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神楽さ〜ん、
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是非、うちに寄ってね~。
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レン
…ありがとな。
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レン
気持ちだけもらっとくよ。
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手のかかる子どもを宥めるように、大人の対応を一つ向けながら、
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一人の女とともにタクシーから降りる。
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周囲から見ればなかなか魅力的な女だろうが、
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酩酊したようなその表情がどれだけ艶めいていようが、俺からすれば特に何の色気も感じない。
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関連会社に勤めるそいつは俺と同じ年齢で、会議などでも顔を合わせることが多々あり、
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仕事仲間というカテゴリ内では、それなりに仲が良い。
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そのせいもあって、成り行きとはいえ、こいつを家まで送り届ける羽目になってしまったのだが。
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レン
おい、一人で歩けるか?
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…ぅ、ん…、
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だいじょおぶ、…、
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レン
…大丈夫じゃねえな、これは。
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転ばないように肩を支えながら、溜め息混じりに歩を進めた。
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仕事仲間たちと帰りに晩飯を食いに行くことになり、
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店でやけにハイペースで酒を煽るその姿が気になって、声を掛けたのが運の尽きだった。
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聞けば、気になる人に全く相手にしてもらえないとかで、ヤケ酒みたいになってしまうのだと話した。
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そういったもどかしさは片想いに通じていて、やりきれない気持ちになるのもよく分かる。
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同情から、ほんの少し心に寄り添ったその瞬間、こいつは俺の片腕を取り込んで離さないまま、
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俺は囚われの身になったかのようにこいつに引っ付いて、残りの飲みの時間を過ごすことになってしまったのだった。
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あ…、見て見て、神楽さんっ、
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星がとっても綺麗〜!
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レン
…ああ、そうだな。
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レン
(あんたと見る星なんて、どうでもいいって)
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しれっと酷いことを思うものだと我ながら呆れつつ、
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適当に相槌を打った視線の先で、そいつの潤んだ瞳とかち合う。
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かなりの酒量を溜め込んだ体は白い肌を薄桃色に染めていて、
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俺の腕には甘ったるい熱を帯びたような細い腕が絡み付いた。
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神楽さんって、ほんとに綺麗な顔してるよね…。
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レン
…、いよいよ酔いが回ったか。
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レン
俺が二人に見えるとか言い出すんじゃねえだろうな?
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もう、褒めてるのにぃ…、はぐらかさないでよ〜。
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レン
…なあ、あんたの部屋、3階でいいんだよな?
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…はあい、そうですよー。
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レン
ったく…、
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ふらふらと浮遊したような肢体は、俺に寄りかかって縋り付いてくる。
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フラつく足元を気にしながら怪我のないように注意を払い、眼前に聳えるマンションの一室を目指した。
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レン
…——
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レン
(——え、)
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突然、前方の路地から現れた二つの影に、一瞬狼狽する。
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少しのタイムラグの後、向こうも俺だと気づいて足を止めた。
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レン
(……、)
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どくん…、と鼓動が重く波打つ。
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それは、俺が傍に女を抱えているのを見られたからの拍動じゃない。
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レン
(確か、みんなと夏祭りに行くって言ってたよな…?)
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アイリ
お兄ちゃん…!
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レン
…よう、アイリ。
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シオン
こんばんは…、
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レン
…おう。
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口から滑り出た挨拶は、どこか上の空で。
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レン
(…なんで二人きりなんだ…?)
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アイリに寄り添って歩くシオンがどこか優越に浸っているように見えてしまう俺は、分かりやすく焦慮に苛まれる。
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レン
……
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レン
(いちいち気にしすぎだろ…、)
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レン
(ダセーな、俺…、)
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胸に早鐘を生み出した原因は、間違いなくある種の劣等感と嫉妬だった。
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レン
…、
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モヤモヤする気持ちを落ち着けながら静かに二人を注視すれば、
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なんとなく状況が読み取れて、次第に平常心が戻ってくる。
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レン
(…もしかして、捻挫でもしたのか?)
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アイリの肩に腕を回して身を寄せるシオンは、軽く片足立ちするようにして右足を庇っていて、
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浮かせた足は、時折力なく揺らめいている。
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わずかだが目尻に皺が刻まれているのは、痛みが伴うからだろう。
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レン
足、どうした?
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シオン
ちょっと、捻ってしまったみたいで…。
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アイリ
人混みがすごかったから、
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アイリ
先輩、私のことをずっと気遣ってくれてて。
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アイリ
代わりに、自分が石畳の階段から足を滑らせちゃって…、
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シオンの体を労るように支えるアイリは、申し訳なげに瞳を翳らせた。
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最初二人は、友達数人とこの辺りの神社が催す夏祭りに出かけていたが、
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シオンが足を捻ってしまい、腫れを見せ始める足首を心配したアイリが、自分が肩を貸して家まで送るからと
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帰りたがらないシオンに切言したらしい。
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レン
(なるほど、今二人きりなのは、そういうことか…)
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二人が密接する微少な隙間を無意識に見定めながら、頭の片隅で思う。
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アイリ
先輩、ごめんなさい…、
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シオン
アイリのせいじゃねえよ、俺が鈍臭いだけだから。
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レン
そんなことねえだろ。
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レン
石畳の階段なんてのは、滑りやすいからな。
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レン
しかも、混雑してる場所なら尚のこと、滑るリスクも高まる。
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思わず、シオンを庇うような言葉を吐いてしまう。
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アイリの足元を気遣ってくれていたのなら、そのことに関しては素直に感謝するからだ。
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シオン
でも、カッコ悪いっすよね。
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シオン
結局は、アイリにこうやって送ってもらうことになって…。
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レン
カッコ悪くなんかねえよ。
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レン
…アイリのこと、気にかけてやってくれてありがとな。
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微笑みながら放った言葉はもちろん本音だが、
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やっぱりまだ、胸がチリチリと燻っていた。
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アイリ
お兄ちゃんはどうしたの?
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アイリ
職場の人たちとご飯って言ってたけど…、
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アイリ
デートに変更?
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傍らの女に向けて凝視するように視線を釘付けながら、
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幼さが残る相貌には、口端が緩く吊り上がったような不自然な笑みが広がっていて。
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*
……
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レン
…、
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知らぬ存ぜぬで瞳を閉じ、俺の胸に頭を預けたままの女をチラリと見てから、
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俺は軽く左右に首を振り、ひとまずの第一声を吐き捨てた。
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