Caligula

SS詰め合わせ

2018/09/11 08:58
主琵琶現実
  




「やっぱ生まれつきの嘘つきは死ぬまで治らないんだって。でも、俺は先輩が嘘つきなのはどうしても嫌なんだ。だから……」
窓も家具もない殺風景な部屋の真ん中に、芋虫のように転がるいきものを見下ろす。きっと「やめろ」だの「殺す」だのと喚いているであろう口をべったりと覆うガムテープに、柔らかな茶髪が数本巻き込まれてしまっているのが見えた。手脚を縛る縄も、彼が暴れる度に皮膚に食い込み血が滲む擦り傷を残す。痛そうだ。早く楽にしてあげたいと思った。
「だから、先輩のついてきた嘘を俺がひとつずつ『本当』に変えてあげれば、先輩は嘘つきじゃなくなるね」
拘束から抜け出そうと身を捩る彼の背中側に回り込む。そのくぐもった罵声が甘ったるい悲鳴に変わる瞬間を夢見て、俺は左手の薬指の先を、新品のペンチの刃でそっと挟んだ。

*密室の恋











「人は死んだら無になるとか言ってましたけど、そんなの嘘です。あんたは絶対、地獄にいる。僕が保証する。あんたは罪人だ。それほどのことをした。でも……」
花束を持って立ち尽くす僕を、通行人は不審な目で見ている。
「そんなあんたがいなくなって、悲しくて悲しくて仕方がない僕も、きっと地獄に行くんでしょう」
なにもないアスファルトに、ぽつりと透明な滴が落ちた。

*リードはつながったまま











「先輩、ほんとにハーブ育てたりするんだ。むしろこんな葉っぱちまちま育てる暇があるなら買った方が早い、非効率的、とか言ってバカにするほうだと思ってましたが」
「ふふ、食べ物にはこだわりがあるんだ」
同棲を始めてしばらく、先輩が慣れた手つきで植えたベランダのハーブは小さな葉を目いっぱい広げて日の光を浴びている。あと数日もすれば立派に育って、鮮やかな緑といい香りで僕らの食卓を彩るだろう。「ま、こうして毎日見てれば愛着も湧くし、それなりにかわいいもんですね」声をかけると、先輩は笑う。
「ああ。ただ僕に食べられるためだけに生まれて、何も知らずに精いっぱい生きているなんて、なんともいじらしいじゃないか。ねえ、部長くん」

*愛の行く末














“移り気”または“心変わり”の花言葉が示す通り、紫陽花は土のpH値によって色を変えるというのは有名な話ですよね―――そこまで話すと、先輩は当然知ってる、とでも言いたげな面持ちで頷いたので思わず苦笑いだ。相変わらずプライドの高い人である。
「しかしそれとは真逆ですが、梅雨の冷たい雨の中でじっと耐えるように咲く姿から、“辛抱強い愛”なんて花言葉もついた。確かに俺にはそう見えるし、こっちのほうが好きです」
「どっちが好きとか嫌いとか、それはそういう問題なのかな?」ふと、先輩は呟く。「ひとつのものに正反対のふたつの要素が同居しているなんて、珍しい話でもないだろう。特に人間なんかはね」
不意にすっと伸ばされた先輩の手で、俺の両目は覆われた。彼が今どんな顔をしているのか、なにも、見えない。
―――いや、そこにいるのは本当に、

「君は、自分が見たいものしか見ていないだけだよ」

*完璧の向こう側



 





「罪悪感? わかるよ、当然わかるとも。君はいったい僕を何だと思っているんだ」
化け物だと思ってます、とは流石に言えないので、曖昧に笑っておいた。先輩もニコニコと嗤う。あのね先輩、辞書で読んで理解したフリをしてるだけのことを「わかる」なんて言い換えるのは、あんまりよくないよ。

*無知










映画の劇伴が好き。それだけが頼りだった。高校からの帰り道にレンタルショップがあってよかった。往年のラブロマンス、スパイ物、それからちょっと苦手なホラーだって。僕は暇さえあればあらゆる映画を見た。あの日彼が口ずさんでいた名も知れぬ曲を探した。それが、いなくなってしまったあの人と僕を繋いでくれる唯一のものだと信じて。
「……」
探し物は、ある日突然テレビの中に現れた。僕はがっくりと肩を落とす。ああ、あんたのそういうとこほんと嫌い!

