Vol. 9 きっと、朝はまた来る/キミの寝顔の傍らで 城崎side・2

  • そこに、

  • どこから聞きつけたのか、厳格そうな教授が一人現れて。

  • ユヅキ

    …、

  • キミは途端に嫌な顔つきになったよね。

  • 教授に見せないように顔を横に背けていたけど、

  • その先のベンチに僕が座っていたから、僕からはその表情が丸わかりだった。

  • 『中庭とはいえ、病院の敷地内で猫に対して診察の真似事をするとは何事だ!』

  • 着くや否やそう怒鳴りつけた教授に、キミはひとまず冷静な態度で頭を下げた。

  • でも。

  • 教授が放った次の言葉に、キミは絶対に折れようとしなかった。

  • *

    こんなくだらない猫のことなんか、放っておけばいいんだ!

  • ユヅキ

    ――…、

  • キミの表情が凍てついた瞬間だった。

  • 冷静沈着に、それでいて強く、

  • キミの抱く信念を打ち返したよね。

  • ユヅキ

    一つの命に、『くだらない』なんて言葉、

  • ユヅキ

    口にしないでいただけますか。

  • *

    なに!?

  • ユヅキ

    猫って、充電式か何かのおもちゃですか?

  • ユヅキ

    小さな動物でも、

  • ユヅキ

    命を持ってこの世で懸命に生きているんです。

  • *

    はっ、くだらない…、

  • ユヅキ

    くだらないでしょうか?

  • ユヅキ

    私には、とてもそうは思えません。

  • *

    っ、偉そうに!

  • *

    だいたいキミは、自分の立場を分かっているのか!?

  • *

    この私に反論するなど——

  • ユヅキ

    分かっています。

  • ユヅキ

    私は下っ端の救命医です。

  • ユヅキ

    ですが、人間であれ動物であれ、

  • ユヅキ

    命の重さというものをしっかりと心に留めていただきたい。

  • *

    ……ふん!

  • ユヅキ

    且つ、命を深く重んじ、それを守ろうとしている子どもの前で、

  • ユヅキ

    言葉を選んでいただきたいと思います。

  • キミは凛として言い放った。

  • 絶対に譲れない思いなのだと、その瞳が物語っていた。

  • *

    …――

  • 決まりが悪くなったのか、それ以上は何も言うことなく苛立った様子で立ち去った教授に、

  • キミはやれやれと嘆息して。

  • そしてまた、また最初と同じ笑顔で男の子に向き直ったよね。

  • ユヅキ

    後でさ、いい獣医さんを見つけたら連絡するね。

  • ユヅキ

    君の家の電話番号はこっちで調べれば分かるから。

  • *

    …、うん…。

  • *

    ユヅキ先生、ごめんね。

  • ユヅキ

    なんで?

  • *

    だって…、

  • *

    先生、あの怖い先生に怒られちゃったから…、

  • ユヅキ

    なーんだ、そんなことか。

  • ユヅキ

    何の心配もいらないよ。

  • *

    でも、僕のせいで…、

  • *

    僕、先生に助けてもらってばかりだ…。

  • ユヅキ

    いいんだよ、そんなこと気にしなくて。

  • *

    でも…、

  • ユヅキ

    …あ。そうだ。

  • ユヅキ

    じゃあさ、

  • ユヅキ

    先生のために、一つ約束してくれるかな?

  • *

    …約束?

  • *

    どんな約束?

  • ユヅキ

    君の優しい気持ち、そのままで。

  • ユヅキ

    大人になっても、生き物や動物の命も大切に思う、

  • ユヅキ

    ずっとそのままの君でいて欲しいな。

  • ユヅキ

    それが、君が先生にしてくれたら嬉しい約束。

  • *

    …分かったっ!

  • *

    絶対に約束するっ!!

  • ユヅキ

    よしっ、約束だぞ〜!

  • 勇ましい笑顔で隆起した男の子の頬を優しく撫でた後、

  • キミはその子と小指を絡ませて指切りげんまんを歌ってた。

  • ……やっぱり、なんだか不思議な女の子。

  • 稀有な人種を見るようにそう思いながらも、

  • 僕は、笑顔のキミから目が離せずにいた。

  • それから日が経っても、キミのことがずっと心に引っかかってて。

  • 僕、ちょっとだけキミのことを調べたんだ。

  • 藤沢 匠>

  • 調べていくうちに、

  • キミのお父さんの名前を目にしてすごく驚いたよ。

  • だって、藤沢さんは僕の父の古くからの友人で、

  • 僕がまだ小さい頃、時々家に訪れた藤沢さんが僕や兄とよく一緒に遊んでくれたから。

  • あるとき、奥さんも一緒に連れ立って、

  • 藤沢さんが抱っこしている腕の中には、まだ2歳くらいのキミがいた。

  • そのときの僕はまだ5歳くらいだったと思うし、

  • 幼かったキミと関わった記憶はほとんど曖昧だけど、

  • 今になって思えば不思議な縁だよね。

  • けど、しばらくして、

  • 僕たち家族は父の仕事の都合で海外へ行くことになって、

  • 藤沢さんとも自然と疎遠になっていったんだ。

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