02話:聞こえた音とキミの声
あれからほんの少しして。僕の熱が冷めるよりも前に、ルシアンが僕に「いい加減二階に行かない?飽きたんだけど」と言ったことにより、止む無く二階に足を運ぶことになった。多分、十分も経っていない頃だったと思う。
階段を歩きながら、ルシアンはすっかり静かになったロデオに話しかけはじめた。
「……ところで、ロデオくんはどうして一緒に行きたいって思ったの?」
でも、それに対する言葉は返ってこない。
「流石の俺も、無視はちょっと傷ついちゃうなぁ」
「うう……」
その代わりに返ってきたのは、唸り声にも似た何か。そして、続けて放たれた言葉は、想像していたものとは少し違った。
「や、やっぱりおいらじゃ無理だよお……」
「……ロデオ?」
「ふえええ……」
「あーあ……アオイが泣かした」
「いや、僕のせいではないと思うんだけど……」
僕の角度からだとロデオの表情はよく見えないけど、ぽろぽろと流れてきた涙がマフラーを濡らしていくのだけはよく分かる。
「ごめんごめん。言いたくなかったんだよね。単に気になっただけだから」
鼻を鳴らしながらも、どうやらロデオが首を振ってそれを否定しているようで、流石のルシアンもどうしたもんかと困惑しているようだった。
「お、おいら……」
すると、目を擦りながらロデオが言葉を口にする。
「案内するの、たのまれたの……」
「案内……?」
「おいらの音が聞こえた人に、見せてあげろって、言ってたの……」
「……誰が?」
「りべりお……」
一瞬、ルシアンは確かに驚いていたようだったけど、「……そっか」とすぐに笑顔を向けて、それ以上言及することはしなかった。乱立される、もうこの世にはいない人物の名前。どうしてか、それが妙に恐怖心に似た何かを掻き立てているのを感じる。
廊下を進み、ふたつ程扉を見送った辺り。そこで僕たちは立ち止まる。目の前にあるのは、ロデオが示したリベリオさんの部屋へと通じるらしい扉だ。
「ここだよね? リベリオさんの部屋って」
「う、うん……」
ロデオに確認したルシアンが、扉取っ手に手をかける。少し錆びついたような音が耳につくと同時に、埃が空に舞った。
「うわ……ひっど……」
「そ、そうだね……」
それは恐らく、開けた瞬間に舞ったそれらが、ダイレクトにルシアンを襲ったから出た言葉なのだろう。そういえば、さっきまでは僕が勝手に扉を開けてはその後ろからルシアンがついてきたから特に何ともなかったけど、僕が開けないとそういうことが起こりえるのか。
足を踏み入れてすぐに僕の目の前に飛び込んできたのは、ひとり掛けの机と椅子。多分だけれど、作業机というのが一番しっくりくるだろう。ということは、だ。彼は、もしかしたらあの場所で小説を執筆していたのかも知れない。そう思うと、少しずつ胸の高鳴りが早くなってくるのが分かる。但し、それが本当にリベリオという人物に対する憧憬の念によるものなのかどうかは、また別の話だけれど。
「ここが……」
自然と、言葉が口から漏れる。机の後ろと窓側には、本来多くの本が並べられていたのであろう何も入っていない大きな棚。机の正面には、数人が座れるソファにアンティーク調のテーブルが置いてある。そしてその更に奥には、今となっては何の意味も持たないベットが置いてあった。
ベットの近くにある窓からは、さっき僕らが通った庭がよく見える。なんというか、その景色は本当にただの小説家が住んでいる場所とは思えないほどに、贅沢なものに感じた。
「……ん?」
声をあげたのは、作業机のほうにいるルシアンだ。疑問を呈するようなその声に、僕は反応せざるを得なかった。
「どうしたの?」
「いや、今……ちょっとランタン貸して」
「あ、うん」
言われるがままに、ランタンはルシアンの手元へと渡る。すると、床に向かって視線を動かしはじめた。
「何かあったの?」
「あったっていうか……」
