05話:クチナシは喋らない

「書庫室、相谷さん達が入れるのはこっちですね」

 案内人さんと一緒に向かったのは、僕の部屋がある側だ。橋下さんのいる126号室と、その隣にある僕の部屋に目もくれずに歩みを進める。どうやら、書庫室は一番奥にあるようだ。

「あ……」

 前を歩く案内人さんが一言だけ言葉を漏らす。「またかあ……」という、ため息に似た何かが床に落ちるのを合図に、僕は身体をずらし彼の視線の先に目を向けた。すると、僕にとっては驚きの光景が待ち受けていた。

「そ、掃除士さん……?」

 僕は、思わず目を大きく見開きそう口にした。白い植木に隠れていて気付くのが遅れてしまったが、ここに来たときに一度だけ見かけた掃除士さんの姿があった。あった、というか倒れていた。

「ちょっと掃除士さーん? またそんなところで寝てるんですかー?」

 倒れているんじゃなくて寝てるのか、という安堵が一瞬頭をよぎったが、それはそれでどうなのだろう。案内人さんが"また"と言ったということは、もしかして日常茶飯事なことなのかも知れない。いや、日常茶飯事だったとしても何というかこう、誰が歩いたかも分からない廊下で寝るというのは余り良くないんじゃないだろうか。
 つかつかと案内人さんの靴音が響く。その音は掃除士さんの元へ一直線に向かっていった。「よいしょ……」という声と共に、案内人さんは掃除士さんの近くでしゃがみ込む。それに倣って、僕も掃除士さんの傍にまで足を運んだ。

「眠いのは別に何でも良いんですけど、せめて目につかないところで寝てくれませんかねぇ?」

 案内人さんがぺしぺしと彼の頭を叩いたかと思うと、「起きてくださいよー」という声に合わせて掃除士さんの体を思いっきり揺する。なんだかかなり雑な扱いで焦ったが、そうでもしないと起きないということなのだろう。
 やっと気付いたとでもいうように、ゆっくりと掃除士さんの瞼が開かれる。ただ、その瞳は半分くらいしか開かれていなかった。

「目、覚めました?」

 案内人さんの声が届いたのか、むくりと上半身を起こして目を擦り半分だけ開いた掃除士さんのそれが僕らに向けられる。だけと、それはほんの数秒だけしか持たなかった。目線はすぐに足元へと落ち、今度は上半身を起こしたまま眠りに入ってしまった。

「……ま、放っておきますか。どうせ帰りにまた通るので、その時にでも連れて帰りますかね」
「い、いいんですか?」
「大丈夫ですよ。あの人、いつもああなので」

 そう言うと、案内人さんはさっさと腰をあげてその場を後にする。あっさりとしたその態度はいつものことだから、と考えれば正しいものなのかも知れないけど、それなら別に起こす必要は無かったんじゃないだろうか。もしかしたら、ただ単に掃除士さんで遊んでいただけなのかも知れない。
 ゆっくりと頭が上下に揺れ、今にもその場に倒れそうな掃除士さんを本当にそのままでいいのだろうかと思いつつも、罪悪感をそこに置いていくようにして、僕は足早に案内人さんの後を追う。すると見えてきたのは、もはや見慣れてしまった白い壁に同化するようにそびえ立つ扉。ただ、他の扉に比べれば装飾が少し多いような印象だ。

「あ、ここですよここ」

 扉にかかっているプレートには『Archive room』と書かれているのが分かる。そこがどうやら、案内人さんのいう目的地の書庫室のようだ。色が付いていたらもっと厳かな雰囲気を放っていそうにも感じるそれを、案内人さんが開ける。重そうな音を奏でているのが、この先にいるであろう神崎さんという人物に会うための短い準備時間のようで、僕が持っていた緊張をより一層掻き立ててくる。
 扉の先にあるものは、いくつもの大きな本棚とそこに押し込められた沢山の本。そして、本当は誰もいなのではないかと思わせるほどの静寂だ。
 しかし、どうしてか僕はこの状態をよく知っているような、そんな気がした。

「神崎さーん」

 案内人さんの声が、書庫室内に少し反響する。だけど、それ以外の音が聞こえることはなかった。

「いないのかな……?」

 僕の声が聞こえているのかいないのか、案内人さんは更に奥まで進んでいく。当たり前の様に足を運ぶ案内人さんと、恐る恐る後を追いかける僕。まさか蛇が出てくるわけでもないというのに、どうしてこうも緊張してしまうのだろう。
 案内人さんを追って向かった先は、まるで本棚自身の意思で避けたのではないかと思うくらいに開けた場所だ。白いカーペットとテーブル。それにソファが並べられていた。

「あー、やっぱり寝てますね」

 ソファに寝っ転がっていたのは、とある某人。初めて見た人のはずのに、どうしてかすぐに目的の人物であると認識が出来た。

「神崎さん……」

 すとんと降りてきたその単語は、先ほどの時よりもやけに耳馴染みがよかった。ということは、僕は多分この人を知っているのだろう。それは酷く曖昧なものだけれど、確かに僕の中に存在しているようだった。

「寝るんだったら自分の部屋で寝て欲しいんですけどねぇ……。ま、しょうがないんですけど」

 しょうがない、というのは一体どういうことなのだろう。やれやれと、案内人さんはさっきと同じように先輩の近くへと近づく。だけど、掃除士さんの時粗雑に揺すぶっていた彼なんて何処にもおらず、肩をポンポンと軽く叩くのみ。いや、僕らがお客だからと言われればそれはそうなのだろうが、何だかそれが別人のように見えてしまった。

「こういう人達って身体痛くならないんですかね? 神崎さん、起きてくださいよ」

 そう言って案内人が無理矢理先輩を起こすと、面倒だ、といった様子で身体を起こし始めていく。ゆっくりと、そして静かに僕と視線がぶつかった。すると、さっきまで眠そうにしていた神崎さんの目が、僕をしっかりと見据えていた。少しの沈黙が続くが、最初にそれを破ったのは彼のほうだった。

「……あ?」

 機嫌が悪いのかなんなのか。よく分からないけどチラリと僕の方を見た時の眼光と、その声を聞いた僕の口から思わず本音が溢れる。

「こ、こわい……」
「相谷さん、心の声は心の中で言った方がいいんじゃないですかね?」

 ああしまった。口に出して言うつもりなんて全く無かったのにやらかしてしまった。神崎先輩は、特に何を言うでもなく僕を見続けている。その様子はさっきの鋭かった眼差しでも、物珍しい存在を見た時のそれでもなかった。

「……お前、本当に相谷か?」
「え……?」

 驚きに満ちた瞳と共に紡がれた言葉に、僕は思わず呆けた返事を返してしまっていた。
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