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キザキ
ほんと、ユヅキちゃんって仕事熱心だよね。
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助手席でノートパソコンにデータ入力を続ける私に、キザキさんが感心したように短く笑う。
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視界の端でその姿を一瞥した後、パソコンの画面を注視したままで手を止めた。
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ユヅキ
仕事虫って、よく言われます。
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キザキ
だろうね。
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ユヅキ
キザキさんも、仕事虫っぽいですけど。
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キザキ
確かに。
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キザキ
僕も、スタッフの子たちによく言われるかな。
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ユヅキ
でしょうね。
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キザキ
パソコン、いつも持ち歩いてるの?
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ユヅキ
必要なときは。
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ユヅキ
個人的に調べたいこととか、他にも色々とデータにしておきたくて…、
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ユヅキ
今は、ある病理の臨床データをまとめてるところです。
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キザキ
へえ、すごいね。
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キザキ
…もしかして、
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キザキ
今日大学病院へ行くのもその件に関して?
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ユヅキ
そうです。
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ユヅキ
資料室で、ちょっと確認しておきたいことがあって。
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赤信号になり、ゆっくりとブレーキを踏み込んで車を停止させたキザキさんは、こちらに振り向いた。
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キザキ
遠回りさせてごめんね。
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ユヅキ
…いえ。
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キザキ
時間とか大丈夫?
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ユヅキ
別に、問題ないので気にしないでください。
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ユヅキ
…タクシー代わりだって思えばいいだけですから。
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キザキ
あははっ、
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キザキ
僕よりも意地悪なこと言う。
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楽しげに笑ったキザキさんだったが、
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さらに視線を感じて今度は私が彼を見遣った。
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ユヅキ
…なにか?
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キザキ
キミが意地悪なことを言う理由を考えてた。
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ユヅキ
え?
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キザキ
……ほんと、優しいね。
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ユヅキ
…、いきなりなんですか。
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キザキ
ユヅキちゃん、いつも優しいから。
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ユヅキ
またそれ…。
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ユヅキ
本当に優しい人は、ああいった意地悪なことを言わずに、
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ユヅキ
もっと気遣うような言い方をしますよ。
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キザキ
…でも、
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キザキ
優しさの出し方って、人それぞれだから。
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ユヅキ
……、
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ユヅキ
…あ。
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ユヅキ
青になりましたよ。
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フロントガラスの向こうを顎先で指し示すようにしてから、再びパソコンの画面に視線を落とす。
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私に促されたキザキさんは前に向き直ると、静かに運転を再開した。
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ユヅキ
……
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ユヅキ
(…優しさの出し方、か)
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考えたこともないようなことをすらすらと並べるキザキさんは、本当に変わった人だ。
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でも、たぶん、
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タクシー代わりだと言った意味を、彼は気付いているのだろう。
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少しでも、<ごめんね>の想いを軽くしてあげたいための、意地っ張りな私の偽言。
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ユヅキ
(ほんと、城崎さんは侮れない…)
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こっそりと苦笑を漏らしつつ、またパソコンのキーを叩いた。
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…心地よい静寂がしばらく続いて。
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何度目かの青信号を通り過ぎたとき、
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ふと思いを馳せるようにキザキさんは形のいい唇を開いた。
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キザキ
僕ね…、
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キザキ
受け継いでる探偵事務所の前所長には、すごくお世話になったんだ。
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ユヅキ
…、そうなんですか。
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あと数分もすれば、建替え中の事務所に着くからなのか。
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不意に、キザキさんは現所長である自身の成り立ちについて語り始めて、
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私も静かに相槌を打つ。
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キザキ
小さい頃に両親を亡くして…、
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キザキ
兄が親代わりになって僕を育ててくれたんだけど、
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キザキ
僕が16歳の時に、ある事件に巻き込まれて亡くなったんだ。
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ユヅキ
…、
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キザキ
警察と連携して事件の調査に乗り出していた前所長がね、
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キザキ
いきなりたった一人の肉親を亡くして、途方に暮れていた僕のことを助けてくれて。
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キザキ
周りには、前所長しか頼れる大人がいなかったから、ずっとお世話になりっぱなしだった。
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キザキ
高校も辞めることなく通わせてくれて…、
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キザキ
僕、少しでも前所長に恩返しがしたいと思って、
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キザキ
その頃から探偵の助手とか、結構頑張ってたんだよね。
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穏やかなハンドル捌きで車を走らせるキザキさんは、フロントガラスの先に続く道路に視線を投じながらも
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どこか別の遠くに想いを繋げるように言葉を刻む。
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キザキ
大学にも行かせてくれて。
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キザキ
世界を視ておいた方がいいって、途中からアメリカの大学に編入させてくれたんだよね。
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ユヅキ
そういえば、キョウヤが言ってましたね…、
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ユヅキ
キザキさんは途中からいきなり大学に現れて、そして、突然辞めたって…
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キザキ
…うん。
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キザキ
実は、前所長が体を壊しちゃって…、
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キザキ
心配だったから、大学辞めて帰って来ちゃったんだ。
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ユヅキ
…、
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ユヅキ
そうだったんですね…。
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『失礼だなあ、僕なりのちゃんとした理由があったんだよ』
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以前、退学の理由を訊ねたキョウヤに対して放っていたキザキさんの言葉が甦る。
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ユヅキ
……
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ユヅキ
(それなりの理由…、)
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あのときのキザキさんは軽い調子で言っていたように見えたが、
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その実、大切な事情があったのだと看取する。
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キザキ
前所長ね…、
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キザキ
末期の膵臓癌だったんだ。
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ユヅキ
——…
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キザキ
ユヅキちゃんなら、
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キザキ
その病気がどれだけ深刻なものなのか…分かるよね?
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ユヅキ
……はい…、
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ユヅキ
……
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膵臓癌は、癌の中でもとりわけ進行が早く
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末期の場合、5年の生存率はほぼゼロに近いと言っても過言ではない。
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実際、その病名を聞いただけで
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余命期間の闘病生活がどんなに過酷だったのかも容易に想像が付くし、
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医師側のオペカンファレンスも、楽観的に進められることの方が少ない。
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ユヅキ
……
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キザキさんはそのときどんな思いで、敬愛する前所長の病名と余命宣告を受け止めたのか…
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少し考えただけでも胸が軋んだ。
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キザキ
病院からの連絡で倒れたって知って、いてもたってもいられなくなって…、
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ユヅキ
……
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キザキ
前所長には、どうして帰ってきたんだって怒られちゃったけど、
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キザキ
でも、余命わずかっていうのを聞かされて、
どうしてもそばにいたくて…、 -
ユヅキ
……、
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キザキ
最期までずっと、前所長のそばにいたこと…、
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キザキ
僕は後悔してない。
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信念を貫くような口調と達観したような強い微笑。
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なのに。
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キザキさんの目尻から、一筋の涙が伝うような錯覚を見た気がした。
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