第三章 メイディアの王子

 でも、本当にそこにラーダがいるとしたら?

 帰りたくても帰れないでいるとしたら?

 グレンとショウは顔見知りだ。

 あのとき、一度だけとはいえ逢っている。

 だから、逢ってくれと言えるだけの権利はある。

 でも、逢ってくれるとは限らない。

 本当にラーダを拉致しているのだとしたら、ショウには逢ってくれないだろう。

 それでも逢いたいのだと強行しようとしたら、どう考えても庶民の少年では無理だ。

 それなりの地位にいなければ、メイディアの王子相手にやり合えない。

 そうなればラスターシャの王子だと明かすしか方法はなく、これまた自殺行為である。

 メイディアに後ろ楯になってもらうために明かすのならともかく、そういう方法で明かしたら危険極まりない。

「どうしよう。おおよそのメドがついても、これじゃあ動きだせないよ。ラーダは今も困ってるかもしれないのに」

 呟いて途方に暮れた。

 自分になにができるのかを考えながら。




「いいかげんにしてよね、もう」

 力なく寝台で呟くのはラーダである。

 この1週間、なにかといえば薬を使うのだ。

 おかげでちょっと体調が悪い。

 普通の薬ならまだしも、多用されると生命に関わるような薬を毎日飲まされているのだ。

 さすがに影響だって受ける。

 身体がダルい程度だが、これ以上多用されると本格的に身体を壊しかねなかった。

 グレンは自分がいなくなるときは、大抵ラーダに薬を飲ませる。

 それをしないときは薬から解放されたばかりのとき。

 さすがに連続で使うのは心が痛むのか、このときは使わない。

 その代わりラーダを残していく場合、部屋にきっちりと結界を掛けていく。

 ラーダが逃げられないように。

 おかげでラーダは逃げるに逃げられず、虜囚の身に甘んじているのだった。

 時々バレてもいいから逃げてやろうかと思わないこともない。

 ラーダが本気になれば容易く逃げられるからだ。

 でも、正体がバレるようなことを、自分からするわけにもいかなくて、結局グレンの言いなりになるしかなかった。

 もう1週間だ。

 ショウはどんなに心配しているだろう。

「もう1週間もここにいるんだ。すこしくらい打ち解けてくれてもいいだろう」

「この状況で打ち解けたら、俺はただのバカじゃない。薬で俺を自由にしようとしてる奴の言うことなんて聞かないし、打ち解ける気もないからね」

「ふう」

 やれやれと言いたげなため息をグレンがついたので、ラーダはため息をつきたいのは、こちらの方だと睨み付けた。

 頭痛い。

 すこし眠ろうか。

 どうせグレンが見張っているあいだは逃げ出すこともできないんだし。

 そう思ってラーダが眠ると、グレンは悲しそうにその寝顔を見ていた。

 自業自得なのかもしれない。

 ラーダが言っているように、この状況で打ち解けてもらおうとするグレンの方がおかしいのかもしれない。

 でも、打ち解けてもらえないのが悲しかった。

「王子」

「エスタか」

「王子はこの方をラーダさまをどうなさりたいのですか? このままではいつか殺してしまいますよ?」

「殺す? おれがラーダを? 何故?」

「あの薬はお渡しするときにも申し上げましたが、非常に強い薬です。聖妃さまは普通の薬が効きにくい体質だったとお聞きしているから、王子は絶対に効く薬が欲しいと申されました。だから、あれをお渡ししたのです。
 しかしお渡しするときにも申し上げたように、あの薬は非常に強く多用すると使用者の生命すら危うくします。王子はもう1週間も立て続けに使用されています。
 この方もたしかに普通より薬の効きは鈍いようですが、これ以上続ければお生命の保証ができません。それでもよろしいのですか?」