イマイチ歯切れの悪い言い方をするルシアンがランタンの光で灯した床を、僕も一緒に眺めていく。一瞬、窓から差し込まれた光によって床が照らされた時、散りばめられた埃の間を縫うようにして、何かが視界に入ったのを、僕は見逃さなかった。
どうやらそれはルシアンも同じだったようで、ランタンの光がそこで止まっている。僕は目を凝らしながら腰を落とし、手で埃を払う。そうして見えたのは、黒いインクで書かれたのであろう文字。そこには、こんなことが綴られていた。
『――私は知っている。
もし、誰かがこの家に蔓延る真実を知ることが出来たのなら、私たちの物語は、本当の意味で終わりを告げるということを。』
床に書かれたその文字。書いているものが何を意味するのかはよく分からない。それはある種当然のことだけれど、ただ驚くことに、そこに存在している文字は、今僕らが使っている文字そのものだったのだ。
「これ、今僕たちが使ってる文字だよね……?」
この前、資料室で見たリベリオさんの手記と思われるものに書いてあったものとは明らかに違うもの。今の時代に当たり前のように蔓延っている文字。
僕らのいる街からは確立されているこの場所は、今となってはルシアンの家が管理者となっているから、ここに入ることは恐らく容易ではない。誰かの悪戯というには、余りにも不自然だった。
「……ルシアン?」
「え? ああ……。そうだね……」
何か、考え込むかのようにじっとその文字を見つめるルシアンを他所に、ロデオが急にその文字の元へ飛び立っていく。
「うう……」
眉をひそめながらも、手には出会った時に音を奏でていた笛がいつの間にか持たれているのが見える。
「ええいっ……!」
そして、ロデオの声に合わせるようにして、起こるはずのない風が部屋の中を蠢いた。
「え、ちょっ……!」
カタカタと窓が悲鳴を上げる。巻き起こった風と同時に、何かと共鳴するようにして聞いたことのある音が鳴り響く。その反動でロデオが飛んでいきそうになるのを何とか捕まえたのはいいものの、今何が起きているのかを理解するのは容易ではなかった。
――なにか、地に書かれた文字の近くから力のようなものを感じる。そう思った時には、僕らの周りは、目が開けられないほどの白い光に包まれていた。
階段を歩きながら、ルシアンはすっかり静かになったロデオに話しかけはじめた。
「……ところで、ロデオくんはどうして一緒に行きたいって思ったの?」
でも、それに対する言葉は返ってこない。
「流石の俺も、無視はちょっと傷ついちゃうなぁ」
「うう……」
その代わりに返ってきたのは、唸り声にも似た何か。そして、続けて放たれた言葉は、想像していたものとは少し違った。
「や、やっぱりおいらじゃ無理だよお……」
「……ロデオ?」
「ふえええ……」
「あーあ……アオイが泣かした」
「いや、僕のせいではないと思うんだけど……」
僕の角度からだとロデオの表情はよく見えないけど、ぽろぽろと流れてきた涙がマフラーを濡らしていくのだけはよく分かる。
「ごめんごめん。言いたくなかったんだよね。単に気になっただけだから」
鼻を鳴らしながらも、どうやらロデオが首を振ってそれを否定しているようで、流石のルシアンもどうしたもんかと困惑しているようだった。
「お、おいら……」
すると、目を擦りながらロデオが言葉を口にする。
「案内するの、たのまれたの……」
「案内……?」
「おいらの音が聞こえた人に、見せてあげろって、言ってたの……」
「……誰が?」
「りべりお……」
一瞬、ルシアンは確かに驚いていたようだったけど、「……そっか」とすぐに笑顔を向けて、それ以上言及することはしなかった。乱立される、もうこの世にはいない人物の名前。どうしてか、それが妙に恐怖心に似た何かを掻き立てているのを感じる。
廊下を進み、ふたつ程扉を見送った辺り。そこで僕たちは立ち止まる。目の前にあるのは、ロデオが示したリベリオさんの部屋へと通じるらしい扉だ。
「ここだよね? リベリオさんの部屋って」
「う、うん……」
ロデオに確認したルシアンが、扉取っ手に手をかける。少し錆びついたような音が耳につくと同時に、埃が空に舞った。
