03話:記憶媒体

 木漏れ日が辺りを舞う、森の中にある道。元々、人なんてそうそう通ることもない場所ではあるから特別整備こそされていないものの、通るだけなら特別困ることも無い。俺とレイヴェンの前にはニシュアとノーラ、その間にロルフが入り、手を繋ぎながら前を歩いている。気付けば、俺の腕は荷物を除いてすっかり空になっていた。

「……花畑かあ」
「さっきからそればっかだな」
「いや、ああいう場所ってさ、話としては結構王道じゃん? だからあんまり手出してないんだけど、いい加減なんか書けないかなーっていう」
「……お前、こういう時くらい仕事以外のこと考えられないのか?」
「はいはい、分かりましたっと」

 果たして俺は、そんな頻繁にその言葉を羅列させていただろうかという疑問はあったけど、これ以上言うと本当に怒られそうだから言うとおりにしておこう。
 にしても、歩いているのが森の中にも関わらず、草木の隙間から洩れてくる日差しがかなり眩しく感じる。まだ昼というには早いこの時間って、こんなに明るかっただろうか?
 ……そういえば、ここ最近この時間に外に出たのはいつのことだっただろう。全く記憶にないということは、つまりはそういうことではないだろうか。

「俺、もしかしてこの時間に出るの久しぶりかも」
「……まあ、特別驚かないけど。夜行性も大概にしとけよ。お前の時間に合わせると俺の体内時計が狂う」
「お前はそもそも俺に合わせようという気がないだろ?この前も朝っぱらから押し掛けてきてよー……。あれビビるからホント止めてほしいわ」
「……朝の十時は、朝っぱらとは言わないからな」

 ゼフィルもこいつと似たようなことをよく言っているけど、こうなる前はごくこく普通の生活をしていた筈なのに、一体いつからこうなってしまったのかが全く分からない。思い出せないということは、恐らくそれくらい長い間、俺の中にある時間軸が狂っているということだろう。それはまあ、認めざるを得ないとは思う。直そうと思ったこともあるにはあるが、それは無謀な挑戦といっても良いくらいに、まるで意味がなかったのだ。
 でも、何だかんだ言いつつこいつらは俺に甘いというか、どちらかというと諦めている節があるから、口では言ってくるものの無理にどうこうなんてことはしてこない。きっと、俺もそれに甘えているのだろう。

 今日皆で向かっているのは、俺の家から徒歩数分のところにある花畑。ロルフに滅茶苦茶せがまれた結果、俺とニシュアも行くことになったのだ。
 正直なところ、ロルフに言われなければそう行く場所でもないんだけど、今こうして目的地に近付くにつれて、段々とそわそわしている自分がいる。まるで、はじめてその場に行く小さな子供みたいだ。
 木々が創る木漏れ日が、段々と少くなっていく。それは、目的地がもうすぐそこまで来ているという証拠だろう。途端に、前を歩いていたロルフが繋がっていた手をするりとほどき、足早に歩を進めた。そうして聞こえてくる感嘆の声が、一体何を意味するのかなんて考えなくても分かる。

「おかーさん、お花沢山だよ!」

 こちらへと振り向いたロルフの目は、太陽よりも眩しいと思える程よく輝いていた。

「本当……。やっぱり、この時期に来てよかったね」
「おねーちゃん早くー!」
「は、はいはーい!」

 言われたニシュアが、慌ててロルフとノーラの元へと駆け寄っていく。花に囲まれたあの三人というのは、どうしてこうも絵になるのだろう。

「あいつらは元気だよなあ……。お前も見習った方がいいぞ?」
「それは自分に言え。お前よりはマシだ」
「いやごめん、逆にお前がはしゃいでたら気持ち悪いから今のままでいいわ……」

 その中に混じる俺たちは、果たしてそれに値できているだろうか?