 ラーダを殺すつもりかと言われて、グレンは青ざめた。

 そういえばすこし顔色が悪くなったような気がする。

 意地を張っているからなのか、ラーダは絶食を続けているから、そういう意味でも変化が起きて当然なのかもしれないが、それでもこの顔色はすこし悪すぎる。

 青ざめているし時々土気色のときもある。

 これ以上続ければたしかに危険かもしれない。

 祖母は普通の薬が効きにくい体質だったと聞いた。

 だから、その血族であるラーダも薬が効きにくい可能性があると考えて、グレンはあの薬を用意してもらったのである。

 しかし今エスタが言ったようにあの薬は非常に強く、それだけに使用するには危険な薬でもある。

 1週間使用してきたが、ラーダはたしかに普通より薬が切れるのが早い。
 常識的にはまだ効いている時間にひょっこり目を覚ます。

 それが度重なっている。

 だから、グレンはあの薬で正解だったと思っているのだが、たしかにこれ以上続ければラーダの生命を危険に晒す心配はあった。

 しかしラーダが起きている間中、魔法で結界を張っておくなんて真似ができるはずもなく、薬がダメだとしたらどうすればいいのかがわからない。

 エスタは諦めろと言いたいのかもしれないが。

 寝台で休んでいるラーダの傍にグレンは付き添っているのだが、エスタはその彼の斜め後ろから見守っていた。

 不器用な愛情表現しか知らない王子を。

「エスタはおれに諦めろと言いたいのだろう?」

「はい。もう十分でしょう? これ以上続けてもラーダさまのお心は王子のものにはなりません。離れていくばかりで王子の望むようには決してならないのです。もう十分です。これ以上は王子も傷付きます」

「わかっているさ。おれのやり方が不味いってことぐらいは。おれのやり方ではラーダは離れていくばかりで、好きになってくれる可能性なんて万にひとつもない。そんなことはおれが1番よくわかっているんだ、エスタ。この1週間ラーダと接してきたのはおれなんだから」

「だったら」

 希望を持ったように明るく言いかけたエスタを遮って、グレンは彼を振り向くと一言だけ告げた。

「それでも諦めきれない。万にひとつがダメなら億にひとつでもいい。その可能性に賭けてみたいんだ」

「王子っ」

 きらわれるばかりで愛されることなど万にひとつもない。

 それは可能性の数を増やせば可能性が増すというわけではないのだ。

 機会が一万回から一億回に増えたとしても確率は同じなのである。

 王子が今のやり方を持続させるかぎり。

 それをわかってもらえないことが辛かった。

「ではせめて薬の使用はお控えください。このままではラーダさまのお生命に関わります」

「わかった。できるだけそうしてみるから」

 これだけ言っても努力するとしか言わない王子に、エスタはほとほと困り果てた。

 王子が恋愛に関して、これだけ不器用だとは知らなかった。

「時折王子とラーダさまの会話に出てくるあいつとはだれですか? ラーダさまはショウと呼んでいらしたようですが」

 ショウの名前が出てグレンが一気に不機嫌になる。

「おれもよくは知らない。だが、話を総合するに一緒に住んでいる奴らしいな。ラーダとどういう関係なのかは、おれの方が知りたいくらいだ」

「王子はその方を一方的に敵視されているようですが」

「当たり前だ。ラーダはなにをやってもあいつの肩を持つ。おれよりあいつの方ばかり気にしている。それで気にするなと言われても無理だ」

 たしかにラーダはグレンのやっていることを批難するとき、時折だが「ショウならこんな真似はしない」と断言してくる。

 それはエスタも耳にしている。

 ラーダがショウに心を寄せているのは避けられない現実のようだった。

 そういう意味でラーダがショウを想っているのなら、王子の勝ち目はまるでないということになってしまう。

 どんな人物か純粋に興味があった。

 その人物があいだにいなければ、こんなに揉めていない気がして。

 ラーダの頑なな態度はショウに心配をかけてしまう現実に対して生じているらしいから。

 心配をかけさせている王子が相手では、容赦してほしいと思うこと自体が間違いかもしれない。

「好きになってもらえるように努力しようとは王子は欠片も思わないのですね」

「おれだって努力しているっ」

「薬でご自分に縛り付けることを、好きになってもらえるように努力しているとは言わないものです。単なる無理強いです。それがわからないのですか?」

「エスタ……」

 エスタは幼なじみ兼お目付け役なので、きついことも口にする。

 はっきり言われてグレンは動揺して目を泳がせた。

「ラーダさまがショウという人物に、元々好感を抱いていたとしても、それを強固なものにしているのは、王子の振る舞いがあまりに理不尽だからです。
 どうしてそれがわからないのですか? このままの状態を維持するなら、億にひとつの可能性だってありませんよ」

