだ」

 言いながら首にさげていた双頭のラジャの首飾りを取り出す。

 伝説の首飾りを見てふたりは息を飲んだ。

 まさか正式なる世継ぎの君本人だとは思わなかったのだ。

 ただの末裔のひとりだろうと思っていたので。

「これまでの失礼な態度をお詫びしたい。まさかラスターシャの正式なる世継ぎの君だとは」

「いいさ。俺が黙ってたことだ。そのことで詫びる必要なんてない。俺も現王家から生命を狙われる身の上だから、迂闊に人を信用できなくてさ。そのことは謝るよ。保護してくれる気だったのなら、俺の警戒しすぎってことだろうし」

「いや。父上に打診はしなければならないが、ここでショウ王子にお訊ねしたい。メイディア諸国連合の後見を受けてもらえるだろうか。西方諸国にはあなたの力が必要だ」

「俺の後見役を引き受ければ、現王家を敵に回すことになるぞ。それでもいいのか?」

「覚悟の上だ。元々この国はあなたの国だろう」

 あまりにグレンが丁寧な言葉を使うので、ショウは薄ら寒くなってきた。

 苦笑してグレンに注意する。

「今まで通りの話し方に戻してくれよ。なんか馴染めなくて薄ら寒い」

「薄ら寒いって……それは幾らなんでも……」

 丁寧に喋って気持ち悪いと言われたグレンはやさぐれた。

 口の中でぶつぶつと愚痴る。

「立場ではラスターシャの王子である俺の方が上かもしれない。でも、年齢ではそっちが上だろ。
 あんまり意識しないでくれ。俺も王子として扱われるのには、そんなに慣れてないし」

「そこまで言うなら……だが、今になって納得した気分だ。二度目に逢ったとき、とても普通の少年に見えなくて、本当は身分も名もある立場じゃないかと思ったんだ。それも納得がいったよ。あのときはラスターシャの王子として相対していたんだろう?」

「まあね」

 認められてグレンは何度も頷いた。

 自分の見る目が間違ってなかったとわかって。

 ショウの態度はラスターシャの王子のものだった。

 だったらすこしは胸を張れそうだ。

 そこでも騙されたならやりきれないところだが。

「俺の後見役のことだけどメイディア諸国連合って?」

「ラスターシャの王子に王位を取り戻してもらいたいと願っている西方諸国連合軍のことだ」

「そんなものがあったのか」

「現王家の手前、秘密裡に動いていたからな。現王家にバレるとそれだけでラスターシャ王家の者を追い詰めそうだったし。密かに接触できたおれは幸運だった」

 もうショウが後見を受けるものと決めてかかっているグレンに、ショウは一言だけ訊ねてみた。

「どうやって俺を擁立するつもりなんだ?」

「正式にはメイディアに招いて、メイディアからラスターシャの王子として、レジェンヌに帰国する形になると思う。メイディアの後ろ楯がないと、さすがに危険だ。暗殺の恐れもあるし」

「確かに。でも、メイディアが連れてきた王子を現王家が認めるかな?」

「認めるだろう。その首飾りがあれば。現王家が血眼になって手に入れようとした双頭のラジャの首飾りだ。それを所持しているのはラスターシャの王子のみ。おれもそれがなかったら、すぐには信じられなかったかもしれない」

「それになによりも強い証として、あなたが魔門であるという事実があります。魔門はラスターシャ王家を意味すると言っても過言ではないほどですからね」

 魔門は数が少ないが、その数少ない実例はすべてラスターシャ王家だった。

 ラスターシャ王家以外の魔門は発見されていないのである。

 もしかしたらいないのかもしれないし、もっと遠い国にいるのかもしれないが。

 少なくともレジェンヌの周辺にいる魔門は、ラスターシャ王家の血を引いていると判断して間違っていないのである。

 そこへ双頭のラジャの首飾りがあれば完璧だ。

 メイディアを後ろ楯にしていたら、如何に現王家といえどショウの即位を拒めはしないだろう。

 ショウの即位はメイディアをはじめとする諸国連合の一致した望みなのだから。

「今この瞬間からおれたちの保護下に入ってほしいが構わないだろうか?」

「俺の生命を最優先するなら、嫌だなんて言えないだろ? 生きたかったら受けるしかない。よろしく頼むよ、メイディアの王子。今の俺にはあんたしか頼れないから」

 ショウが片手を差し出すとグレンは握り返しながら微笑んだ。

「グレンと呼んでくれ。おれたちは今この瞬間から仲間だろう?」

「そうだな。でも、ラーダはもう解放してやってくれ」

「痛いところを」

「俺がいるかぎりしばらくはラーダも一緒にいると思うから、それで勘弁してくれよ」

「ありがとう」

 一方的に悪いのに責めないショウ
、グレンは心からの礼を言った。

 これがラスターシャの王子。

 そう思うと負けていたのも当たり前だったのだと思えた。




「ラスターシャの王子を発見した? それはまことか?」

 国王の下へ報告に参じた将軍が告げた内容に、レジェンヌの現国王は青ざめた。

 1番恐れていたことだ。

 ラスターシャの王子が出てきたら、せっかく手に入れた地位を失うことになる。

 それは将軍にしても同じだった。

 国王が代われば現政府派の自分は煙たがられるだろう。

 そうすれば地位を追われることになる。

 だから、今更ラスターシャの国王などいらないのだ。

 例え国民のすべてが待ち望んでいたとしても。

「しかもどうやらメイディアと通じている様子」

「メイディアと通じている? メイディアはラスターシャの王子を擁立するつもりか」

 イライラとした王の様子に将軍は「おそらくは」と告げる。

「なんとかして王子を捕らえるのだ。褒美は思いのままじゃ。よいな?」

「承知いたしました」

 将軍の冷たい笑いが、これから先の運命を象徴しているようだった。
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