「ん……?」

 言いながら、手にしていたシートを雑多に広げている最中、近くの草がカサリと蠢いたのが見えた。単に葉っぱが擦れただとか、風に靡いたとかいうものでなく物理的に動いたようなそんな気がして、思わずじっとその辺りを見つめてしまう。

「何かいたか?」
「いや……。んー……まあ、虫くらいは普通にいるよな?」
「そりゃ、いないほうがおかしいだろ」

 当たり前のことを聞いて当たり前の返しをされたけど、本当は虫ではない何かなのではないかという期待が胸を踊らせていた。それは決して、鳥や小動物の類いなどではない。

「……お前ってさ、妖精って本当にいると思うか?」
「妖精?」

 俺の質問にレイヴェンが答えるのに、思ったほどの時間はかからなかった。

「……ま、こんだけ人の来ないところだったら、いないってこともないと思うけど」
「なんだよ、意外と肯定派か?」
「そこまで頭は固くないからな。この広い世界の中だ。知らないことの方が多いだろ」

 まあ確かに、レイヴェンの言うことはよく分かる。目に見えないことの方が圧倒的に多いからこそ、人は想像力を働かせては、本というひとつの娯楽の中にあんなにも沢山の要素を詰め込んでいるのだろう。

「妖精と花って、話としてはやっぱりありがちだよな?」
「そりゃ、あんだけ言われてるんだから話としてはそれなりにあるだろうな。でもま、リベリオ先生が描くはじめて妖精をメインにした話。……とかなんとか謳ったら、それなりの人数が食いつくと思うけど」
「そういうもんかねぇ」

 リベリオ先生などという、普段聞きなれない単語。恐らくこいつは、敢えてそれを口にしたのだろう。自分でいうのもなんだけど、俺が書いたものはそれなりに人の手に渡っているらしい。売れている、と言えばそれはそうなんだけど、個人的にはそんなことはどうでもいい。

「……意外とそういう話ないよな。お前の書いてるやつって」
「んー……なんつーか、そこに俺が手を出す意味が今のところ見つからないからな。妖精に出会ったら気が変わるかも知れないけど」

 妖精が出てくる類の話というのは、簡単に言うなら優しい風の匂いがするような話が多い。作風だけで言うのなら俺が書いているものとさして相違はないけど、今の俺には、妖精が出てくるような話を書くほどの理由が何処にも存在しないのだ。だから書かない、ただそれだけ。
 俺が話を書く時は必ず間にレイヴェンが入る為、この少し固執している考えはレイヴェンもよく理解してくれている。

「書きたいものだけ書いて売れてるのなんてお前くらいなもんだろ。他の作家からしたら、かなり羨ましがられるだろうな」
「そうかー? 結構いると思うけど」
「皆して名前を売ろうと必至だからな。書きたいものだけっていうのは、お前が思ってるよりもいないだろ」
「はーん……。ま、そりゃそうか」

 数年前の、それこそリベリオという名前が世間に出始めた頃は、「こういう話を書いて欲しい」などという依頼のようなものが騒がしいくらいに来ていたらしいけど、やらないの一点張りを貫いていたら、今となってはそれも殆どなくなった。レイヴェンが俺に言っていないだけで、実は来ているなんていうことがもしかしたらまだ起こっているかも知れないけど。

「別にさあ、大勢の人に見てもらうとか何とか、そういうのは別にどうでもいいんだよ。たまたまそうなちゃったってだけだし。でも、結果的にそれが俺のいる意味になっちまったから、そういう考えでいるのもいい加減限界あるよなあって」

 幸か不幸か、小説という一つの媒体を使って、好きなことを書いている今の現状が仕事として成り立ってしまっているのは、世間一般でいうなら羨ましがられるかも知れない。でも、いつまでもそれが続くとは限らない。単に運がよかったというだけかも知れないし、いい歳して子供じみた単純な理由を盾に書かないというのもリスクが大きい。
 俺ひとりだったら、別にそれでも良かっただろう。でも、あの馬鹿デカい屋敷に住んでいて、かつ小説家という肩書とは別の厄介なものが付きまとってしまっている以上は、そうもいかないのだ。

「……なんだよ?」
「いや……そういう話、お前の口からあんまり聞かないから、気でも狂ったかと疑った」
「俺だって真面目な話くらいはするぞ?」
「……ま、お前の好きにやればいいと俺は思うけどな。結果的にお前の書いたものが人の心を動かしてるんだから、難しいこと考えるのは程々にしとけ」
「つってもさー……」
「というか、書きたくないもん無理矢理書いたところでお前どうせ途中放棄するだろ。だから止めとけって言ってんだよ」
「あ、はいごめんなさい」

