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その日の夜。
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ユヅキ
……、
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食事も入浴も済ませてのんびりとリビングで寛ぎながら、英字新聞に目を通していると、
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キザキくん、
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今日も遅くなるから晩御飯はいらないと連絡があったようだが、きちんと食事は摂ったかい?
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キザキ
はい、外でちゃんと食べました。
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キザキ
お気遣いありがとうございます。
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廊下に続く観音開きのドアが薄く開いたそこから、父とキザキさんの会話が聞こえてきた。
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ユヅキ
……
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オーロラサウンドを響かせるからくり時計を一瞥すると、
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日付が変わる深夜帯であることをそれは当たり前のように示している。
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ユヅキ
(今日も遅くまで…、)
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ユヅキ
(体調とか大丈夫なのかな)
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キョウヤのことを案じたときとはまた違う、強い憂慮。
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押し留めてるはずの深層に触れただけで、きゅっと切なくなる。
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…そうか、
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来週の土曜日にはもう出て行くか。
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キザキ
はい。
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キザキ
今までお世話になりました。
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キザキ
本当は、今週の土曜日に出ることを考えていたんですが、
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キザキ
もうしばらく時間がかかりそうなので…すみません。
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いやいや、構わんよ、居たいだけ居ればいい。
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なんなら、ずっとうちに居ても構わないんだがな?
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キザキ
…ありがとうございます。
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キザキ
でも、そういうわけには。
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まあ、君にも色々と都合があるだろうが…、
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せめて、ここを実家のように思ってくれればいい。
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疲れたら、いつでも帰っておいで。
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キザキ
……本当に、ありがとうございます。
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雄大な海を思わせるような
寛闊 な父の声と、 -
どこか吹っ切れたようなキザキさんの清々しい澄声が耳に届く。
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ユヅキ
……
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ユヅキ
(キザキさん…、この家からもういなくなっちゃうんだ…)
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二人のやり取りを聞き
齧 って、ぼんやりと思う。
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自分だって、もう少ししたら家から出るどころか日本からいなくなるのに、
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キザキさんとこれまでのようにこの家で顔を合わせられなくなるのだと思っただけで、
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ぽっかりと心に穴が開くような寂しさに包まれた。
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キザキ
あ、ユヅキちゃん。
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キザキ
これ、アメリカの大学から届いてたよ?
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ユヅキ
…、
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キザキさんの呼声に我に返り、そちらに目を遣る。
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いつの間にか父との対話を終えてリビングに入っていた彼は、
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私に向けていつもの微笑を寄越した。
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キザキ
はい、これ。
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ユヅキ
ありがとうございます…。
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目の前に差し出されたA4サイズの封筒は、キザキさんの言う通りジョンズ・ホプキンス大学から郵送されたもので、
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前もって要約はメールで確認していたが、
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おそらくこれには、研究チームに在籍するための関連書類などが入っているのだろう。
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ユヅキ
……
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封を開け、英字が連なる中身に軽く目を通して傍らにしまった。
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キザキ
…ね、ユヅキちゃん。
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ユヅキ
…はい?
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キザキ
今度、新しくなった事務所を見に来てもらえないかな?
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ユヅキ
……私が、ですか?
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キザキ
うん。
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キザキ
まだちゃんと片付いてないんだけど、
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キザキ
完成した事務所を誰よりも先にユヅキちゃんに見てもらいたいんだよね。
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ユヅキ
…いいんですか? 私なんかで…。
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キザキ
もちろん。
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キザキ
…そうそう、
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キザキ
この間の輩なら、もう検挙されたから安心だよ。
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ユヅキ
この間の……、あっ、あのときの男の人ですか…!
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キザキ
うん。
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ユヅキ
良かった、そうなんですね。
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キザキ
狙い通りに動いてくれて、他の仲間も芋づる式にね。
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ユヅキ
それは快挙ですね…、お疲れ様でした。
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キザキ
ありがとう。
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キザキ
だからね、もう前みたいに治安も悪くないし、
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キザキ
これからは気兼ねなく事務所に来てもらえるよ。
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ユヅキ
…、
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『これからは』と綴られた言葉にぴくりと反応してしまう。
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当分の間、気兼ねなく行ける距離に私はいない。
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キザキ
とにかく、近いうちに一度見に来て欲しいんだ。
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ユヅキ
……分かりました。
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ユヅキ
…あの、
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キザキ
うん?
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ユヅキ
事務所に行く日なんですが、できれば早めにお願いします。
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ユヅキ
ちょっと、予定が込み合ってきそうなので。
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キザキ
そっか…、分かった。
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キザキ
じゃあ、次のユヅキちゃんの休みの日でもいい?
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ユヅキ
…いいですよ。予定を空けておきます。
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キザキ
やった!
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キザキ
それまでには、事務所の中をできるだけ綺麗に片付けておくね。
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ユヅキ
あの、たとえ散らかってても全然気にしないので、
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ユヅキ
どうか無理しないでください。
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ユヅキ
それでなくても、キザキさん、最近すごく忙しそうなのに…。
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キザキ
……
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ユヅキ
……、
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キザキさんの整った眉がわずかばかり切なげに歪んだ気がして、
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私は思わず訝るように彼を見つめた。
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