「はっきり言うんだな」

「最近の王子の行動はあまりに目に余りますから。お目付け役としてお諌めもします」

 それが王子のためだと信じている口調に、グレンはなにも言えず目を逸らした。

 もし今から態度を改めたとしても、ラーダの脳裡にはグレンはワガママで理不尽な王子と刻まれてしまっているだろう。

 今更遅すぎる。

 そう思えてならなかった。

 手放せば失うのなら、このままの状態を維持するしかなかった。

 ラーダを失いたくないのなら。




 ラーダとはぐれてから10日。

 ショウはとうとう我慢の限界を越えて、動き出すことを決意した。

 その日ショウはラーダとグレンとやってきた下町の飲み屋にもう一度足を運んでいた。

 カウンターについてバーテンダーに声を投げる。

「俺、いつもの奴ね」

「了解。ショウがカウンターとは珍しいな。なにか欲しい情報でもあるのか?」

 顔馴染みのバーテンダーはカクテルを作りながら、そんなふうに問い返す。

 ショウがこの店にきてテーブルに腰掛けず、カウンターに腰掛けたときは、この店の裏の顔に用があるときなのだ。

 そしてバーテンにカクテルを頼むときは、欲しい情報があるという前振りでもある。

 カウンターで頼むいつものカクテルを手に取って、ショウは身を乗り出した。

「メイディアの情報が欲しい」

「そりゃまた注文がでかいな」

 こういう世界の常識は、どうしてその情報が欲しいのか詮索しないこと。

 相手の身許も詮索しないこと。

 一言で言えば「一切詮索しないこと」に限られた。

 バーテンも慣れたものでショウの言葉に驚いた顔をしてみせたが、それ以上の反応を見せることはなかった。

「メイディアの王子の一行がどこに泊まっているか知りたいんだ。情報は掴めるか?」

「そりゃあここで手に入らない情報なんてないが、それはちょっと情報が大きすぎるぜ。メイディアは大国だからな。その世継ぎの王子の一行の情報となるとかなり値が張る」

「金は言い値で払う。教えてくれないか」

「王宮に程近いアルト街にある屋敷だと聞いてる。近付いていけば一目でわかるさ。メイディアの人間がうろうろしてるから」

「王宮の方の動向も知りたい。メイディアの王子の屋敷には度々使者を送ってるのか?」

「そりゃあ正式な客人だからな。それでなくとも魔族のことで、王子に助力を願わなければならない立場なんだ。使者は毎日のように訪れてるさ」

 ここまで聞いてからショウは用意していたお金とは別にバーテンにだけお金を握らせた。

 賄賂を受け取ってバーテンは心得た顔になる。

「まだ欲しい情報があるんだろう? なんだ?」

「この10日程のあいだにメイディアの一行に変わったことが起きてないか?」

「変わったこと?」

「ああ。例えば非公式の訪問者でもいるらしいとか、姿は見えないけど客が滞在中らしいとか。なんでもいいから普段と変わったことだよ。なにかないか?」

「そうだなあ。変わったことといえばグラッグっていう薬知ってるか?」

「ああ。あの人も殺しかねない危険な睡眠薬だろ? 麻薬の一種じゃないかって専らの噂だよな」

「そのグラッグを大量に用意したらしいんだ」

「グラッグを大量に?」

 欲しい情報とは違っていたが、メイディア側がそんなに危険な薬を大量に用意する理由がわからなくて眉を潜めた。

「殺人でも起きなきゃいいのにって専らの噂だぜ。もちろんメイディアがそんなことするわけないとは思うんだが、あの量だとひとりやふたりは軽く殺せるだろうから」

「そんなに大量に集めたのか」

 そういえば噂で聞いたくらいだが、ラーダ・サイラージュは普通の薬が効きにくい体質だったって話だ。

 変わった体質の持ち主ってことで現在まで語り継がれているが。

 まさかラーダに使っている?

