第8話:蔓延る矛盾

「……ここかい? キミが来たという場所は」
「た、多分……」
「確かに、同じ場所とは思えない程に綺麗だね」

 辺りを見回すと、さっきとは景観が全く違うのがよく分かる。綺麗に整備された庭が、そこにはちゃんとあったのだ。心なしか、零れる陽の光も明るくなったような、そんな気さえも感じる。さあっと流れる風が、オレとアルセーヌの間をすり抜ける。それはまるで、誰かがここに来る合図のようだった。
 段々と険しくなっていくアルセーヌの表情が、一体何を意味しているのかなんていうのは、オレには分からない。ただ、これから起こるであろう出来事を考えると、自然とオレの顔は歪んでいった。
 風が止まる。僅かに香る草の香りだけが、唯一、さっきまでいた場所と同じだと感じるほどに、空気は一変した。正門の方からではない、どこか別の場所から草を踏む音がする。それを放っているのはオレでもアルセーヌでもない。明らかに、ここにはいない誰かが近づいてくる音だったが、その正体を探るなんてことをする前に、それが何を意味しているのかを理解することは容易だった。

「……やあ」

 見覚えのある人物が、視界に入る。それは、あの時と同じ人物……紛れもなくレズリーだった。

「また来てくれたんだね、嬉しいな。それに……」

 レズリーの目線は、アルセーヌへと向けられた。

「まさかアルセーヌが来るとは思わなかったな。あれ以来、ここに来るなんてことは殆どしなかったのに」
「……お久しぶりです。すみませんね、中々顔を出すことが出来なくて」
「そういうの、ちゃんと言えるようになったんだね? ……それより、折角来てくれたんだからお茶でもどうかな? クッキーが多くてね。どうしても、私一人じゃ食べきれないんだ」

 まるで、そこにちゃんと存在しているかのように、当たり前に喋るレズリーと、それに物怖じしないアルセーヌ。もしかして、レズリーがもうこの世にはいないなんていうのが嘘なんじゃないか。そう思う程に、違和感がなかった。

「立ち話もなんだし、座ってよ」

 にこりと笑うレズリーだけど……どうしてだろう。何となく、あの時とは違う雰囲気が漂っている気がする。答えに困ったオレは、アルセーヌを視界に入れた。

「……そうですね。そうしましょうか」

 言い終わると、レズリーは満足した様子でオレらに背を向ける。その先にあるのは、この前オレが招かれた所と同じ。庭に置かれたテーブルとイス。そして、さっきまではなかったはずの、既に準備されているお茶とお菓子。
 レズリーがそのテーブルへと向かう時、オレらから目を離したその一瞬、アルセーヌはオレにこう耳打ちをした。

『私が相手をするから、キミは出来るだけ黙っていなさい』

 それだけ言って、アルセーヌはさっさと歩いていってしまう。相手が貴族だから、みたいな理由だったらいいんだけど、それとは違う何かが原因のような気がするのは、きっと、オレの気にしすぎなどではないだろう。……まあ、後で何か言われても嫌だし、取りあえず言うとおりにしておこう。
 オレは、アルセーヌにならってテーブルまで足を運び、空いている椅子へと座る。それは、あの時と同じ席。違うところがあるとするなら、右隣にアルセーヌがいるということだけ。ただ、それだけだった。

「アルセーヌにまで会えるとは思ってなかったな……。あれからどれくらい経つんだっけ?」
「……十年程になりますね」
「十年? 通りで……」

 レズリーの言葉が途中で止まり、何か思いふけるような様子を見せる。その隙間を縫うようにして、風が流れていくのを感じた。

「ねえ、アルセーヌはどうして今日ここに来たんだい?」
「……別に、ただの気まぐれですよ」
「そんな理由で、こんなところまで来るような人だったっけ?」
「私だって、そういう時くらいはありますからね」
「ふうん……」

 そこからは、レズリーとアルセーヌの他愛のない会話が何回か続いた。というよりは、そうなるようにアルセーヌが意図的に返事をしているようにも見えた。合間に流れる涼やかな風が、どうしてか背中に張り付くような感覚に苛まれる。それは、オレに一層の居心地の悪さを与えた。
 流れる風によって、会話が遮られる。その風を切ったのは、アルセーヌだった。

「……そういえば、彼にブレスレットをあげたそうじゃないですか」
「ああ……彼から聞いたんだ?それがどうかした?」
「渡しただけなら、別にどうでもいいんですけどね。それ、どうやら魔法が宿っているようじゃないですか。一体、どういうおつもりですか?」
「どういうつもりも何も、それは元々彼のものだから。……ねえ?」

 そう言うと、レズリーの視線はオレに向か。別に悪いことなんてしてないけど、少しの警戒心が、オレの心に存在していたためか、心臓が跳ね上がるのを感じる。その理由がなんなのか、今のオレにはまだ分からないけど。余りいい感情ではないということだけは、確かだった。

「オ、オレは全然記憶にないんだけど……」
「それは嘘だよ」

 レズリーの口調が、少しだけ強くなる。有無を言わせないようなそのはっきりとした肯定と、それに合わせて鋭くなった気がした瞳に、視線を外すことができなかった。

「だってそうじゃなかったら、きみがここに来る意味も、アルセーヌがここに来た意味も、何処にも存在しないはずだ」

 どうしてか、どこか威圧的に感じるそのレズリーの様子は、『オレが最初に出会った時のそれ』とは明らかに全く別のものだった。

「……忘れているんじゃなくて、思い出したくないんじゃないのかい?」

 忘れている? どうしてこの人はそう言い切るのか。やっぱり、オレの知らない何かを知っているのか? それに、さっきレズリーが言っていた、「きみがここに来る意味も、アルセーヌがここにいる意味も、何処にも存在しない」という言葉がどうにも引っかかる。
 ということは、だ。アルセーヌも、なにか知っているんじゃないのか? だから今日、オレとたまたま鉢合わせたかのように装って、ここに足を運んだ? 考えれば考えるほど渦巻いていく疑念が、オレにまとわりついた。

「……そう威圧的では、答えられるものも答えられないとは思いませんか?」
「ああ……そんな風に見えたかな?ごめんね、また来てくれるとは思ってなかったから、つい」

 そう思えば思う程、当たり前のように話をしている目の前にいるこの人たち、貴族という存在のやっていることが、何一つとして理解が出来なかった。
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