腐向け

ひらいてみつけて




滲んだ視界に映る、割れた街。

コンビニの軒下に腰を下ろし、手指の土ぼこりをズボンで払う。
顔の横にあるものを指先でつまんで確認すると、眼前に浮いたレンズの罅に沿って雨の雫がこぼれ落ちた。

眼鏡に滴る雫の一粒一粒は背にしたコンビニの明かりを煌々と反射し、その向こうでは脇の道路を駆け抜ける車のヘッドライトが飴色にきらきら、くるくる、と流れてテーマパークのようだ。

ため息をついてまた眼鏡を顔に載せたが、罅の隙間から飛び込むビルの光や車の影が暗闇から切り取ったように輪郭を得ていくのと連動して、自分の鬱鬱とした気持ちまでくっきりと自覚させられるようで、気分は良くない。
とりあえず雨を避けるため、コンビに店内に入る。




高校では孤立し親とも上手くいかず、家に居るのが嫌で夜中に街をうろつくようになった俺は何度か不良グループと諍いを起こし、親が警察に頭を下げるようなこともあった。
だが眼鏡が割れるほどの殴り合いをしたことはない。

この晩、俺は高校を辞める辞めないで両親と口論となり、いつも以上にムシャクシャしていた。
今帰ったら、さらに酷い言い争いになることは目に見えている。

どこにも行きたくない。
誰も理解などしてくれないし、もう理解してほしいとも思わない。




カウンター内にいる店員の訝しげな視線を感じ、冷気がどんよりと降りる商品棚に手を突っ込んで適当なものを買う。
再びコンビニの軒下に腰を下ろしながら、購入した紙パックにストローを刺した。

「なにこれまっず……」

“おいしい無調整豆乳”と書かれた地味なパッケージを睨みつける。
イライラが深まるままにストローを深く咥えこみ、液体を直接喉に流し込んだ。
勢いで咽てしまい、眉間に深い皺が寄る。

なんだよ。
なんだよちくしょう。
今日はとことん運が無い。

怒る気力は長続きせず、殴られた箇所の熱さとやるせない悲しみだけが体を縛り付けて動けない。

これから、どうしよう。

パックを握り潰す勢いも失せ、“おいしい無調整豆乳”を憮然と手の中で引っ掻く。
ベリッという音で側面の糊が剥がれ、更に角を押すと箱型の紙がペコリと凹んで平らになった。

『たたんでくれてありがとう』

そうして飲み口面の山折りの下から現れたのは、ゴミ減容への協力に謝意を示す小粋なサプライズメッセージだった。
汚れたレンズの向こうに小さいポップな文字がちょこんと並ぶ。

別に、畳もうとして畳んだわけじゃない。
何ならゴミ箱を無視してその辺に投げ捨てようとさえ思っていた。
俺はお前を不味いと言ったし、お返しに礼を言われるようなことは何もしていない。

何もしていない……。

「……バカにすんな」

“おいしい無調整豆乳”を握り締めたまま、膝の間に顔を埋める。

誰の理解も要らないはずだったのに、不味い豆乳の一言にさえ追い詰められている事実を胸に突きつけられ、ずっと我慢していたもので睫毛が濡れた。

通り去る車のエンジン音が遠く聞こえる。

「ちょっとまって。いや、先行っといて」

その中から、快活な足音が近づいてくる。

「おい、どうした」

目の前でしゃがみ込む気配と他人の衣擦れ、覗き込むほど近距離からのはっきりした声。
顔を拭うこともなく視線を上げると、黒く短い髪の少年があっと驚き、不安、心配を順に滲ませた彫りの深い顔で僅かに息を呑む。

「やっぱり、お前同じクラスの……怪我してんじゃん……大丈夫か?」

(俺のこと覚えてるやつなんて居たんだ)

暗闇で顔も見えないのによく気付いたなとぼんやり考えていると、瞳の岸に残った温かい雫が瞬きに押されて頬を走った。
目の前のクラスメイトは「あっ、えっ」と狼狽し、あたふたと慣れない手つきで俺の顔から水滴を拭う。

俺が余計に泣き出したと思ったのだろうか。
だからって男の頬を撫でるか?
変なやつ。



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その手は痣になっている所もお構いなしに擦るので少し痛い。
痛くて、笑った。

彼は理解できない顔をしたが、へへっと愛想を作って、悲しみの跡が消えた頬をなおも優しく撫でる。
そして事のあらましを聞くと、

「一緒に帰ろう」

言葉通り俺の家の玄関にまでついてきて、口をぽかんとあけた両親に割れた眼鏡の謝罪をしたのだった。
並んで頭を下げた俺はおかしくて顔が上げられなかった。





――あの日以来、俺は夜中に出歩くのもケンカもやめた。
高校を辞める話で両親と衝突することもなくなり、クラスではやはり浮いているが、孤独ではなくなった。

彼は完璧な理解者ではない。
全てを話したわけではないから。
だが色んな意見を交わすたび「まあ、そういうのもアリだよな」と軽妙に許容される距離感の心地よさは、これまでに感じたことのないものだった。

拭われたものの代わりに生まれた自分の中の淡い感情なんか、彼は一生知ることはないのだろうけど。

「たとえばの話だけどさ」

今日もそんなたわいない話を聞きながら、“おいしい無調整豆乳”にぷつりとストローを刺し込んだ。





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