 ラーダ・サイラージュとラーダが本
当に血族で、その特徴まで似ていたとしたら、普通の薬は効かないラーダのために、危険な薬を用意した可能性は十分に残っている。

 そういう理由でもないかぎりメイディアが、あんな危険な薬を集める意味がわからないから。

「ありがとう。欲しい情報は大体貰えたから今日は帰るよ。カクテル。美味しかったよ。じゃあな」

 言って帰ろうとしたショウに言おうかどうしようか迷った一言が届いた。

「メイディアになにかする気なのか?」

「考えすぎだよ。俺がメイディア相手になにをするって? まだそこまで人生捨ててないから心配しなくてもいいよ」

「ならいいが、その歳で危険な真似はするなよ」

 商売としてなら明らかに規則違反。

 口出ししないのがルールなのだから。

 だが、ショウは心配してくれたのが嬉しくて、笑って手を振って別れた。

「グラッグの特効薬と言われているのがリョガーザだっけ。なんだろう。これから先必要になるような気がする」

 幼い頃より優れた勘の持ち主だったショウは、ふと浮かんだ不吉な考えに我知らず眉を寄せていた。

 眉間のあいだのシワがその深刻さを物語っている。

 この段階ではショウはなにも知らなかった。

 ラーダの正体もラーダとグレンの繋がりも。

 そのときは刻一刻と近付いてきていた。




「はあ」

 荒く息をついてラーダは寝台の上で身を捻った。

 呼吸が荒い。

 胸が苦しくて呼吸が荒い。

 この10日ほぼ毎日あの薬を使用されているのだ。

 さすがのラーダも異常を感じはじめていた。

 熱っぽいし時々だが苦しくてたまらないことがある。

 こんな状態でも夜になれば、きちんと妖魔の騎士として動いている。

 二重の負担だ。

 本当はそんな体調ではないのに。

 なのにそんな無茶を続けているから、ラーダは影響を受けているのである。

 グレンもそれは知っていたが、ラーダが手当てを受けないため手を打てなかった。

 手当てしようとするとラーダが激しく拒絶するのだ。

 まるで死んでもいいから構うなと言っているようだった。

 そこまで拒絶されていると知って尚更辛くなる。

 さすがにそこまで追い込んで、なお受け入れてもらえないのを知って、ショウの下へ帰そうかと思うこともあった。

 彼の下にいたらラーダは手当ても受けてくれるだろうし、もうあんな薬を使われることもないだろいから、どんどん回復に向かうだろう。

 わかっているのにそれができない。
 諦めることだけができない。

「ラーダ。もう意地を張るな。手当てを受けろ。そのままでは大変なことになるぞ」

 寝台を覗き込んできたグレンを睨み付けて、ラーダが吐き捨てた。

「だれのせいだと思ってるんだか」

「おれのせいだとわかっているから手当てを受けろと言ってるんだ。おれだって好きでこんなことをしてるわけじゃない」

「それが10日も連続であの危険な薬を使ってる奴の科白とは思えないね」

「それは」

 ラーダにはなんの薬を使っているのか教えたことはないのだが、どうも知っているようだった。

 だから、自分の容態が正確にわかっている。

 わかっていて手当てを拒絶するのだから、グレンが心配するのも無理はない。

 もちろんそんな状態に追い込んでいるグレンが心配するというのは、あまりに傲慢が過ぎるのかもしれないけれど。

「矛盾しているかもしれないが、おれの本音なんだ。頼むから素直に聞いてくれ」

 ご飯さえ食べてもらえないグレンは、さすがにラーダの身が気掛かりだった。

 常識的に考えれば薬以外は一切口にしていないのである。

 そんな状態が10日も続いているのだ。
 気になって当然である。

 だが、ラーダはその言葉にも答えなかった。

 素直に聞くときは彼がラーダを解放する気になったときだと決めていた。

 それまでは絶対に折れない。

 こちらから手当てを頼む気もなかった。

 それに半神半妖のラーダだ。

 普通の手当ては無駄である。

 今回のことにしたって影響を受けているのは、ラーダが半神半妖だからなのだ。

 普通の妖魔、もしくは光の神であれば、こんな形で影響を受けてはいない。

 ラーダはその身に光と闇の両方の特徴を宿していた。

 それだけに普通の神とも妖魔とも違うのである。

 その強さも圧倒的だが、その特徴も特殊なのだった。

 そんなラーダが人間の手当てを受けたところで、どうにもならない。

 下手をしたら効果がないことから、人間ではないとバレる可能性もある。

 だから、手当てを受けろという言葉には頷かないのである。

 もちろんこちらから折れないと決めたせいでもあるのだが。

「素直に聞いてほしかったから俺を解放するんだな。それ以外ではあんたの誠意なんて認めない」

 苦しそうにしながらも言い切られて、グレンがウッと詰まった。

 なにも言えないまま顔を背ける。

 まだ解放すると言えずに。
2/3ページ
スキ