 そうだ、そうだった。忘れてたけど、だから依頼に近いものはほぼ断ってるんだった。余りに好き勝手やっているせいで、危うく忘れるところだった。

「おとーさん! みてみて! ふたりに作ってもらったのー!」

 何だかんだで、行き着くところは結局仕事の話。でもそれは、元気な声によって終止符が打たれた。
 少し遠くの方から、ロルフが何かを頭につけてこちらに駆け寄ってくる。レイヴェンの膝にドサリと音を立てながら笑顔を振り撒くのを見る限り、よっぽど楽しいことがあったらしい。

「花冠か……」
「お、いいじゃーん。俺も欲しいわー」
「えー……おにーちゃんは似合わないよ」
「お前なんてこと言うんだよ……。傷つくじゃん……」
「あ、そういえばね、さっきリスがいたの!」
「マジかよどの辺?」
「あっちー!」

 傷ついた、という言葉は一体どこにいったのか、あっという間にロルフとリベリオが走り去っていく。それと入れ換わるようにして、ニシュアとノーラが戻ってきた。

「……以外と元気だよな、あいつ」
「普段籠ってばかりだから、余計そう見えるんじゃないですか?」

 微笑混じりでニシュアがそう口にする。元々ああいう性格ではあるけど、今日は心なしかいつもより騒がしいように見えるのは、俺も同じだ。

「あの……今日はありがとうございました。家族水入らずのところに私たちが混じっちゃって……」
「あら、いいのよ別に。元々はロルフが言い出したんだし、合わせてもらったのは寧ろこっちの方なんだから」

 少々萎縮美味のニシュアに、ノーラが笑顔で言葉を返す。元はと言えば、出かけたいと言い出したのも、リベリオ達とも一緒に行きたいと言い出したのもロルフなのだ。

「なあおい! 蝶々がいたぞ!」

 ガサガサと騒がしい草花の音を立てながら、ふたりが足早に戻って来る。リベリオの目は、いつも会うときのそれとはまるで違う。さながら童心に返ったようにも見えた。

「そりゃ、蝶々くらいはいるだろ……」
「いや蝶々は蝶々でもデカくてさあ! こんだけ咲いてるから、やっぱり環境がいいのかなあ」
「ボク、あの大きさのはじめてみたー!」
「俺も俺も。他に何かいない?」
「……お兄ちゃんが一番はしゃいでるみたい」

 呆れにも似たニシュアの声に、思わず微笑してしまう。「あっちの方はまだ行ってないのー!」と、指を指しながらリベリオの腕を掴むロルフに合わせ、中腰で歩を進めて何処かに行くのが見える。ふと、もしあいつに子供がいたらきっとこんな感じなのだろうかなどどいう思考が頭を掠めた。
 そんなことが、果たしてあいつの人生の中で起こり得るのだろうか? もうそろそろ何かが起こっても良いだろうに、貴族という肩書きからなのか、こいつは行動を起こすことはしない。ああ見えてかなり真面目だから、やっぱり躊躇しているのだろうか。

「おとーさーん!」

 風に乗って聞こえる声に合わせて、花びらが中に舞う。靡く髪の毛が邪魔をするせいで、見えている人間を視界から消してしまいそうになるのを、俺は必至に堪えていた。
 ちょっと行ってくる。そう断りを入れて、俺は少し遠くにいるふたりの元へ歩みを進めていく。

 これは、俺とその周りの人間に起きた、とあるひとつの物語。なんていう聞き飽きた謳い文句なんて言わない。リベリオの書く小説には、いつもそんな言葉は一言も書かれていないということは、もう何度もこの自分の目で見てきた。
 そう、そうなのだ。何度だって見てきた筈なのに、どうして俺は、こいつの最期の小説を読んだあの時に、気づくことが出来なかったのだろう。
 筋書き通りの物語なんて、小説の中だけで十分なのだということに。
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