『さあ、懐かしのCMソングランキング、第6位はこちらの曲。199X年の発売から20年を超えるロングセラーを誇るチョコレートの、初代CMで流れた……』

*sing!sing!sing!









「先輩、映画でも見ましょうか」
「別に構わんが、つまらなかったら途中でも寝る」
「お、ようやく僕の目の前で寝顔を晒してくれるとは。飼い犬の自覚が出てきたんですかね、可愛い子」
「君こそ居眠りには注意したまえ。手が滑ってうっかり首を掻き切ってしまうかもしれない」
あの日、Lucidとなった僕にねじ伏せられ、カタルシスエフェクトも失った彼はそれでもまだ力を失わない獣の瞳で僕を睨む。まあそれも悪くない、だってもう疲れたんだ。
映画が終わる5分前に瞼を下ろした僕は、物語の結末を知ることのないまま、二度と目覚めることは無かった。

*共食いの美学












燃えて燃えて、いっそ燃え尽きるような恋をしてみたかったが、こんな結果は望んでいないと叫びたかった。ひとり無様に生き延びてしまった俺は全身大火傷だ。かつて彼と重ねた唇が、愛を囁いた喉が、触れ合った指先が、爛れて痛む。
「琵琶坂永至は、」
『そんな患者、ここには入院していないと何度言ったら分かるの!』
顔にノイズのかかった看護師が、意地悪な清潔を湛える病院のロビーから俺を追い出そうとする。「俺は病人だ!」だって、爛れて痛むのだ。毒のような罵声を注がれた耳が、蹴られた腹が、踏みつけられた背中が。じくじくと、熱を孕んで痛むのだ。

*火葬







『何故今まで電話に出なかった! ……おい、聞いてるのか!』
受話器の向こうから聞こえるのは激しい雨音と、かつてないほど切羽詰まった声。彼が何かを喚き立てるほど俺の身体の表面は熱く火照っていくのに、心の芯はすっかり冷え切ったままなのが少しせつなかった。
『いいから早く来い! なんとかしろと言ってる! 場所は―――』
続く言葉は耳に入ってこない。それは、今こそ銀の弾丸を撃ち込んでやる時だということを意味していた。終わりの足音は、彼のすぐ後ろにいる。
「俺はあなたが好きだったけど、いちばん大事なものにはしてあげられなかった。ごめん」
もう、声は聞こえない。受話器の向こうから俺に届くのは、雨の音だけだ。

*笑顔でさよなら







青が好きなんですか。僕が問うと、先輩は自らの首元を飾るなめらかなサファイアブルーに、整った指先を滑らせてみせた。
「単純な好みもあるが、何より青は知性の色だ。冷静で、誠実で、静かな印象を相手に与えてくれる」
「それ全部先輩に足りてないやつじゃないっすか」
はは、と笑い声を上げる暇もなく、指輪で威力を底上げされた拳骨が僕の頭を襲った。ほら、やっぱり色々足りてないじゃないか!

*ラプソディ・イン・ブルー






 

「もし俺にも火を操る力が目覚めていたら、じっくりこんがり焼いたあんたを頭から爪先まで丁寧に切り分けて喰ってやりましたよ」
先月半ばに謎の獄中死を遂げた悪徳弁護士の男が、幼少期に及ぶまでの過去を面白可笑しくワイドショーで掘り起こされている。震えるほど愉快で涙が出るほど不快なそれに目移りをしているうちに、フライパンの肉はこんがりを通り越して大きな焦げ目がついてしまった。慌てて火を止め、白い皿に盛ってテーブルに運ぶ。
「いただきます」
テレビの中の、初めて見るあなたの顔を眺めた。それでも確かにあの自慢の容姿とやらは自前だったのだなあと呑気なことを思いながら、俺は血の味のする肉を噛みしめた。

*最期の晩餐







「しかし先輩、悪いことをすると本物の罰が下ります。ヒトの定めた法律や刑罰云々ではなく、神様とか因果とか、そういう理屈では説明出来ないことが世の中にはあるのです」
「ふふ、神様。可愛いことを言うね」
僕の本気の忠告を、先輩はそう受け流した。現実もメビウスも、彼は世界の全てを冷ややかな瞳で莫迦にしていた。
「ならば、その神様とやらにもバレないようにやるまでさ」
張り巡らされた因果の網すら潜り抜けてみせると宣う傲慢な男の罪を、平穏を哀れな奪われた少女の願いを全て知る僕は、ただ「そうですか」と力なく頷くのだった。