「うわ……ひっど……」
「そ、そうだね……」
それは恐らく、開けた瞬間に舞ったそれらが、ダイレクトにルシアンを襲ったから出た言葉なのだろう。そういえば、さっきまでは僕が勝手に扉を開けてはその後ろからルシアンがついてきたから特に何ともなかったけど、僕が開けないとそういうことが起こりえるのか。
足を踏み入れてすぐに僕の目の前に飛び込んできたのは、ひとり掛けの机と椅子。多分だけれど、作業机というのが一番しっくりくるだろう。ということは、だ。彼は、もしかしたらあの場所で小説を執筆していたのかも知れない。そう思うと、少しずつ胸の高鳴りが早くなってくるのが分かる。但し、それが本当にリベリオという人物に対する憧憬の念によるものなのかどうかは、また別の話だけれど。
「ここが……」
自然と、言葉が口から漏れる。机の後ろと窓側には、本来多くの本が並べられていたのであろう何も入っていない大きな棚。机の正面には、数人が座れるソファにアンティーク調のテーブルが置いてある。そしてその更に奥には、今となっては何の意味も持たないベットが置いてあった。
ベットの近くにある窓からは、さっき僕らが通った庭がよく見える。なんというか、その景色は本当にただの小説家が住んでいる場所とは思えないほどに、贅沢なものに感じた。
「……ん?」
声をあげたのは、作業机のほうにいるルシアンだ。疑問を呈するようなその声に、僕は反応せざるを得なかった。
「どうしたの?」
「いや、今……ちょっとランタン貸して」
「あ、うん」
言われるがままに、ランタンはルシアンの手元へと渡る。すると、床に向かって視線を動かしはじめた。
「何かあったの?」
「あったっていうか……」
イマイチ歯切れの悪い言い方をするルシアンがランタンの光で灯した床を、僕も一緒に眺めていく。一瞬、窓から差し込まれた光によって床が照らされた時、散りばめられた埃の間を縫うようにして、何かが視界に入ったのを、僕は見逃さなかった。
どうやらそれはルシアンも同じだったようで、ランタンの光がそこで止まっている。僕は目を凝らしながら腰を落とし、手で埃を払う。そうして見えたのは、黒いインクで書かれたのであろう文字。そこには、こんなことが綴られていた。
『――私は知っている。
もし、誰かがこの家に蔓延る真実を知ることが出来たのなら、私たちの物語は、本当の意味で終わりを告げるということを。』
床に書かれたその文字。書いているものが何を意味するのかはよく分からない。それはある種当然のことだけれど、ただ驚くことに、そこに存在している文字は、今僕らが使っている文字そのものだったのだ。
「これ、今僕たちが使ってる文字だよね……?」
この前、資料室で見たリベリオさんの手記と思われるものに書いてあったものとは明らかに違うもの。今の時代に当たり前のように蔓延っている文字。
僕らのいる街からは確立されているこの場所は、今となってはルシアンの家が管理者となっているから、ここに入ることは恐らく容易ではない。誰かの悪戯というには、余りにも不自然だった。
「……ルシアン?」
「え? ああ……。そうだね……」
何か、考え込むかのようにじっとその文字を見つめるルシアンを他所に、ロデオが急にその文字の元へ飛び立っていく。
「うう……」
眉をひそめながらも、手には出会った時に音を奏でていた笛がいつの間にか持たれているのが見える。
「ええいっ……!」
そして、ロデオの声に合わせるようにして、起こるはずのない風が部屋の中を蠢いた。
「え、ちょっ……!」
カタカタと窓が悲鳴を上げる。巻き起こった風と同時に、何かと共鳴するようにして聞いたことのある音が鳴り響く。その反動でロデオが飛んでいきそうになるのを何とか捕まえたのはいいものの、今何が起きているのかを理解するのは容易ではなかった。
――なにか、地に書かれた文字の近くから力のようなものを感じる。そう思った時には、僕らの周りは、目が開けられないほどの白い光に包まれていた。