Vol. 9 愛が、はじけるとき ・5

  • 小走りに駆けながら、スマホでアイリを呼び出す。

  • <———TRRRR……>

  • 呼び出し音がスピーカーを通して耳に届いた、その時、

  • 周辺で鳴り響くアイリの着信音とそれがシンクロした。

  • レン

    アイリ…!?

  • レン

    (どこで鳴ってる!?)

  • 繋がりをそのままに、鳴り続ける軽快な音を探りながら、

  • 建物が立ち並ぶ壁と壁の隙間へと身を滑り込ませる。

  • レン

    (この先…、ちゃんとした空間があるのか?)

  • 中低層の建物に挟まれた窮屈な小道を進むと、

  • 壁際に立てかけてあるベニヤ板のささくれが頬を掠めて、軋むような痛みが走る。

  • 流れる汗を拭えば、頬の傷に滲んだ血が、手の甲に朱色を移した。

  • レン

    …、っ、アイリ!!

  • ようやく探り当てたその場所は、無論、大学の構内なんかじゃなく。

  • そこは、濁った空色を引き立てるような鬱蒼とした、ひと気のない路地裏だった。

  • 俺は元来た道を戻り、狭い通路からこの場所に辿り着いたが、

  • アイリは大学がある向こう側の道からここに来たのか、

  • 立ち位置のすぐ横には細い道が奥まで伸びていて、陽光が道なりに光の帯を敷いていた。

  • アイリ

    ごめん、お兄ちゃん…、

  • アイリ

    私、ちょっと、勘違いしてた…、

  • くすんだ壁を背に小刻みに震えながら、アイリは駆け付けた俺を縋るように見つめる。

  • レン

    ああ、そうだろうな…、

  • レン

    この状況を見れば、嫌でも分かる。

  • アイリと俺の間には、こちら側に背を向けた見慣れない影が一つ。

  • レン

    (まさかの、大当たりってか)

  • ハルカを狙ってたはずの男が、俺の行く手を遮るようにして、

  • アイリの方を向いたまま、ゆらりと立ち尽くしていた。

  • アイリ

    ハルカのことが目当てだと思ってたのに…、

  • アイリ

    本命が私だったなんて…、

  • レン

    ……ああ。

  • 震える声で切れ切れに紡いだアイリの言葉を、俺は冷静に受け止める。

  • 自分の魅力に疎いアイリにとっては意外なことだったろうが、

  • 俺にしてみれば、こいつが誰かに好意を寄せられても不思議じゃないし、驚くべきことでもない。

  • アイリ

    ちょっと、迂闊だった…、

  • サークルでの短いミーティングを終え、

  • 俺たちの後を追いかけようと大学を出たところで、男に呼び止められたのだとアイリは続けた。

  • アイリ

    『今後、待ち伏せするのを止めるから、少しだけ話を聞いてくれ』って言われて…、

  • アイリ

    お兄ちゃんに先に電話すればよかったのに、ごめん、

  • アイリ

    少しでも早く、ハルカを安心させたくて…、

  • レン

    つい、一人で着いて行ったんだな?

  • アイリ

    私のことが目当てだったなんて、思いもよらなかったから…。

  • アイリ

    ごめんなさい、ほんとに軽はずみだった、

  • アイリ

    ただでさえ、無茶するなって言われてたのに…、

  • レン

    もういい、何も言うな。

  • ここまで来たら、結果を責めるなんていうのは野暮だ。

  • 友達のために尽くそうとしたアイリの想いを、

  • 今、この瞬間から、どう活かすかだろう。

  • レン

    …おい、おまえ、

  • レン

    これ以上、アイリに近づくな。

  • 短く刻んだ低音と、研ぎ澄ました鋭い声色。

  • アイリとの会話を一度区切り、

  • 間仕切りのように立つスラリとしたパーカーの背中に向けて、ひとまずの第一声を放つ。

  • それでも、男はすぐに振り返ることなく無反応のまま、まるで静止画のように立ち尽くしていたが、

  • *

    …、

  • 俺が再び警告を投げようと口を開いた時、ようやくこちらに振り向いた。

  • *

    ……

  • レン

    …、

  • 見れば、無害という言葉を形容できそうなほど、おとなしい雰囲気の色白の青年で。

  • サラサラとなびくストレートの髪は綺麗に切り揃えられていて、

  • 漆黒の髪色がやけに生真面目さを謳っている。

  • 年齢は、俺と同じくらいか、

  • その落ち着き払った物腰から、もしかしたら、俺よりも少し上かもしれない。

  • 身長はそれなりにあるようだが、痩せた体型であるためか少しひ弱に見えた。

  • *

    ……

  • ひゅっと一陣の風が吹き抜けて、男のグレーのパーカーの裾がたなびく。

  • なんとなくだが、

  • その姿が低級な死神を連想させて、背中に冷たいものが走った。

  • レン

    ……

  • レン

    (妙な男に好かれたもんだな、アイリ…)

  • 内心で強く同情を滲ませながら、俺は改めて男を鋭利に射すくめた。

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