-
レン
ハルカ、来い。
-
一台のタクシーを目先に停めて、それに乗り込むように促す。
-
ハルカ
え、あの…っ、
-
レン
……
-
いきなりのことでハルカがたじろぐのも無理ないが、
-
それに応えることなく無言で肩を引き寄せると、タクシーの後部座席へとその体を押し込めた。
-
レン
悪いが、これに乗って帰ってもらえるか?
-
ハルカ
え、あ、あの、でも、
-
ハルカ
お兄さんやアイリは…?
-
レン
ちょっと…、やっぱり少し気になるから、
-
レン
アイリを大学まで迎えに行ってくる。
-
ハルカ
…えっ、
-
ハルカ
あ、はい…、
-
ハルカ
分かりました…。
-
事態が飲み込めないといった様子できょとんとしたハルカだったが、
-
俺の切羽詰まったような空気感を感じたのか、聞き分けの良い子どものようにコクリと頷いた。
-
レン
いつもは、家に帰ってからお母さんの病院に行くのか?
-
ハルカ
はい、先に洗濯物を入れてから…、
-
レン
悪いが、今日はちょっとそれを変更して、
-
レン
一旦家には帰らずに、先にお母さんの病院に行って、こっちから連絡が入るまではそこで過ごしててもらえねーか?
-
ハルカ
…わ、分かりました…。
-
レン
今一人で家に帰るよりは、病院なら人もたくさんいるし、安全だろうから。
-
レン
色々とこっちの気になることがはっきりしたら、後でアイリと病院まで迎えに行くから、
-
レン
それまでは、おまえの安全のためにも言うことを聞いてくれ。
-
ハルカ
はい、分かりました…!
-
レン
ここから病院までだと、幾らあればタクシー代が足りる?
-
ハルカ
え、えと…、
-
ハルカ
たぶん、5000円あれば十分だと…、
-
ハルカ
あの、お金は持ち合わせてますので、
-
レン
…運転手さん、ちょっといいか?
-
ハルカがおっとりと言葉尻を終えるより先に、
-
後部座席の位置から運転手に向けて、一万円札を差し出した。
-
レン
これで目的地の病院の真ん前まで行ってくれ。
-
*
はいっ、承知しました、
-
*
今、お釣りをお渡ししますので、
-
レン
釣りはいいから、取っておいてくれ。
-
レン
その代わり、こいつがちゃんと病院の中に入るまで見届けてやってもらえねーか?
-
*
はい、あの…、
-
レン
ちょっと、色々と事情があって…、
-
レン
どうしても無事に送り届けたいんだ、頼めるか?
-
*
…はい、かしこまりました!
-
俺から遠慮がちに金を受け取った年配の運転手は、きちんと刈り込まれた白髪の頭を丁寧に下げると、
-
兜の緒を締めるようにしてハンドルを握り直した。
-
ハルカ
お兄さん…、あのっ、
-
ハルカ
私のことよりも、あの、色々と大丈夫でしょうか…、
-
レン
大丈夫だ、心配するな。
-
レン
それよりも、最後まで付き添ってやれなくて悪い。
-
レン
こっちからも後で連絡を入れるつもりだが、
-
レン
無事に病院に着いたら、アイリに一言連絡入れてやってくれ。
-
ハルカ
はいっ…!
-
レン
…じゃあ、また後でな。
-
ハルカの不安げに揺れる眼差しを破顔で受け止めながら、タクシーから離れる。
-
レン
……
-
さすがに、いつまでも笑顔で見送る心の余裕はなかった。
-
嫌な予感は消えるどころか膨らむばかりで。
-
頭の中で鳴り渡る警鐘が、強く俺を突き動かす。
-
レン
(…『お兄ちゃんは心配性なんだから』って、)
-
レン
(頼むから、いつもみたいに笑って言ってくれよ?)
-
全てが俺の早合点であることを願いながら、
-
タクシーの軽快なエンジン音が響いたと同時に、アイリの姿を求めてすぐさま踵を返した。
-
→
タップで続きを読む