第14話:甘味に紛れた毒の味

「どうすっかなー……」

 とある看板の前。街中でひとり佇んでいるのには、理由があった。
 無難にチョコでもいいけど、ストロベリーも悪くない。いつもは迷えばキャラメル一択なのだが、今この瞬間の気分では少々重たいような気がしてしまう。普段だったら、メニューを見て想像できないようないわゆる変わりモノは頼まないのだけれど、たまにはそういう冒険をしてみてもいいかも知れない。などと考えたところで、結局は差し障りのないところに落ち着いてしまうのはいつものことだ。
 オレには関係のない雑踏の中で、沢山の誰かが後ろで何か声を発している。わりと広々としている場所だし、人の声なんてどこにいても聞こえてくるわけなのだから、別にどうとも思わない。オレがクレープ屋の前でただただメニューを眺めていることだって、別に誰も気には留めないだろう。そういうことだ。例えばオレが誰かと待ち合わせをしていて、特定の人物を待っていたとするのなら、それはただの雑踏というわけでもなかったのかもしれない。

「――ネイケル君っ!」

 すぐ右から乗り出すように聞こえてきた声に、オレはようやく顔をあげた。

「あー……どうも」

 そこにいたのは、最近知り合ったばかりのロエルさんのお姉さんだった。どうやら後ろから聞こえてきたのはこの人の声だったようで、気づけば距離はかなり近く、思わず半歩距離を置いてしまう。まるで、この雑踏の中に混じるのを嫌がっているかのようだ。

「ひとり?」

 どういう訳か、話しかけてきたその彼女は笑顔だった。

「そう、だね。うん」
「買わないの?」
「え? ああ……単に見てただけだよ」
「そうなの?」

 店の前に置いてあるメニュー。クレープ屋の前で何を食べようか迷っていたにも関わらず、どういう訳か口から適当な言葉が飛び出てくる。別に嘘をつく場面でもなかったはずなのだけれど、なんとなく後ろめたい気持ちになってしまったのがいけなかった。

「……なんか用?」
「あ、あのねっ。ひとつ聞きたいことがあって」

 会って間もない人物が、よその街に住んでいるオレに何か疑問を持つようなことなんてそうそうないだろうが、この状況だけで言うと一応心当たりなら持ち合わせていた。

「最近、ロエルには何処かで会った?」

 正しくこの人が口にした人物についてのことが、多少なりとも気がかりだったのだ。というよりは、それくらいしかこの人がオレに話しかけてくる理由がまず存在しないだろう。

「まあ……会ったといえばあったかな」
「……そっか」

 こういう質問をされた時、大抵は何か詮索されていることが多いせいで果たしてどう答えるべきかと困る場合が多いけど、どうやら今回ばかりはその必要はなさそうだった。適当な嘘は、ついたところで後で後悔しか生まないものだ。

「ネイケル君、今から家にいらっしゃいよ」
「……え?」

 但し、オレの答えから言葉に発展するというのは予想していなかった。

「この前新しい紅茶買ったんだけど、それに合わせてレイナがケーキ作ってくれたの。あ、レイナっていうのは私のところのメイドさんなんだけど。言ったことあったかな……?」

 余りにも突然の誘いに、呆けた返事以上の言葉を返すことが出来ないままお姉さんだけが喋り続けている。正直、羅列されていった言葉の数々は右から左へ筒抜けだった。単に一回だけ会っただけの人間をどうしていきなり家に誘うのかというのが、イマイチ理解できなかったのだ。ロエルさんが図った……というのはあり得ないだろうし、家に行ったらどうやってもロエルさんには会うことになる。何というか、今の状況でのそれは色々とよくない。

「いや……遠慮しとく」
「どうして? もしかして、ロエルと会うの嫌?」
「んー、嫌というか……」

 会うのが嫌かどうか。そう聞かれると正直答えに困る。単純に会いにくいというだけではあるのだが、そう言われると確かにこの人の言うように嫌という部類には入ってしまうのかもしれない。少なからず向こうはそう思っているんじゃないだろうかという思いが、オレの返事がことごとく躊躇する理由だった。

「……あれ以来、ネイケル君と始めて会って暫くした後だったかな。ロエルってばずっと不機嫌なの。こう、雰囲気が不機嫌? っていうのかしら」

 そういうオーラがね、と言いながら身振りを加えていくのをまじまじと見ながら、一応想像力を働かせてみる。……元々が話しかけにくい空気を纏っている分、それってわりといつもなんじゃないかと思ったのだけれど、家ではそうでもないのかもしれない。
 一番懸念しているのが、ロエルさんがアルセーヌさんの家に行ったのかどうというところだ。行ったからこそ不機嫌なのではないかという考察は、比較的簡単だった。オレに原因があったとして、それくらいしか思い当たる節がなかったのだ。最もそれが決定だとなっただけなのだろうが、いずれにしても原因はそこにあるのだろう。
 そんな状態で、しかもその原因がオレに違いないという分かり切った状況下でオレから会いに行くほどの度胸は、残念なことに周りが思っているほど持ち合わせていない。元々仲がいいとも言えないし、会わないなら別に構わないのだが、それはそれで今後の動き方にも支障が出る。なるべく穏便にしたいはずなのに、自分の行動理念の矛盾さがそれを許さないのだ。

「あの……違ってたら申し訳ないんだけど、何かあったの? ロエルってば、そういうこと全然話してくれないから」

 ただ、それが原因でこの人まで悲しそうな顔をするというのは少し頂けない。

「多分っていうか、オレに怒ってるんじゃないかなぁ」
「……喧嘩?」
「喧嘩だったらいいんだけどね」

 分かんないや。そう言って分かっていないフリをしてしまったのは、出来ることなら何事もなかったかのようにこのまま去ってしまいたかったからだ。

「だったら尚更家に来ない? あ、用があるなら無理強いはしないけど……」

 でも、そうすることをオレはしなかった。

「駄目?」

 だって、こういう聞き方はとてもズルかったのだ。

「……ケーキって、何味?」

 気付けばオレは、そんなことを口にしていた。

「あ、あのねっ、レイナが二種類も作ってくれたの。クランベリーのタルトとキャラメルナッツのケーキなんだけど……」

 そう口にするお姉さんの声は、一気に昂りを見せた。オレがケーキに興味を示したことがそんなに嬉しかったのだろうか? 極めつけは「ネイケル君の口に合うかしら?」という言葉だった。
 オレからすれば、その種類の味は比較的想像に容易かった。紅く照りつく甘酸っぱいそれと、食感重視の香ばしく香る甘いそれ。しかも、どちらも旬を彩るものじゃないか。そうなってしまえば答えは既に決まっているというもので、さながら軽い男だなと自嘲したくなってしまう。

「……どっちも好きかな」
「本当? それならよかった」

 ふわりと舞って魅せる笑みに、どうにも調子が狂った。こういう顔をオレに向けてくる人をここ最近見ていなかったような気がしていたから、きっと余計だったのだろう。しかし、こうなってしまってはもう駄目だったのだ。

「じゃあ行こっ」

 オレの言葉を肯定と取ったのか、手を掴んだかと思うとそのまま足を動かしていく。服の上から優しく伝わる温度に、オレは尚更居たたまれない気持ちになってしまった。その理由がどうしてなのか、今のオレはそれを知る術を知らないでいる。
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