*透明な神様






『魔王なんてどうだい?』
スマホの画面に浮かぶたった10文字の返信の向こうで、涼しげな口元を三日月の形に歪める彼を見た気がした。
『いいですね。じゃあ俺が魔王を倒しにいったら、お決まりの台詞を言ってください』
『ああ、あれか? 世界の半分をお前にやろうってやつ。さて、君はなんと答えるのだろうね』
世界の半分なんかいらない、ただあんたひとりが欲しくてたまらないと言えばよかったのだ。魔王も村人も歌姫も、何もいなくなった楽園で俺はひとり、泣いた。

*とある勇者の憂鬱






「なんだ、それは」
僕が手を滑らせうっかり取り落としてしまった白い皿が、キッチンの床にぶつかって見事に粉々になったのは今から30分ほど前のことだ。とりあえずビニール袋にまとめて対面式のカウンターの上に置いてある皿の破片に、用事から帰ってきた先輩は訝しげな視線を送っている。
「お帰りなさい。これはですね、皿を落として割ってしまいました。夕飯の支度が終わったら処分しますから」
「そうだな、そうしてくれ。それを見ているとなんだか……」
怪我はないか、とかそういう言葉はないんだなあと僕が思っていると、唐突に言葉を句切った先輩は指でこめかみをぐりぐりと押さえている。頭でも痛いのだろうか。
「……なんです?」
「こう、痒くなるような気がするんだ、身体が。何故かは分からないが」
「ふぅん」
それは不思議なことですねと呟いて、僕はじゅうじゅうと小気味のいい音を立てるフライパンに目をやった。うっすら付いた焼き目をじっと見つめて、あともう少しだろうかと見当をつける。先輩は、じっくりこんがり焼いた肉が、好きなのだ。

*甘い生活







床に積み上がったゴミ袋を、まるで数年後の己の姿が鏡に映っているようだと思いながら見つめた。
「モノに執着するなど愚か者のすることだよ、君」よく言えばだいぶすっきり片づいた、悪く言えば殺風景にまた一歩近づいた僕の部屋の真ん中で、ふん、と彼は冷笑した。「よりにもよってこんな嘘っぱちの世界でまでゴミを溜め込んでいるなんて、愚かにも程がある」
友達と出かけたゲームセンターで獲った犬のぬいぐるみ、お気に入りの雑誌、ペットボトル飲料のおまけについていた、名前も知らないけど愛嬌のあるキャラクターのマスコット。それら全てをゴミと断じて僕に処分するよう命じる冷ややかな声に逆らえなかったのだから、もはや僕の首輪から繋がるリードは彼の掌中にあると言ってもいい。ゴミ袋が膨らんでいくにつれて、僕の心は空っぽになった。
「あなた、いずれは使い古した僕のこともそうやって捨てるのでしょう。紙くずを放り投げるように、なんの感慨も抱かず」
「否定はしないが、しかし、それがいつになるかは君の頑張り次第だよ。まあ、僕の気の迷いでうっかり今日明日のことになってしまうかも分からないがね」
「……努力します」
彼の気まぐれで延びる犬の寿命など、ほんの微々たるものだというのに。僕はため息を吐きながら、丁寧なラッピングが施された箱をゴミ袋に放り込んだ。つい先日誕生日を祝ってくれた友達の名前も、空っぽになった僕には思い出せなくなっていた。

*延命治療







「悲しい、悲しいよ、どうしてこんなことに」
「僕の前で語ってみせたことが全て真実で、あなたが本当に後悔に駆られる善良な弁護士でいてくれたなら、僕は、僕はどんなに、ああ……」
「…………」
「……ああ、だったら僕は、あなたを本当の意味で好きになってなどいないだろうな」
そう言って、いつかはあなたのために淹れてあげたかった珈琲を、からっぽになった彼の部屋でひとり味わう至福に酔いしれた。やさしい香りがした。

*失望/失貌







「櫻の木の下には屍体が埋まっている!」
麗らかな昼下がりのことだ。と言ってもこの楽園には麗らかでない昼下がりはほとんど存在しないのだが、それでもとにかく麗らかな昼下がりのことだ。やあ部長くんいい天気だ散歩でもどうかね、といつになく機嫌の良い彼に誘われた僕は、それは単なる気まぐれだとわかっていたけど二つ返事で食べかけだった昼食のパンを放り出した。そして連れ出されたエントランスで咲き誇る桜の木を見上げた。
その文句はとある作家が片手で足りるほどのページ数で綴った散文詩の出だしの一文なのだが、君のような無教養な人間にも知れ渡っているとはやはりそれなりに優れた言葉の連なりなのだろうといったようなことを彼は言った。はらはらと落ちた花片を弄ぶ指先はやはり無感動で無感情だった。
「おぞましいほどの美しさの足元にはきっと何かしらの理由があるに違いない、いや、むしろ理由がなくてはならんのだとでも言いたいのだろうか。まったく疑り深いね」
まるで、裏の無い純度の高い清廉はこの世に存在するとでも言いたげだ。少なくともあなたがそうでないことを、僕は知っているけれど。
腐敗して死臭を放ち蛆が湧くような醜さの上で、薄血色の美しさは花開く。桜の木を見上げる男の足元に、僕は踏み躙られて焼けただれて異臭を撒き散らす彼の罪の姿を幻視した。

*あなたの足の下には、







笑顔を作ると(笑うと、ではなく)目がすっと細まるのがかわいいなあなんて思っていたら、先輩の話は僕の右耳から左耳へと華麗なドライブスルーを決めていた。なんですか?などと聞き返したところで「この耳は飾りか?」とキレられるのは必至であるので、とりあえず肯定しておけば間違いはあるまいという安易かつ目の前の男をある意味馬鹿にしきった考えのもと、「そうですね」と愛想笑いを返しておいた。すると予想に反してきれいな三日月型の弧を描いていた先輩の唇はむむっと歪み、あっという間に不機嫌なへの字になる。あれ、失敗した?
「協調性があると言えば聞こえはいいが、ここまで主体性がないのも考え物だ」
「へへ、すみません」
「君、部長としての自覚はあるのかな?」
へらへらと謝りながら、恐らく今後の帰宅部の活動方針だとか、そのような話をされていたのだろうとおおざっぱに見当をつける。まったくどいつもこいつも、とぶつぶつ文句を言いながら腕を組んで面倒見のいい上級生を気取ってみせる先輩の胸を、僕はとん、と人差し指でつついてみた。「なんだい」投げやりに彼は問う。
「確かに部長としては駄目かもしれないけど、先輩個人としてはそういうののほうが好きでしょう。便利で扱いやすい」
「……ふん、まあ嫌いじゃないとだけ言っておこうかな」
歪んだりきつく引き結ばれたり、今度は意地悪そうに吊り上がったり、忙しい唇だ。僕も嫌いじゃないですよ、そうやってバカ正直に笑っちゃうところとかね。なんて口に出すわけにはいかないので、わん、とひとつ吠えてみせると先輩は組んだ腕を解いて冷ややかに笑った。その見下すような目がやはり抜群にかわいかったので続く話もほとんど聞き逃していたのは、内緒だ。

*仰せのままに







「つまりそんな風にべろべろに酔っ払ってる先輩じゃ意味が無いということです」
「ほう?」
「僕は正々堂々が好きなんだ」
だからあのバカみたいにでかいベッドで一夜を共にするならば心の底からの同意を得ねばならん、その生白い頬を赤く染め上げるのは間違っても酒精だけであってはならんといったようなことを僕が呟くと、ソファに寝そべって空のグラスを弄ぶ彼は壊れた目覚まし時計のようにけたたましく笑った。本当に壊れたかと思った。
「なんてことだろう、僕のハニーは思った以上に純情だ!」
ほら、はだけたシャツから覗く首元に僕がさっきから純情とは言い難い下卑た視線をチラチラ送ってることにも、できれば僕があなたをハニーにしたいと思ってることにも、酔いが廻りに廻ったあなたは気づいてもいないし、だからやっぱり、それでは意味が無いということですよ。

*血みどろのハニー


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